第1話「香港からの手紙」
それは、一通の郵便から始まった。
ぴんぽーん!
チャイムが鳴ったのを聞いて、この部屋の主、李小狼は玄関のドアを開けた。そこには、郵便の配
達員が小包を持って立っていた。
「李さん、お届け物です。ハンコお願いします」
「はい、ちょっと待ってください」
小狼は、リビングに戻るとハンコを持って玄関に舞い戻る。
小狼がハンコを捺し、小包を受け取ると、配達員は元気な挨拶と共に去って行った。
小狼は、リビングに戻って、小包を開けて見た。
「なんだ、これは?」
小包は、何やら細くて長いもので、そこそこの重量がある。宛名を見ると、香港の実家からとなっ
ていた。
何が送られてきたんだと訝しがりながら箱を開ける小狼。
その中には、布の袋に入った何か細長いものと、一通の手紙が入っていた。
小狼は早速手紙の封を切り、中身を読んだ。それは、香港にいる母・夜蘭(イェラン)からのもの
だった。
「母上からか…母上、元気かな?」
小狼は微笑みながら手紙を読んでいったが、その途中で視線が止まる。
「…送った剣を、しばらく預かって欲しい?」
小狼は、布の袋を手に取ると、口を縛ってある紐を解いて中身を取り出した。それは、黒塗りの鞘
に収められた、一振りの日本刀だった。つばにも立派な装飾が施され、柄の先には緑色に光る拳大の
水晶がつけられている。
「これか?」
しかし、ただの日本刀ではないだろうと小狼は思った。
李家は魔道の大家だけあって、様々な魔力を秘めた品々がある。そのほとんどは倉庫に収められ、
家の者でさえその全てを把握しきっていないといわれているのだ。その中に、こうした日本刀が一振
りや二振りあったところで、おかしな事ではない。
それに、剣を包んでいた布は小狼の式服と同じ生地であるようなのだ。式服に使われている布は魔
力を込めて編まれた特殊な布なのである。
つまり、この剣はわざわざこんな布に包まなければならないものということだ。
ただ、小狼が気になったのはこの一文なのだ。
『よほどのことで無い限りは、その剣を肌身離さず持っていること』
「どういうことだ…?」
小狼が思考しはじめた頃、玄関のドアが開いて初老の老人が部屋に入ってきた。小狼は、顔を上げ
てその老人を出迎える。
「おかえり、偉(ウェイ)」
「ただいま帰りました、小狼様」
その、小狼の目付け役である老人は、小狼が持っているものに目を留める。
「小狼様、それは?」
「ああ、これか? 香港の、母上から送られてきたものだ」
そして小狼は、母の手紙に書かれたあった事などを偉に話した。
「…左様でごさいましたか」
「ああ…母上がわざわざ手紙まで書いて言うことだから何かあるんだと思うが…気になるな」
「そうですな…では、私が夜蘭様にこの事を聞いてまいりましょう」
偉の言葉を聞いて、小狼は少し寂しそうな顔をする。
実は、偉は明後日より1週間の間、香港に里帰りする事になっているのだ。今日の外出も、その準
備のためなのである。
しかし、小狼はそんなそぶりを面に出さずに偉に話しかける。
「そうだな。頼んでもいいか、偉?」
「かしこまりましてございます」
小狼はその夜、夢を見た。
中国のどこか片田舎で、自分はあの剣を持って何かと戦っている。
(どこだ、ここは…)
小狼が一太刀振るうごとに、魔物が倒れていく。
(俺は、誰だ…?)
魔物が全て倒れた時、後ろの物影から小狼と同じ位の女の子が出てくる。その女の子を見て、小狼
は驚いた。
(さくら!? 俺より小さな、さくら?)
小狼は、すぐにさくらが小さいのではなく、自分が大きいのだと言う事に気づく。
何やらさくらを叱りつけている『夢』の小狼、それを聞いて舌を出す『夢』のさくら。話す内容と
は裏腹に、どこか楽しそうな二人。
(なんだ、これは。これは、まるで…)
さくらと、アイツの兄貴みたいじゃないか。
小狼がそう思った時、誰かを呼ぶ声が聞こえた。
シャオロン、と。
その翌日。
「にっちょく、にっちょく〜♪」
朝が早いため、教室にはまだ人がまばらで、一人の少女が楽しげに花瓶の水を入れ換えている。
その教室に、また一人の女の子が入ってきた。
その黒髪の女の子は、花瓶を置いた女の子に挨拶する。
「おはようごさいます、さくらちゃん」
さくらは、呼ばれた事に気づいてそちらを振りかえり、笑顔になった。
「おはよう、知世ちゃん!」
名前を呼ばれて、知世はにっこりと微笑む。
「今日はお早いんですのね」
「うん、わたし、今日は日直だから」
そう言いながら、さくらと知世は自分の席についた。
「ところでさくらちゃん、『フェニックスランド』ってご存知ですか?」
「ほえ? フェニックス…ランド?」
頭にたくさんのハテナマークが浮かんださくらを見て、知世が解説を始める。
「はい。友枝町の近くに新しく出きるテーマパークで、近々オープンするそうですわ」
「へ〜。テーマパークって言ったら…遊園地だよね? 行って見たいね〜」
まだ見ぬテーマパークに思いを馳せて楽しそうなさくらの後ろから、不意に少年の声がかけられて
さくら達はそちらを振り向く。
「楽しそうですね、さくらさん。何のお話ですか?」
「あ、エリオル君! おはよう!」
「おはようございます、柊沢君」
挨拶を受けて、エリオルは優しげな微笑みを浮かべる。
「おはようございます。それで、何のお話ですか?」
「うん。今度新しくできる…え〜っと…」
名前が思い出せないさくらに、知世がそっと助け舟を出す。
「フェニックスランド、ですわ」
「あ、そうそう。そのフェニックスランドの話をしてたんだよ」
「フェニックスランドですか…たしか、『劉(リュウ)コンツェルン』が設計から運営までを手がけ
る新型のテーマパーク、でしたよね?」
聞きなれない単語が出てきて、さくらは再びハテナ顔になる。
「劉、コンツェルン?」
すっかり解説役となった知世が、さくらに説明をする。
「劉コンツェルンと言うのは、アジアを中心に活動している企業団体の事ですわ。この日本でも、そ
の4分の1の企業は劉コンツェルンと何らかの関係があるといわれておりますわ」
「う〜ん、よく分からないけど…とにかく凄いところなんだね」
いまいち理解できなかったが、さくらは知世の博識ぶりに感心し、そしてエリオルがそう言った事
を知っていた事にまた感心した。
「エリオル君、よく知ってるね。すごいなぁ」
「いえ、それほどでもありませんよ」
謙虚に恐縮して見せるエリオル。
その時、教室の後ろの扉から入ってきた少年が、その様子を見てこめかみを振るわせた。
言わずと知れた小狼である。その手にはしっかりと例の剣が握られている。
小狼は肩を怒らせたその状態でずかずかと歩き、さくらの後ろにある自分の席に座った。
実は、その様子を知世が見ていて『ほほほほほ…』などと微笑んでいたのだが、それは小狼が知ら
ない事である。
さくらはその雰囲気に全く気づくことなく、ただ小狼が入ってきた事だけに気づいた。
本当に無邪気な笑顔で小狼にあいさつをする。
「おはよう、小狼君!」
さくらに微笑みかけられて、小狼は顔を赤くする。
「お、おはよう……(かあああ)」
小狼は、それに気づかれない様になんとか話題を変えようとした。
「い、今、何を話してたんだ?」
「今? 今ね、今度新しくできるって言う…」
その後、さくらがフェニックスランドの事を説明したところでホームルームの時間となってしまっ
た。
そして、その日の昼休み。
「ねぇ、小狼君。今日、一緒にお昼ごはん食べない? 知世ちゃんと3人で」
「あ、ああ…別に、構わない…」
「うん! それじゃ、早くいこっ!」
言うなりさくらは、自分の弁当を持って教室の外へと出ていってしまった。
「あ、ちょ、ちょっと待て!」
小狼は慌てて自分の分の弁当を出すと、急いでさくらの後を追いかける。もちろん、あの剣の包み
を持つのも忘れない。
その様子を見て、知世が楽しげに微笑む。
「おほほほ、李君も大変ですわね」
そして知世も二人の後を追う。
3人が廊下を歩いていると、途中でエリオルとすれ違った。
「お弁当ですか? さくらさん」
「うんっ。そうだ、エリオル君も一緒にどお?」
その言葉を聞いて、小狼は顔をこわばらせる。
さくらとエリオルが仲良く話をしているのを見ると、無性に腹が立ってしまうのだ。
しかし、当のエリオルはさくらの申し出をやんわりと断っていた。
「いえ、今日は別の方と約束があるので。残念ですが…」
それを聞いてさくらは一瞬残念そうな顔をするが、すぐに笑顔に戻った。
「そっか、それじゃ仕方ないね」
「すみません。また、今度誘ってください」
このとき小狼は、(二度と誘うか!)などと思っていたのだが、それは言わない約束である。
「うん、じゃあね!」
そうして去っていくさくら達を見送っている時、エリオルの目にあるものが止まった。
「それ」をみて、彼にしては珍しく少し驚いた顔になる。
(あの剣は…)
さくら達が完全に視界から消えた時、エリオルは、小学生ではない、もう一つの顔で楽しげに微笑
んだ。
(まさか、再びあの剣が世に出ようとは……これから、おもしろくなりそうですね)
一方、さくら達は中庭の芝生の上でそれぞれの弁当を広げていた。
さくらと知世が楽しげに話し、小狼はそれを横目で見ながら自分の弁当をつっつく。
そうやって知世と話していたさくらが、急に小狼に話を振ってきた。
「ねぇ、小狼君」
「なっ、なんだ?」
「今朝からずっと気になってたんだけど、小狼君の持ってるそれ、なんなの?」
そう言ってさくらは、小狼のそばにおいてある包みを指差した。
「そういえば、私もずっと気になっていたんですけど…」
「これか…これは、香港から送られてきたものだ。俺に、預かって欲しいってな」
そう言うと小狼は、はしを置いて包みの口紐を解いて中身を取り出した。
取り出された剣を見て、さくらは驚く。念のために言っておくが、剣は抜き身の状態ではなく、ち
ゃんと鞘に収められているのでご安心を。
「ほ、ほえぇぇっ! それ…?」
「日本刀…ですの?」
知世のとても当たり前な質問に、しかし小狼は自信なさげに答えた。
「だと、思う」
「だと思うって、日本刀じゃないの?」
「いや、多分そうだと思う。ケド、抜けないんだ」
小狼は、剣の鞘と柄を握るとそれを引っ張って見せた。しかし、剣が抜けるどころか「ぴくり」と
も動かない。
「な?」
「李君、貸してみてください」
今度は知世が試してみるが、結果は同じだった。
「…ダメですわね。さくらちゃん、いかがですか?」
「わたし? 無理だよ、小狼君でも抜けないのに…」
そう言いつつも、とりあえず試してみるさくら。しかし、剣は抜けなかった。
「はう〜。やっぱりダメだったよ〜」
それを見て、小狼の顔に少なからず落胆の色が浮かんだ。
「そうか……おまえの魔力なら、あるいはと思ったんだが…」
「どういうことですの?」
「この剣は、李家の倉庫から見つかったものなんだ。当然、倉庫の中には魔力のこもった品が多い。
その中には、使用するのに一定以上の魔力が必要になるものもある。
この剣も、そう言ったたぐいのものだと思ったんだが…」
小狼は、そう言って考えこんでしまい、さくらと知世も同じように困ってしまう。
その時、さくらの頭にあるアイディアが浮かんだ。
「そうだ…ケロちゃんなら何か知ってるかも」
「ケルベロスに、か?」
「それはいい考えですわ。ケロちゃんならこう言ったものにもお詳しそうですものね。さすがさくら
ちゃんですわ!」
そう言われて、さくらはちょっと照れてしまう。
「じゃあ、わたし、帰ったらケロちゃん連れて小狼君の家に行くね」
「おっ、俺の家に!?」
急な申し出に驚いた小狼だったが、さくらはその反応を小狼がいやがっているものだと思ったよう
だ。
「あ、迷惑…かな?」
「い、いや…べっ、別に、俺は構わないぞ」
小狼の言葉に、さくらの顔がぱぁっと笑顔になった。
「よかったぁ。それじゃ放課後、小狼君の家に、ね」
「あ、ああ…」
「李君、私もご一緒させてもらって構いませんか?」
「好きに、しろ」
そこまで言うと、小狼は嬉しいような恥ずかしいような気持ちで顔を真っ赤にする。
さくらは赤くなった小狼を不思議そうにみつめ、知世はそんな二人を見てたおやかに微笑んだ。
学校が終わり、家に帰った小狼はいつにもなくそわそわしていた。
気になる女の子が家に来ると言うのだから、それはそわそわもするのだろうが、小狼はそんな自分
に少し戸惑っていた。
(何をそわそわしてるんだ、俺! あ、あいつが家に来る、ただ、それだけだろ!)
そうは思ってみるものの、落ち着くどころか余計そわそわしてしまい、どうにも落ち着きがない。
そんな小狼の姿は、偉には不思議なものと映ったが、訳を聞いたら納得し、今はさくら達が来た時
のためのお菓子を準備している。
そして、やっと待ち望んでいたドアベルが鳴らされた。
ぴんぽーん!
小狼はその音を聞くとやおら立ちあがって、そそくさと玄関へと向かった。
偉は、そんな小狼を微笑ましく見ていた。
小狼がドアを開けると、そこには普段着に着替えたさくらと知世が立っていた。
さくらの腕にはくまに羽が生えたようなオレンジ色のぬいぐるみが抱かれている。
「こんにちは、小狼君!」
「ああ……ま、まぁ、あがれ」
「それでは、おじゃまします」
小狼に勧められるままに、さくらと知世は家の中へと入っていった。
さくら達がリビングのソファに座ると、すぐに偉が紅茶とお菓子を運んできた。
「いらっしゃいませ、さくら様、知世様」
「あ、こんにちは、偉さん!」
「おじゃましております」
偉は、さくら達の前に紅茶とお菓子を並べていった。
「それでは、私はこれで…ごゆっくりしていってください」
そう言うと、偉はリビングから去って行った。
リビングにさくら達だけになると、さくらのそばにあったぬいぐるみが動き出した。
「あー、しんどかった〜。ぬいぐるみのフリもラクやないで、ほんま」
「ケロちゃん…だから、バックの中に入っててって言ったのに」
呆れ顔で言うさくら。
「ま〜えーやないか。たまには外に出て見たかったんや〜」
そのさくらを気にも留めず、クロウカードの守護者、封印の獣ケルベロスは目の前に並べられたお
菓子に取りついた。(ちなみに、偉はちゃんとケロの分も持ってきている。しかも、ケロの分はやや
多め)
ケロは、お菓子を頬張りしたつづみを打つ。
「―うまいっ! や〜、さすが小僧のとこはええ菓子出すな〜」
「ケロちゃんってば…」
ケロはしばらくお菓子を食べるのに夢中になっていて、さくら達はそれをぽかんと眺めていた。
「ケロちゃん、ホントにお菓子が大好きですのね」
「…食い意地が張ってるだけだろ」
小狼の言葉にケロはすばやく反応し、小狼を睨みつける。
「なんやと小僧!」
「俺はありのままを言っただけだ!」
二人は険悪なムードでにらみ合いを続けていたが、その間にさくらが割って入った。
「ケロちゃん! 今日は小狼君とケンカしに来たんじゃないんだよ!」
「…おっと、そうやったな」
ケロはそれに気づくと、さっきとは一転して得意満面の顔で小狼のほうを向いた。
「で、なんや、小僧? この小粋でステキなわいに訊きたいっちゅーんは?」
小狼はその言葉に「むかっ!」ときたのだが、またケンカをはじめても不毛なだけだと思い、この
場はおとなしく引き下がることにした。
「…ちょっと待ってろ」
そう言って小狼は自分の部屋へと向かった。
少しして戻ってきた小狼の手には、例の剣が握られていた。
「これだ」
ケロはその剣をしげしげと眺めている。
「ふ〜ん、それが、李家から送られてきたっちゅう日本刀か」
「ああ、たぶん、何らかの魔力が掛けられた剣だと思うんだが…」
ケロは、直に剣に触れて調べ始めた。さくら達はその様子を、固唾を飲んで見守る。
その時、ケロが何かに気づいたように顔を上げた。
「…これは」
「ケロちゃん?」
「これは…!」
「わ、分かったのか?」
「これはっっ!!」
「知ってるの!? ケロちゃん!」
ケロに詰め寄るさくら達。
しかし、ケロは急に気の抜けた顔をすると
「…さっぱりわからん」
引っ張るだけ引っ張っておいてその言葉かと、さくら達は一様にずっこけた。
その中でも、比較的早くにおきあがった小狼がケロを睨みつける。
「あのなあ(怒)!!」
「ケロちゃん、真面目にやってよ(怒)!」
続くさくらも、同じようにケロを怒鳴りつける。
ただ一人、知世の反応だけは少し違っていた。
「さすがケロちゃん。3段落ちは基本ですわね」
…訂正。かなり違っているかもしれない。
しかし、当のケロは、そんなものはどこ吹く風とばかりに飄々としている。
「せやかてな、クロウんとこに日本刀なんてなかったし、李家の倉庫は李家のモンですら中身を把握
しきれとらんのや。わいに解るわけないやろ〜」
それまではおどけたような雰囲気だったケロが、急に真面目な顔になる。
「けど、確かに魔力は感じるで。この剣からな」
さくらは、オウム返しに聞き返す。
「魔力?」
「確かに、微弱な魔力は感じるが…名刀と呼ばれる刀なら、この位の魔力は発しているものじゃない
のか?」
「刀が、魔力を持っているんですの?」
知世の問いに、小狼ではなくケロが答えた。
「せや。名刀っちゅーんはな、刀鍛冶が自分の魂削って作り出すもんなんや。せやから、その思いや
つこてる人間の思いなんかが染み付いて刀に魔力が宿る。
よく言うやろ、『刀には魂が宿る』て」
「だから、刀に多少の魔力が宿っていても、なんら不思議ではないんだ」
「けど、この刀に宿っとる魔力はそんなんと違う。かなりの魔力や。へたをしたら、さくらの『星の
杖』とおんなじくらいやで、これは」
それを聞いて、さくらは驚く。
「ほえぇぇぇぇっ!? ほ、『星の杖』と? でもでもっ、そんな魔力は感じないよ?」
さくらの言うとおりで、剣からはさほどの魔力は放たれていない。もし、剣がそんな魔力を放って
いるのなら、昨日の時点で既に小狼が気づいているはずである。
しかし、ケロはそれを否定した。
「それは、この刀が封印されとるからや。さくらの杖が、普段封印されとるんと同じようにな」
言われて、さくらは取り出した封印の鍵と剣を見比べてみる。
小狼も、険しい表情で剣を見つめていた。
「こないな刀が、李家に眠っとったとはな…」
ケロの言葉に、みんなが一様に頷いた。
それから日がすっかり傾いた頃、さくらと知世は家路につく事にした。
そして、もう遅いからと小狼が見送りに来る事になった。さくらは遠慮したのだが、なかなか引か
ない小狼と、送ってもらったらと言う知世に押し切られる形となった。
その知世は、少し前にさくら達と別れている。
「後は、お二人でどうぞ」
と言う、意味深な言葉を残して。
そのせいかどうかは知らないが、さくらと小狼はお互い赤くなって言葉を交わさない。
そんな時、ようやくさくらが小狼に話しかけた。
「しゃ、小狼君…」
急に呼ばれて驚きながらも、務めて平静を保とうとする小狼。
「な、なんだ?」
「あの、ごめんね。あんまり役に立てなくて」
すまなそうなさくらを見て、なんとか安心させてやろうと小狼はさくらに微笑みかけた。
「気にするな。この剣が、もしかすると『クロウカード』に匹敵するかもしれないほどの力を秘めて
いるってわかっただけでも大した進歩だ。それに…」
「それに?」
小狼は、頬を朱に染めると、さくらから視線を逸らして続けた。
「おっ、お前の、その気持ちだけで、俺は嬉しいから…」
「小狼君…」
小狼が言ってくれた優しい言葉に、さくらの胸は温かくなった。
さくらはその思いを、暖かな微笑みで返す。
「ありがとう、小狼君」
「だ、だから、気にするな…」
さくらの、自分に向けられた微笑みがあまりにもかわいくて、小狼は顔をますます赤くする。小狼
は、今ほど夕日が赤くてよかったと思った事はなかった。
もし、今が昼間だったら、真っ赤になっているであろう自分の顔をさくらに見られてしまうだろう
から。
一方のさくらは、小狼がそんな事を考えているとは露知らず、ふと思い出したことを小狼にたずね
た。
「そういえば、小狼君の家のリビングに荷物があったんだけど…」
「あ、ああ。あれは偉のだ。偉は明日、香港に帰るんだ」
「え? 偉さん、帰っちゃうの?」
寂しそうにそう言うさくらを見て小狼は、さくらは小狼の従妹の苺鈴(メイリン)が香港に帰った
ときのことを思い出しているのだと言う事を察した。
「心配するな。偉は、1週間里帰りするだけだ」
それを聞いて、さくらはホッとした顔になった。
「そっか、よかった……でも」
「?」
「小狼君、偉さんが帰ってくるまでお家に一人だね」
「大丈夫だ。家の事は一通りできるから、偉が帰ってくるまでならどうとでもなる」
「でも、寂しくない?」
「…大丈夫、だ」
小狼はそう言うものの、さくらの心配そうな顔が消える事はなかった。
小狼は、さくらのそんな心遣いを本当に嬉しく思った。
「じゃあ小狼君、ここまででいいよ」
「…大丈夫か?」
少し心配そうな小狼に、さくらは笑顔で応える。
「大丈夫! わたしの家、すぐそこだから」
「そうか…気をつけてな」
「うん。それじゃあ、また明日、学校でね!」
さくらがそう言って、小狼に背を向けようとした瞬間だった。
『―――!?』
さくらと小狼、そしてケロは全く同時に、同じ違和感を覚えた。
それは、自分たちが明らかに普通とは違う空間にいることを表していた。
「な、なに?」
「また、クロウの仕業か!?」
小狼は、周囲の気配を読み取ろうとした。
しかし、感じた気配はクロウとは別の何かだった。
「これ、違う…クロウさんの気配じゃない!」
「ああ、そうや…」
ケロも、ぬいぐるみのフリを止めて既に臨戦態勢に入っている。
「誰やっ! こそこそ隠れとらんと、出てこんかい!」
すると、ケロの呼びかけに応えるかのようにさくら達の目の前の空間が歪み始めた。それはやがて
人の形をとり始める。
『わたしの気配を読み取るとは…』
歪みは完全に人の形をとり、実際の存在として具現化する。
それを見たさくらは、おもわずハッと息を飲んだ。
「な、なに? あれ…」
「『闇の者』…!」
ケロが『闇の者』と呼んだそれは、背丈は小狼と同じ位ながら妙に太い手足を持ち、つめが刃物の
ように伸びている。上げあがった頭にとがった耳、その目は鋭く、血走ったように真っ赤。コンクリ
ートのような肌をしている。
まかり間違っても、こんな奴がまともな人間であるわけがない。
「お前か? わいらをこんな空間に放りこんだんは」
「ようやく見つけたぞ…『力ある者』よ」
怯えるさくらを護るように、小狼がさくらの前に立つ。
「『闇の者』…本当に、こんな奴らがいるとは…」
「ケ、ケロちゃん、『闇の者』って?」
ケロは、『闇の者』に注意を払いながらさくらに説明する。
「『闇の者』っちゅーんは、その名の通りこの世の『闇』に生きる住人達や。よく、魔物だの、妖怪
だの言うやろ、そう言う類のモンやと思えばええ」
「お、おばけ?」
「…似たようなものだ」
怯えを含んださくらの言葉に、小狼は苦虫を噛み潰したような顔で答える。恐がっているさくらの
手前、小狼は平静を装っているが、その額には脂汗が浮かんでいる。
『闇の者』は、さくら達のほうにじわりと近付いた。
「我が名は疾鬼(シュンカイ)。おまえ達の力が我が主の求めるものかどうか、試させてもらう」
刹那、小狼の体を嫌な予感が駆け抜け、小狼は頭で考えるよりも先にさくらを抱えて横に跳んでい
た。
それまで小狼がいた所を、突風がコンクリートを切り裂きながら吹き抜けた。
その突風が吹きぬけた先には、疾鬼がいる。
「かわしたか。やるな、そうでなくてはいかん」
疾鬼の視線に射抜かれ、小狼は全身が振るえあがるのを感じた。クロウカードを集めていた時でさ
え、こんな感じを覚えた事はない。
しかし、小狼は気を奮い立たせ、愛用の剣を取り出した。
「下がっていろ!」
と、さくらに言い放つと、小狼は疾鬼めがけて走り出した。
「小狼君! …ケロちゃん!」
「おう! まかしとき!」
さくらの声に応えて、ケロも小狼の後を追った。
疾鬼に向かっていった小狼は、懐から護符を取り出した。
「雷帝招来!」
小狼の護符から放たれた雷は、疾鬼めがけてまっすぐ進む。しかし、疾鬼はそれを紙一重でかわし
ていた。
「なるほど…ならば、これはどうだ!?」
疾鬼が腕を交差させると、その間から鋭い風の刃が放たれた。
すぐには動けなかった小狼は、別の護符を取り出して風の刃を迎撃する。
「風華招来!」
二つの風はぶつかり合い、周囲の大気を乱してやがて消滅する。
「クッ!」
「代われ、小僧!」
小狼の視線の先で、ケロの体が大きな羽に包まれた。そして、その中から黄金の獣が姿を現す。
巨大な翼を持ち太陽の力を操る黄金の獣、それがクロウカードの守護者・ケルベロスの真の姿なの
だ。
その姿を見て、疾鬼が驚きの声を上げた。
「な、その姿! 貴様は!」
「ごちゃごちゃぬかすな!」
ケルベロスの放った業火は、瞬く間に疾鬼の体を包みこんだ。
ケルベロスは小狼のそばに降り、そこにさくらも駆けつけた。
「やったのか…?」
「多分な」
しかし、その思惑は裏切られた。
疾鬼を包んだ炎はドーム状に膨らみ始め、突風と共に弾け飛んだのだ。
「何っ!?」
ケルベロスは、疾鬼がどうやって自分の炎を防いだかを見ぬいて驚きの声を上げる。
「風や! 風のドームでわいの炎を防いだんや!」
「そんな…」
一方の疾鬼は、注意深くさくら達、特にケルベロスを見ていた。
「ケルベロス…黄金の瞳の、最強の守護獣か…クロウのしもべが、なぜこんな所に」
疾鬼は、さくら達を一通り見まわし、一人離れたところに立っていたさくらに目をつけた。
小狼達の注意が自分に向いているのを知り、疾鬼は小狼とケルベロスめがけて突風を巻き起こす。
風は砂を巻き上げて、小狼達の視界をふさいだ。
「うわっ!?」
「ま、前が見えん!」
そして、その一瞬の隙をついて、疾鬼はさくらに襲いかかる。
「お前の力も、見せてみろ!」
「―きゃぁぁぁっ!」
「さくらっ!」
さくらの悲鳴に、小狼はとっさにそちらの方向へ走り出した。
疾鬼の爪がさくらに届く直前、小狼の剣がその間に割って入る。
「大丈夫か、さくら!」
「おのれっ!」
疾鬼が爪をねじり上げ、小狼は剣を弾き飛ばされてしまう。疾鬼はその隙を逃さずに、小狼めがけ
て爪を振り下ろす。
「小狼君!!」
「くそっ!」
小狼は無意識のうちに、腰にかけておいた例の剣に手をかけた。
「ハァァァァッ!」
小狼の剣と疾鬼の爪がぶつかり合う。その時、何か甲高い音がその場に響き渡った。
リィィィィィン……!
「な、なんの音?」
「こ、この剣が、鳴っているのか?」
その音を聞いた疾鬼は、まともに表情を変えた。
「まっ、まさか。なぜ、華血刃(かけつじん)がここに!?」
小狼は、聞きなれない言葉に眉を寄せる。
「華血刃?」
小狼がそう言ったかと思うと、疾鬼は一瞬のうちに後方へと飛び退った。急に抵抗がなくなり、た
たらを踏む小狼。
「クロウのしもべに華血刃か…この場は退いた方が良さそうだな…」
言うが早いか、疾鬼は後ろの闇へと姿をくらませた。
「ま、まてっ!」
『今回は退く事にする。また会おうぞ、『力ある者』達よ…』
その言葉を最後に、疾鬼の気配は消え、同時にあたりを覆っていた違和感も消えた。
「消えた…か…」
小狼は、しばらく周囲に気を払っていたが、闇の者の気配が完全に消えた事を知ると、ようやく緊
張を解いた。
その小狼に、さくらが駆け寄ってきた。
「小狼君、大丈夫? ケガしてない?」
「ああ、俺は平気だ。さくらこそ、ケガはないか?」
「わたしも平気だよ。小狼君が護ってくれたから」
さくらは、少し頬を赤らめながら小狼に微笑みかけた。
「ありがとう、小狼君」
「べ、別に…当然の事を、したまでだ…」
顔を赤くして視線を逸らす小狼。そこに、仮の姿に戻ったケロが戻ってきた。
「な〜に照れとんのや、小僧」
「お、俺は、照れてなんか…!」
「ほえ?」
必死で弁解する小狼だったが、ケロはニヤニヤとするばかり。さくらはさくらで、そんな二人を不
思議そうに見ている。
ニヤニヤしていたケロだったが、不意に真面目な顔になる。
「せやけど、あいつ、結局何がしたかったんやろな?」
ケロの言葉に、小狼が答える。
「さあな。俺達の力を試す、みたいなことを言っていたようだったが」
さくらも、自分なりに考えを巡らせていた。
「あの人、ケロちゃんの事知ってたよね。後、クロウさんの事も。やっぱり、クロウさんに関係があ
るのかな?」
「かも知れんけど、関係があるとも思えんな。なんせクロウは、闇の者にケンカ売られる事はあって
も、仲ようする事はなかったはずやから」
「後、この剣のことを『華血刃』と呼んでいたな。あいつ、これについて何か知っているんだろうか」
小狼は、その剣を見つめて、自分たちの周りで何かが起こり始めているのを感じた。そしてそれは
確実に自分やさくらをまきこんでいくであろう事も。
小狼の不安を表すかのように、闇夜の帳が静かに降り始めていた。