想いの刃
第13話「それから……」
フェニックスランドの戦いが終わった後、さくらは知世と共に魔力を使い果たした小狼 を彼の家に運んで、自分の部屋へとこっそり戻ってきた。 『翔』(フライ)を使って空を飛び、自分の部屋の窓をこんこんと叩く。 すると、中からさくらの姿をした『鏡』(ミラー)が姿を現し、窓を開けた。 さくらとケロは、開いた窓から部屋の中に入る。 「おかえりなさい」 にっこりと微笑む『鏡』にさくらも笑顔で応える。 「ただいま。ごめんね、おるすばん頼んじゃって」 「いえ。それが私の役目ですから」 そう言うと『鏡』は元のカードの姿に戻って机の上に降り立った。 それを見たさくらは、窓を閉め、バッグを放り出すとそのままベッドに倒れこんだ。 「はう〜……今日はほんっとに疲れたよ〜」 「そうやな〜」 さくらと同じようにベッドの上にぽてんと転がったケロは、さくらの言葉に相槌を打つ。 「けど、これで事件はみんな解決したんやし、よかったやないか」 「うんっ」 笑って頷くさくらだったが、不意に顔を曇らせる。 「でも……」 「なんや? 小僧の事でも心配なんか?」 「うん、それもあるんだけど……」 さくらは、くるりと寝返りを打って天井を眺める。 「鳳月(フォウユエ)……ううん、鳳鬼(フォウカイ)さんって、結局、何をしたかった のかなぁ、って」 「そうやな……」 そう言って、ケロは寝ながら腕組みをしてみる。 「それは、ワイにもわからん。でも、もしかしたら、あいつもそれを探していたのかも知 れへんな」 「そっか」 ケロの言葉を反芻しながら、さくらはほうっとため息をついた。 「……見つけ、られたのかな?」 「多分、な。いや、さくらに会うたんや、絶対大丈夫や」 「……うん」
それから、さくらとケロは特に何をするでもなくぼうっとして過ごしていた。 そうしていると、不意に、小狼が気を失う前に言っていた言葉が思い出された。 意味は分からなかったけど、なんだか、とても温かい気持ちになれた言葉。 なんだか、急にその言葉の意味を知りたくなった。 「ね、ケロちゃん」 「ん? なんや?」 「小狼君が眠っちゃう前にね、わたしに言ってくれた言葉があるの。けど、わたし、その 言葉の意味がわからなくって」 「ふんふん、それで? なんちゅう言葉や?」 「うん、と……たしか、ウォ・アイ・ニイ、さくら……って言ってたんだけど、どう言う 意味なのかな?」 「は〜、我・愛・汝なぁ……って!?」 「ほ、ほえっ!?」 「はぁ〜……なるほどなぁ…」 ケロが突然大声を出すものだから、さくらも同じように驚いてしまう。 しかし、当のケロはさくらのことなどお構いなしで何やらしきりに頷いたりしている。 「ケ、ケロちゃん?」 さくらの声で、ケロははっと我に帰る。 「ああ、すまんすまん……で、さくらはその言葉の意味を知りたいっちゅーんやな?」 「うん」 それを聞いて、ケロはちょっと考えこむ。 (さ……って、ワイが言ってええもんかな?) 心情的には自分が言うのもあれかと思うけれど、目の前のさくらを見ていると別に教え るぐらいはいいかなという気にもなってくる。 (ま、小僧も頑張ったし、な) どうするか決めたケロは、むくっと体を半分だけ起こしてさくらのほうを向いた。 「我・愛・汝っちゅーのはな、英語で言うとI love youっちゅー意味なんや」 「え?」 それを聞いて、さくらの顔がぼぼっと赤くなる。 「あ、あい、らぶ?」 「まぁ、もーちょい分かりやすく言うとやな……」 そう言ってケロは、びしっと決めてさくらを見る。 「さくら、愛してる……! ってとこやな」 「ほっ、ほえぇぇぇぇぇぇっ!!」 さくらは、がばっと凄い勢いで起き上がると、先程にも増して真っ赤な顔になってケロ のほうを向いた。 「そ、そんな……からかってるん、だよね?」 「ウソは言うてへんで。ほんまにそう言う意味なんや」 「で、でも……」 さくらは、うつ伏せにベッドへ倒れこむと、そのまま枕に顔をうずめた。 「そんな……わたし……」 そんなさくらを見ていたケロは、ふわふわと飛ぶと机の引き出しにある自分の部屋に入 っていった。 「ほな、ワイはそろそろ寝るわ」 「……」 しかし、さくらは枕に顔をうずめたままなんの反応もしない。 ケロは、ふっとため息をついた。 「さくら。小僧の気持ちは、ちゃんとさくらに伝わっとるはずや。後は、さくらがそれを どう受け止めるか、や」 「……う、ん……」 「お休みな、さくら。はよ寝るんやで」 そう言ってケロは、自分のベッドにもぐりこんだ。 でも、さくらはそのままの体勢で動かなかった。いや、動けなかったと言うほうが正し いかもしれない。 それだけ、ケロから聞いた言葉は衝撃的だった。 (小狼君が、わたしのことを好き……) さくらは、口の中で反芻してみる。 言われてみれば、そうだったかもしれない。
最近、自分と顔を会わせるたびに真っ赤になる小狼。 観覧車の中で、何かいいたげだった小狼。
思い返してみれば、きりがないほど小狼の自分に対する想いが浮かんでくる。 最後の言葉だって、消えかけている意識の中で、それでも必死に。 (じゃあ、わたしは?) 「さくら」は、小狼の事をどう思っている? (小狼君の事は……好きだよ) 友達として? (違う…) じゃあ、恋人として? (わからない……) 「雪兎」に抱いていた思いと同じ? (それとは、違う……もっと別の…) 彼を想うと、心が切なくて? (でも、どこか心があったかくなれて…) 小狼が居なくなるかもしれないと思った時の、押しつぶされそうな感じは? 恋人と間違えられて、恥ずかしくて、でも、なぜか嬉しかったあの気持ちは? 二人っきりの観覧車、なんで、あんなにドキドキしたの? (そういえば……)
華血刃は言っていた。 「さくら」にとって、小狼はどんな存在なのか。 (あの時は、答えられなかった) 自分の本当の気持ちが、わかっていなかったから。
もう一つ、言っていた。 《できれば、自分の気持ちについて考えておいてくれないか? …アイツのためにもな》
(あいつって……小狼君のことだったんだ) 華血刃は知っていた。小狼が、「さくら」のことをどう思っていたのか。 それだけじゃない。 ケロも、知世も、その事を知っていた。 (知らなかったのは、わたしだけ) 見つけなきゃ、本当の気持ち。本当の想い。 答えは見つかる。 今はまだあやふやな形だけど、きっと、ちゃんとしたカタチにできるから。 (ぜったい、だいじょうぶ) 今は、ただかんがえよう。 小狼との思い出を。 小狼への想いを。
フェニックスランドの戦いより3日。 小狼はあれから丸一日眠り続けていた。 ただ、目覚めてからの回復は良好で、まだ少し眠気が残ると言う以外は特にこれと言っ た問題はない。 明日帰ってくる偉(ウェイ)に余計な心配をかける事はないだろうというのは不幸中の 幸いといったところか。 そんな、ごく普通の昼頃に、少し変わった客が訪れた。 その客は、今、目の前で小狼の淹れた茶をすすっている。 「……すみませんね、お見舞いに来たのに、ごちそうになってしまって」 そういって、エリオルはティーカップを皿の上に置いた。 一方の小狼は、やや憮然とした表情でそれを見ている。 「いや、かまわない。お前には借りもあるしな」 「借り、ですか?」 「ああ」 小狼は、自分もティーカップを取るとその中の液体を一口、こくりと飲み込む。 「フェニックスランドの戦いの時、俺達に力を貸してくれたのはお前だろう?」 しかし、一方のエリオルは飄々として答える。 「さあ、なんのことでしょう?」 そんなエリオルの態度を見て、小狼は一つため息をつく。 エリオルの性格から考えて、彼が本当の事を素直に話す事はないだろう。 そう思って、小狼は質問を変える。 「…じゃあ、今日は何をしに来たんだ?」 「ですから、お見舞いですよ」 「だから、そうじゃなくて……」 苛立っているのか困っているのかわからないような顔をしている小狼を見て、エリオル は密かにほくそえむ。 「じつは、あなたにお届けものがあるのですよ」 そう言ってエリオルは両手を軽く前に差し出す。 すると、両手の間に光が集まり、その光は形をなして、やがてそれは一振りの日本刀に なった。 それをみて、小狼はまともに顔色を変える。 「それは……!」 「ええ、華血刃です。フェニックスランドに放置されていたのをわたしが拾っておきまし た。ちゃんと封印も施してありますよ」 小狼はエリオルから刀を受け取り、鞘から少しだけ抜いてみる。 鞘から除く刀身は、小狼がはじめて手にしたときと同じような銀色だった。 それを確めている小狼を見ながら、エリオルはぽつりと話し始めた。 「……今回の事件は、私にとっても予測外のことでした」 エリオルの言葉が聞こえて、小狼は顔を上げる。 「クロウの予知では、華血刃があなたの手に渡るのは数年後、鳳鬼も、その時に活動をは じめるはずでした。しかし、現実にはずれが生じた。 そのため、行動を起こすのが後手に回ってしまった……」 「……」 「ですが、信じていましたよ。あなたとさくらさんなら、ぜったいに大丈夫だと」 「……あいつは…」 華血刃を鞘に収めながら、小狼は口を開いた。 「鳳鬼は、どうなった?」 「……滅びましたよ。探し物が見つかったんだそうです。次に生まれる時は、彼とはまっ たく違う存在になっているでしょう」 「そうか……」 小狼は、そう言って華血刃を脇に置いた。 今やっと、華血刃はその宿願を果たすことが出来た。小狼は、その事を心の中で華血刃 に伝える。 華血刃もまた、小狼に対する感謝を心の中で伝えた。
それからしばらくして、カップの中のお茶がなくなるとエリオルは席を立った。 「帰るのか?」 「ええ、李君の元気な様子を見られましたから、安心しましたし」 エリオルはそう言って、ぺこりと頭を下げた。 「それでは」 「ああ」 小狼は、エリオルを玄関のところまで見送っていたが、不意に、ある疑問が頭に浮かん だ。 「あ、柊沢……」 「はい?」 エリオルは、小狼の声に後ろを振り向く。 「なにか?」 「き、聞きたいことが、あったんだけど……」 「はあ」 そこで小狼は一つ咳払いをしてからエリオルのほうを向きなおす。 「おっ、おまえは、さくらのこと、どう、思って、るんだ…?」 その言葉は、だんだん聞き取りずらいほど小さな声になって消えてしまう。 みれば、小狼も顔を真っ赤にしていた。 それを見て、エリオルはまたもくすりと笑った。 「……大切な方ですよ、さくらさんは。私にとってね」 それを聞いて、小狼は少し落胆したような顔を見せる。 「そ、そうか…」 「ただ……」 エリオルは、小狼に向かい合ってにっこりと微笑む。 「私の「大切」と李君の「大切」では、その意味がまるで違いますけどね」 エリオルの言葉に、小狼はちょっとあっけにとられたような顔になる。 そんな小狼を見て、エリオルはふわっとした微笑みを見せた。 「大丈夫。あなたの『想い』は、きっとさくらさんに伝わっていますよ」 「……ああ。ありがとう……」 小狼も、エリオルに向かって穏やかな微笑みを浮かべた。
時間は少し戻って小狼のマンションへ向かう道の途中。 さくらは、3日間学校を休んでいる小狼のところへお見舞いに行こうとしていた。 その途中で、見知った後姿を見つける。 「知世ちゃ〜ん!」 知世も、さくらの声に気付いて振り返った。 「まあ、さくらちゃん」 さくらは、急いで知世のところに駆け寄る。 「こんな所で出会うなんて、奇遇ですわね。どちらへ行かれるのですか?」 「えっとね、わたし、小狼君のお見舞いに行くんだ」 「まあ、ますます奇遇ですわ!」 知世は、ぱっと顔を輝かせてぽんと手を合わせる。 「私も李君のお見舞いに行こうとしていたところなんです」 「知世ちゃんも?」 「ええ。おいしいケーキが出来ましたので、李君に持っていって差し上げようかと思いま して」 そう言って、知世は手にしたバスケットを掲げて見せる。 「そうなんだ。小狼君、きっと喜ぶよ!」 「ええ。ですけど……」 そこで、知世はさくらに微笑みを投げかける。 「さくらちゃんがお見舞いに行くんでしたら、きっと李君、そちらの方が喜ばれますわね」 「そ、そうかな…?」 さくらはぽっと頬を赤くしてうつむき加減になる。 その反応を見て、知世はちょっと驚いたが、すぐにいつもの微笑みに戻る。 そして、いつものようにさくらを励ます。 「ええ、きっと喜んでくださいますわ」 「だったら、いいな……」 知世はこれから起こることにちょっぴりわくわくしながら、さくらを伴って小狼のマン ションへと向かった。
そして、小狼の部屋の前。 「さ、到着しましたわ」 「う、うん」 普段通りの知世に対し、さくらはどこか緊張したような感じである。 そんなさくらを見て、知世はくすりと笑ってチャイムに手をかけようとした。 「あ、と、知世ちゃん!」 さくらの制止の声に、知世はチャイムを押そうとした手を止める。 「はい?」 「あ、あの……ちょっと、待って……」 そういうと、さくらはその場で深呼吸を始めた。 深い呼吸を繰り返して、緊張をほぐそうとしている。 「すぅ〜………はぁ〜……すぅ……はぁ……」 そしてさくらは、意を決したようにこくりと頷いた。 「……うん、いいよ」 まるで、『最後の審判』に立ち向かうかのようなさくらの姿に、知世は思わず笑みをこぼ す。 (ですけど、これから起こる事は、さくらちゃんにとっては『最後の審判』ですわね) 心の中でそう呟くと、さくらに一つ頷いて見せてドアのチャイムを押した。 同じ調子の電子音が2回繰り返される。 それから少し間を空けて、ドアが開いて、そこから人影が出てきた。 「いらっしゃい、さくらさん。そろそろ来る頃だと思いましたよ」 「エ、エリオル君!?」 「柊沢君も、李君のお見舞いですの?」 「ええ。ですけど、もう私の用は済みましたので」 そう言ってエリオルは、さくら達をドアの内側へ通すとそれと入れ替わりに自分が外に 出た。 「さくらさん、今回は、ご苦労様でした」 「あ、う、うん。ありがとう、エリオル君」 「いえ。それでは、また」 エリオルはさくら達に向かって一礼すると、さくら達がドアの中にいることを確認して ドアをゆっくり閉めた。 エリオルが去った後を見ていたさくら達に、後ろから声がかけられた。 「大道寺……それに、さくら…」 その声を聞いて、さくらの胸がどきんと高鳴る。 後ろを振り向くと、いつもの服に身を包んだ小狼の姿があった。 「小狼、君…」 さくらは、だんだん赤くなってくる顔を隠すように顔をうつむかせる。 そんなさくらを代弁するように、知世が小狼に話しかけた。 「李君、お加減はよろしいんですの?」 「ああ。魔力は元通りとは行かないが、日常生活を送る分にはなんの支障もない」 「まあ、それはよろしかったですわ」 そういって、知世は手にしたバスケットを小狼に差し出した。 「あの、私、ケーキを焼いてきたんですの。よろしかったら召し上がってくださいな」 「そうか、わざわざ悪いな」 そういって、小狼は知世からバスケットを受け取る。 「立ち話もなんだし、上がったらどうだ? すぐにお茶も淹れるが…」 けれど、知世はその申し出に首を横に振った。 「いえ、私はこれを届けに来ただけですので。ですから、お茶はさくらちゃんにごちそう してあげてくださいな」 知世はくるりと降りかえると、さくらのほうを見てにっこり微笑む。 「ね、さくらちゃん?」 「え、え?」 それをきいて、さくらはまともに戸惑う。 しかし、知世はそんなことにお構いなしでさっさとドアのところに向かう。 「それでは李君、さくらちゃん、私はこれで」 知世は礼儀正しくお礼をすると、半ば呆然としている二人を尻目にドアの向こうへと姿 を消していった。 突然の流れに、しばし呆然とするさくらと小狼。 けれど、そのままではなんだと思った小狼はさくらに声をかけた。 「さ、さくら……」 「は、はいっ!」 さくらは、過剰なまでに反応して返事をする。 小狼は、いつもと違うさくらの反応に違和感を憶えながらも、さくらを家の中へと案内 した。
小狼の案内にしたがって、さくらはリビングのソファに座っている。 小狼は、キッチンのほうでお茶を淹れているはずだ。 さくらも一応手伝いを申し出たのだが、小狼にやんわりと断られてしまったのだ。 実は、小狼も小狼で現在の状況に戸惑っていたのだが、さくらにそんなことが分かろう はずもない。 そんなわけで、さくらは緊張しながら小狼がやってくるのを待っているのである。 「言わなきゃ……」 さくらが、そう、ポツリと呟いた時、ちょうど小狼がお茶とケーキを持ってキッチンか ら出てきた。 小狼は、さくらが自分に気付いていないようだったので、声をかけてみる。 「さくら?」 「ほ、ほえっ!」 さくらは、一瞬体をビクッと震わせると、ばつが悪そうに小狼のほうを見た。 「あ、しゃ、小狼君」 「すまないな。待ったか?」 「う、ううん! 全然待ってないよ!」 「…そうか」 そう言って小狼は、さくらの前にお茶とケーキを置いていった。そして、同じ物をさく らの向かい側において自分はそちらの席に座る。 さくらは、しばらく小狼のほうを見ていたが、だんだん緊張が増してきて、それをほぐ そうとしてお茶に口をつけた。 そのお茶を口に含んだ時、なんだか憶えのある味にさくらは驚きの顔になる。 「これって……」 「ああ。前に、お前が好きだって言っていたお茶だ。この前、たまたま見つけたんだ」 「小狼君……」 さくらは、なぜだか心が温かくなった。 前に一度しか言わなかった些細なことを憶えていてくれたことが、なぜだかとても嬉し かった。 その思いが、さくらの緊張をいくらか解きほぐしたようだった。 「小狼君、ケガとかは大丈夫?」 「ああ」 「でも、魔力がまだって…」 「ああ、そのことか。さっき、柊沢に聞いたんだけど、華血刃を使った反動らしい」 「反動?」 さくらの言葉に、小狼は頷く。 「解放された華血刃の力は、今の俺が扱うには少しばかり大きすぎる力だったんだ。それ を無理に使ったものだから、その反動でしばらく一切の魔力が使えない状態になるらしい」 「そんな……」 さくらの心配そうな顔を見て、小狼はふっと微笑んで見せた。 「魔力が使えないって言っても、せいぜいが1週間程度なんだそうだ。そんなに心配する ことはない」 「うん…そうだね」 その言葉に、さくらもやっと笑顔を見せた。さくらの笑顔にホッとする小狼。 さくらは、深く息をついた。 「あ、あの……小狼君」 「ん? なんだ?」 「あ、えっと、あのね……」 さくらは言葉を続けようとするのだけれど、上手く言葉が出てこない。 ケロに小狼の言葉の意味を教えてもらってから、ずっと考えていた。 自分の本当の想い。小狼への答え。 ずっと考えて、やっと出た答え。 それを、ちゃんと小狼に伝えたい。 さくらは深呼吸をすると、改めて小狼のほうに向き直った。 「あのね、わたし、ケロちゃんに小狼君が言ってた言葉の意味を教えてもらったの」 「俺の、言葉?」 「うん……3日前に、小狼君が気を失っちゃう前に言ってくれた言葉だよ」 そう言われて、小狼はようやくそれらしい言葉に思い当たった。 と同時に、小狼の顔が瞬間湯沸し気よろしく真っ赤になる。 「えっ!? なっ…!」 さくらの言葉に、小狼はまともに慌て出す。 だって、あの言葉は、てっきり夢の中で言ったものだと思っていたのだから。 それが、まさか現実に言葉に出来ていたとは。 小狼は、なんとか自分の心を抑えつける。 「そ、そうか…」 「うん…」 そこで、さくらはいったん言葉を切る。 「それから、わたし、ずっと考えてたんだ。わたし、頭よくないけど、一生懸命考えたん だ……答えがなかなかでなくて、お見舞いに来るのが遅れちゃったんだけど……」 小狼も、黙ってさくらの言葉を聞いている。 ここまで来た以上、小狼も覚悟を決めたようだ。 「それで、わかったの。わたしの、本当の想い」
「わたしは……」
「わたしは……わたしは、小狼君のことが好き」
言えた。 そう思ったら、さくらの心がなんだかすぅっと軽くなった。 つっかえていた物がなくなったように、とても澄んだ気持ちになってくる。 言われた小狼は、ぽかんとした顔をしていた。 「い、今……なんて……?」 我ながらまぬけなことを訊いているなと小狼は思う。 でも、聞こえてきたその言葉がにわかに信じがたいことであるのも、また確かなのだ。 戸惑いを隠せない小狼に対して、さくらはこれ以上ないほど澄んだ笑顔で応える。 「私は、小狼君のことが好き。わたしのいちばんは、小狼君だよっ!」 こんどは、さっきよりもずっとはっきりした言葉で。 それが、小狼に夢でも幻でも、もちろん聞き間違いなんかでもないことをはっきりと確 認させる。 そうしたら、小狼の胸の中から嬉しさがふつふつと込み上げてきた。 それは、抑えようとしても、とても抑えられるようなものではないほどに。 「……ありがとう」 胸がいっぱいで、ただ、その一言を言うので精一杯だった。 「それと……ごめんな」 その言葉に、さくらはきょとんとした顔をする。 「なんで、小狼君が謝るの?」 「その……ちゃんと、さくらが分かる言葉で伝えられなくて……」 小狼はばつが悪そうに頭を掻いたが、さくらは静かに首を横に振った。 「いいの。小狼君、気を失いそうだったのに、精一杯気持ちを伝えてくれたんだもん。そ れに……わたしも、小狼君に謝らなきゃいけないし」 「俺に?」 「うん。いままで、ずっと小狼君の気持ちに気付けなかったから……」 「いや、いいんだ。さくらが気付いてくれても、俺が自分で言えなきゃ意味がないし、そ れに……」 そう言って、小狼は恥ずかしそうに頬を赤くする。 「きっと、そう言うところも含めて、お前のことが好きなんだと思うから……」 小狼にそう言われて、さくらの顔も真っ赤になる。 「あっ、ありがとう」 二人は、それから上手く言葉が出ずに黙りこむ。 でも、そんな時間も嫌な感じはしなかった。 気持ちを通じ合わせて、同じ時間を過ごせるだけで嬉しかった。 この時間から、これからの二人が始まっていく。 なんだか、そんな感じがした。
その頃、マンションの屋上にエリオルとスピネル、奈久留の姿があった。 そのエリオルの手には、小狼の部屋にあったはずの華血刃が握られている。 エリオルが華血刃を握っている手を差し出し、手を離すと、華血刃はその場に浮かび上 がる。 「本当に、いいのですか?」 そんなエリオルの問いに、華血刃が心の声で答える。 《ああ。わたしの役目はもう終わった。これ以上ここに留まる理由もないしな》 「彼に、別れを告げてもよかっただろうに」 その問いには、華血刃は沈黙をもって答える。 エリオルも、それが華血刃の返答だと思って納得した。 「では…」 そう言って、エリオルは杖を取り出す。 その時、スピネルが何かに気づいてエリオルに声をかけた。 「エリオル…」 「ああ、わかっている」 エリオルは杖をいったん降ろすと、屋上の出入り口のほうを見た。 すると、少ししてからドアが開き、その中から小狼とさくらが姿を現した。 それを見て、華血刃は驚きの声を上げる。 《小狼、サクラ……なぜ、ここに…》 その声に、小狼はやや苛立った声で答える。 「それはこっちのセリフだ! こんな所で何をやっているんだ!」 すこし、頭に血が昇っている小狼に代わってさくらが事の成り行きを説明する。 「わたし達、ちょっと前に華血刃さんがいないのに気付いて探してて、それで、こっちの ほうから気配がしたから来て見たんだけど…」 エリオルは、ふっと微笑む。 「華血刃を、香港に戻そうとしていたところなんですよ。間に合ってくださって何よりで す」 それを聞いて、さくらと小狼は驚いた顔をする。 「香港に帰るだって!?」 「な、なんで!?」 二人に対して、華血刃は穏やかな口調で話し始める。 《私の役目はもう終わったのだ。だから、これ以上ここにいるわけには行かない》 「でも……」 《私の力は、この世界に存在するには大きすぎる、『破壊』の力なのだ。そんなものが、平 和な世に存在しているわけには行かないのだ》 華血刃の言葉に、二人は黙り込んでしまう。 その二人に、エリオルが華血刃の後を引き継いで言った。 「彼は、お二人との別れが辛くなるのを知っていて、黙っていこうとしていたんです。先 に話しましたが、彼の本当の力は今の李君が制御できるものではありませんし。 それに、強い力は、同質の力をひきつけると言いますから」 その言葉に、二人は納得した。 確かに、今度またこんなことが起これば、自分達がよくても華血刃にとってはつらいこ とになるだろう。 「だが、別れの言葉ぐらいは、言って欲しかった」 《すまない……正直、そう言ったことは苦手なんだ》 「華血刃さん……」 小狼達の様子を黙ってみていたエリオルが、二人に声をかける。 「では、そろそろ……」 「あ、ああ」 そう言って、小狼とさくらは華血刃のそばから離れる。 華血刃の元に魔法陣が現れ、その姿が徐々に光に包まれていった。 「華血刃さん、いろいろ、ありがとうございました」 さくらが、泣き笑いのような顔でこれまでのお礼を言う。 華血刃を包む光は、ますます強くなっていった。 小狼は、華血刃を見つめ続けると、ぽつりと一言だけ呟く。 「……またな」 《ああ……》 華血刃は、光に包まれて輝く一個の球になる。
《お前が、美しい花嫁を連れて帰ってくるのを、待っている》
そう言い残し、華血刃は空の彼方へと飛び去っていった。 それを見送ったさくらと小狼は、不意に顔を見合わせる。 すると、さっきの言葉を意識でもしたのか、二人の顔はみるみる真っ赤になった。 (花嫁……か…) (小狼君の、お嫁さん……?) 顔を真っ赤にしてうつむいていた二人が、同時に顔を上げて再び目が合う。 すると、お互い同じことを考えていたことがなぜだかわかって、なんだかおかしくなっ てきた。 その場で、二人は顔を見合わせて笑いあう。 そんな二人を見て、エリオルはすっとマンションの中へと戻っていった。
マンションの玄関を出た時、エリオルは近くにいる知世の姿を見つけた。 「大道寺さん?」 「まあ、柊沢君」 「どちらへ?」 「ええ、まぁ、ちょっと」 エリオルと知世はお互いに含み笑いをし合う。 後ろでスピネルと奈久留がちょっと引いているが、それはないしょである。 「でしたら、少し急いだほうがいいかもしれませんね」 「ええ。それでは」 そう言うと、知世は慌しげにマンションの中へと消えていった。 その姿を見ながら、エリオルはポツリと呟く。 「これからも、退屈はせずにすみそうだな……」 「柊沢エリオル」としての生涯も、楽しいものになりそうだと、エリオルは心の中で呟 いた。
そのちょっと後に、知世は屋上に着いて、ビデオカメラを回していた。 被写体は、楽しそうに笑い合う男の子と女の子。 それは、見ているほうが幸せになってしまいそうな二人だった。
これから何があるのかなんて、誰にもわからないけど。 二人の『想い』が一つに重なり合えるのだったら。 どんな形でだって、きっと、ハッピーエンドは迎えられる。
でも、さくらと小狼は、今、まさにスタートを切ったばかり。
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