七星勇者フェリスヴァイン
第11話 「信頼の雷光」
沙耶香を乗せたリムジンが走り去ったのを見た後、瞬は陽司たちに連れられてBBS長
崎支部へと向かっていた。そこは、郊外の科学研究所を装っており、同行していたリリィ
の案内により、瞬達はBBS長崎支部の司令室へと通される。
長崎支部のほぼ中央にあるそこでは、BBSの制服に身を包んだ女性が凛と佇み、瞬達
がやってくるのを待っていた。
支部長「お待ちしておりました。星崎総司令」
陽司「いや、色々と手間をかけてしまって、申し訳ない」
支部長「いえ、こちらの不手際ですので、どうかお気になさらず」
支部長はふわりと微笑んで陽司に応対する。支部長はその視線を、仏頂面をして立って
いるリリィのほうに向けた。
支部長「羽丘博士、ごくろうさまです」
リリィ「ホント、面倒かけないで欲しいわ」
リリィはそう言ってため息をつき、支部長がそれを見て苦笑する。そうして支部長は、
最後に瞬の方に顔を向けた。
支部長「あなたが炎の勇者のビーストマスター、星崎瞬君ですね?」
瞬「は、はいっ」
瞬が緊張して答えている様を見て、支部長は「くすっ」と笑いをもらす。それをみて、
なぜか既視感に陥る瞬。支部長は少し肩の力を抜き、右手を自分の胸元にかざした。
支部長「お初にお目にかかります。私、BBS長崎支部の支部長を務めさせて頂いている
草薙葵(くさなぎ あおい)と申します」
支部長はそこでいったん言葉を区切り、少し困ったように笑った。
葵「……娘がご迷惑をおかけしましたね」
瞬「え? あの、娘って?」
瞬の考えを肯定するように、葵は微笑みながら頷く。
葵「ええ。沙耶香は、私の娘です」
そう言ってにっこりと笑う葵を、瞬はあっけに取られながら見ていた。改めて見てみれ
ば、目の前の女性は、確かについさっき別れたポニーテールの少女とよく似ている。
葵は目をぱちくりさせている瞬を見て微笑んでいたが、キッと表情を引き締めて陽司の
方を見た。
葵「星崎総司令。来ていただいたばかりで申し訳ないのですが……」
陽司「ええ、わかっています。プラズマシャトルの件ですね?」
葵「はい。こちらでも改良は加えていますが、解決できない部分も多いのです。
それで、完全なドライブオン・システムを有している星崎総司令のお力をお借りした
いのです」
陽司「私で力になれるのならば、お力になりましょう。草薙支部長」
葵「ありがとうございます。詳しい話はこちらの……」
その葵の言葉を受けてか、リリィが葵の隣に移動する。葵はリリィに手をむけ、陽司と
瞬に紹介した。
葵「羽丘博士にお聞きになってください。プラズマシャトルの開発責任者です」
リリィ「羽丘リリィよ。よろしく」
リリィは会釈をするわけでもなく、言葉だけの挨拶を済ます。
リリィ「さっそくだけど、コマンダーを見せてもらえる?
できれば、ドライブ・オンされている状態が望ましいんだけれど」
陽司「あ、ああ。瞬」
瞬「あ、うん」
瞬は陽司に促されて、フェリスにコマンダーを向けた。それに、フェリスも頷いて了解
の意を示す。
瞬「ドライブ・オン!」
コマンダーから放たれた光に導かれ、フェリスの体がコマンダーの中に吸い込まれてい
く。赤い光となったフェリスをそのうちに収めたコマンダーを、瞬は陽司に手渡した。陽
司は、瞬から受け取ったそれをリリィに手渡す。
ビーストコマンダーを受け取ったリリィは、それに軽く目を落とすと、再び陽司を見上
げた。
リリィ「それじゃ、早速解析に掛かるから。ついてきて」
陽司「あ、ああ……」
矢継ぎ早に指示を出して、司令室を去ろうとするリリィ。陽司もそれについていこうと
したところで、瞬が慌ててリリィを呼び止めた。
瞬「あ、あのっ」
リリィ「……何? 勇者のことなら、心配しなくてもいいわよ」
リリィは面倒くさそうに返す。
瞬「そうじゃなくて、ボクに手伝えることってないのかな?」
リリィ「……倒れたお姉さんの様子でもみてて。お兄さんじゃ役に立たないから」
陽司「後のことは、葵さんに頼んであるから、葵さんの言うことを聞くんだぞ」
陽司がそういい終わらぬ前にリリィは陽司を引っ張って出て行ってしまい、残された瞬
はあっけに取られる。葵はその様子を苦笑してみながら、瞬に声をかけた。
葵「リリィちゃんにも困ったものですね」
瞬「葵さん」
葵「瞬君、あの子を悪く思わないで上げてくださいね。少し責任感が強くて強がりなだけ
で、本当はとてもいい子ですから」
瞬「は、はい」
瞬はそう答えたが、さっきのリリィの様子と葵の言葉が今ひとつ一致せず、複雑な顔に
なる。百面相をしている瞬を面白そうに見つめながら、葵は次のことを切り出した。
葵「では瞬君。今日は私の家にお泊りになってください。娘も、首を長くして待っていま
すから」
そういう葵の顔は、支部長のそれではなく「母」としての顔だった。
その頃の、暗黒の使徒の基地・ゲシュペンスト。
黒鍵獣の素体を収めたカプセルの前で、ブリントが必死な面持ちでコンソールを操作し
続けていた。素体の状態を表示したディスプレイに、次々と文字が羅列されていき、それ
に従い素体に手が加えられていく。が、すぐに素体を現す図形が赤に染まり、エラー音が
鳴り響く。
ブリント「クソッ!!」
ブリントは毒づき、コンソールに拳を叩きつける。砕けたコンソールから火花が散り、
ギリッという歯軋りの音が響く。
ブリント(余計な邪魔さえ入らなけりゃ……!)
黒騎士を出し抜くべく、無断での単独出撃。そのために用意した黒鍵獣はエリオスロー
ドの能力を考慮して、確実にエリオスロードを倒せるはずだった。だが、フェリスという
予定外の要素が入り込んだせいで、その目論見はあっさりと崩れ去ってしまった。
ここ最近の失敗続きで風当たりがただでさえ冷たくなっているというのに、今回の失態
が闇元帥の耳にでも入れば、失脚は免れないだろう。それだけは、なんとしても避けねば
ならなかった。
そして、追い詰められたブリントの口元に、壮絶な狂気の笑みが刻まれる。
ブリント「こうなったら、アレを使うしかねぇなァ……!」
ブリントはコンソールを手早く操作して、素体をカプセルに戻して機械から取り出す。
そして、調整機に背を向け、どこかに向かって歩き出した。
残されたディスプレイには、「グラールレオン」という表示だけが残されていた。
葵から、自分の家に泊まるよう言われた瞬は、BBS長崎支部にリムジンで迎えに来た
倉之助に連れられ、葵の家へと向かっていた。
そして、たどり着いたそこは家というよりも「屋敷」という表現がしっくりくるほどの
平屋作りの屋敷で、立派な門構え、その先に広がる日本庭園に、瞬はただただ圧倒されて
いた。
瞬「う……わぁ……」
倉之助「ささ、瞬殿こちらへ。お嬢様がお待ちです」
瞬「は、はい」
倉之助に促され、瞬は屋敷の中へと通される。廊下を歩き、中庭を臨む縁側を通りとお
されたそこは、おおよそ10畳の畳敷きの応接間だった。その部屋の中央に置かれた机の
前に、寝間着姿の沙耶香が座していた。
その姿に、思わずはっと息を呑む瞬を横に、倉之助は瞑想をするかのように目を閉ざし
ている沙耶香に声をかける。
倉之助「お嬢様」
沙耶香「……倉之助?」
沙耶香はゆっくりと目を開け、倉之助の方に目を向ける。その隣にある姿を認めると、
その顔に花が綻んだような笑みが広がった。
沙耶香「星崎君!」
瞬「草薙さん……よかった、大丈夫だったんだね」
沙耶香「ええ。このような姿で失礼いたします」
沙耶香は、少し恥ずかしげに笑った。
倉之助「さ、瞬殿、こちらにお掛けになってください」
倉之助にそう促され、瞬は沙耶香の向かい側の席に座った。
倉之助「では、後ほどお茶と茶菓子を持って参ります。どうぞ、ごゆっくり」
倉之助は折り目正しく一礼すると機敏な動作で部屋から退出していった。
部屋に二人きりとなり、瞬と沙耶香は改めてお互いに向かい合った。穏やかに落ち着い
てみせる沙耶香に対し、瞬はどこか居心地なさげで落ち着かない。慣れない場で落ち着い
ていない瞬のことを察し、沙耶香は自分のほうから話を切り出した。
沙耶香「星崎君。こうして、落ち着いて顔をあわせるのは初めてでしたわね」
瞬「う、うん」
沙耶香「昼間は無礼なまねをして申し訳ありません。驚かれたでしょう?」
瞬「う、うん。まあ、ね……」
沙耶香の言葉にどう答えたものか、瞬は少し困って苦笑して場を濁す。それにつられた
かのように、沙耶香も苦笑した。ただし、こちらはいたずらがばれてしまった子供のように。
沙耶香「すみません。BBSで堅苦しく顔をあわせるよりも早く、素顔の星崎君とお会い
したかったものですから」
瞬「素顔の、ボク?」
沙耶香は、瞬の言葉にこくりと頷く。
沙耶香「私、ずっとドキドキしてたんです。炎の勇者のパートナーって、どんな人なんだ ろうって」
瞬「……」
沙耶香「だから、嬉しかったんですの。私の仲間が、星崎君のような人で……」
半ば憧れのような表情で沙耶香に見つめられ、瞬の頬があっという間に朱に染まる。こ
んな状況になれていない瞬は表面的には固まっていても頭の中はパニック寸前で、何とか
話題を変えようとあまり動かなくなってきた頭をフル回転させる。
瞬「く、草薙さんっ!」
沙耶香「……はい?」
瞬「草薙さんは、どうしてエリオスのパートナーになったの?」
沙耶香「どうして……ですか?」
沙耶香はそう言って、何かを考えるように人差し指を唇の端へと添える。そして、ふと
何かを思いつき、瞬のほうを向き直る。
沙耶香「では、星崎君はどうして、フェリスさんと共に戦っているのですか?」
瞬「えっ?!」
柔らかな笑顔と共に返された同じ質問に、瞬は一瞬戸惑ってしまう。しかし、次の瞬間
には、考えるよりも先に瞬の口から答えが出ていた。
瞬「……友達だからだよ。会ってそんなに時間も経ってない。でも、ボクを助けてくれた、
ボクが力になりたいと思った、大切な友達だから……」
その答えを聞き、沙耶香も満足げに微笑んだ。
沙耶香「私も、星崎君と一緒ですわ」
瞬「草薙さん、も?」
その問いに、沙耶香はこくんと頷く。
沙耶香「私も、エリオスに助けてもらったんです。私の場合は、心を、なのですけど」
瞬「……心?」
沙耶香「ええ。こう見えて、結構私って気後れしてしまう方なんですよ。それこそ、エリ
オスと出会う前は何をするにも自信を持てなくて……」
そう苦笑混じりに話す沙耶香を、瞬は少し不思議そうに見つめる。出会って間もないと
はいえ、今の沙耶香とその言葉のイメージが重ならないからだ。そんな瞬の心の内を知っ
てか知らずか、沙耶香は言葉を続ける。
沙耶香「弱気だった私に、エリオスは『自分を信じる事』を教えてくれました。エリオス
が私を認めてくれたからこそ、私も自分を信じられた。
だからこそ、今度は私がその恩を返したい。エリオスと共に戦いたいと思うので
す」
瞬「ボクも……ボクと、ボクの友達のために命を懸けてくれたフェリスだったから、ボク
もフェリスの力になりたいって思った」
瞬も沙耶香の言葉に重ね、自分の思いを伝える。まったく同じではないけれども、それ
でも確かに感じあえるものを感じ、瞬はにっこりと笑った。
瞬「なんだか似てるね、ボク達」
沙耶香「ええ、本当に」
沙耶香もまた、瞬の純粋な気持ちに触れ、それに答えるかのように微笑む。暖かな雰囲
気に包まれながら微笑みあう二人は、まるで数年来の友人同士のようであった。
部屋の戸の袖でその様子を微笑ましく見つめていた倉之助は、そろそろ頃合とばかりに
部屋の中へと入り、二人に声をかける。
倉之助「お嬢様、瞬殿」
沙耶香「あら、倉之助」
倉之助「少々早うございますが、夕餉の支度が整いましたので、お話の続きはそちらでさ
れてはいかがですか?」
沙耶香「まあ、もうそんな時間ですの?」
沙耶香は、壁にかけてある古びた柱時計に目をやる。確かに、夕食というには少しばか
り早いが、会話を楽しみながらというのにはちょうどいいかもしれない。
沙耶香「では、そちらに参りましょう。星崎君、ご案内致しますわ」
瞬「あ、うん」
そう瞬が答え立ち上がる傍らで、沙耶香も倉之助の手を取り立ち上がる。沙耶香が立ち
上がったのを見届けた倉之助が先導して歩き出した時、ふいに、同じく歩き出そうとした
沙耶香が膝を崩した。小さな悲鳴を上げて崩れ落ちそうになった沙耶香を、近くにいた瞬
がとっさに支える。
沙耶香「あ、ありがとうございます」
瞬「草薙さん、やっぱり疲れてるんじゃ……」
沙耶香「いえ、心配には及びませんわ。エリオスが合体した後は、いつもこうなんですの」
沙耶香はそう気丈に笑って、今度こそしっかりと自分の足で立つ。瞬が沙耶香を心配す
る傍らで、倉之助が沙耶香の肩に腕を添えた。沙耶香はその意図を解して、回された腕に
片手をそっと添える。そうして沙耶香は、瞬に優しく微笑んだ。
沙耶香「そんなに心配なさらなくても大丈夫ですわ。そのために、星崎君のお父様に来て
頂いたんですから」
瞬「あ、そういえば……プラズマシャトルを直すんだっけ、確か?」
沙耶香「ええ。星崎君のお父様とリリィちゃんがいるんです。今度こそ、きっと……」
沙耶香はそう言って、願いを込めた眼差しで彼方を見やった。その一方で、瞬がリリィ
の名前を聞いて、先ほど役立たず呼ばわりされたのを思い出し、無意識に苦い顔をしてし
まう。
遠くを見ていた沙耶香がそんな瞬の様子に気づき、きょとんとして瞬を見やる。
沙耶香「星崎君、どうかなさいました?」
瞬「あ、うん……ちょっと、ね……」
瞬は苦笑いしながら、BBSであったリリィとの会話、というか役立たず呼ばわりされ
たことを話した。その話を聞いて、沙耶香は彼女の母・葵と同じように「やれやれ」とい
った風に苦笑した。
沙耶香「またやっちゃったんですね、リリィちゃん」
瞬「また、って?」
沙耶香「ええ。あの子、肩肘張っているところがありますでしょう?
ですから、ついつい物言いがきつくなってしまうみたいなんです」
本当は真面目で頑張りやなだけなんですけどね、と沙耶香は付け加えた。リリィが背伸
びをしているような印象は瞬も感じていたので、沙耶香の言葉に納得する。また、沙耶香
の言葉から、彼女がリリィをさながら妹のように心配しているのも感じ取れた。
今はまだBBSで作業を続けているであろうリリィに思いを馳せながら、沙耶香は言葉
を続ける。
沙耶香「リリィちゃんの才能は皆が認めています。もちろん、私も。
ですから、リリィちゃんにも、もっと皆を頼って欲しいって、そう思うんです」
言葉の端々から、沙耶香のリリィに対する思いが伝わってくる。瞬は、目の前の少女の
想いが少しでも伝わればとおもいながら、そうだね、と沙耶香の言葉に頷いた。
いくつも並べられたディスプレイ。所狭しと置かれた資料と機材の山。防護用の強化ガ
ラスがはめられた窓の先には、黄色い外装のスペースシャトルが闇の中でたたずんでいる。
プラズマシャトル開発のために作られたその研究所でリリィは目にも留まらぬ速さでキ
ーボードをタイプしていく。瞳に照らされる中で、プラズマシャトルのデータが次々と書
き換えられていく。
一通りの作業を終え、リリィはエンターキーを押し、ディスプレイをじっとみつめた。
やがて、ディスプレイにシミュレーションの結果が表示される。
リリィ「ッ!」
しかし、出た結果はリリィが望んでいたものには遠く及ばないものだった。苛立ちをぶ
つけるかのように机の空いた部分を叩きつける。突然の大きな物音に、室内にいた研究員
が驚いて振り返った。
リリィ(どうして? 一体、何がいけないって言うの?!)
悔しさで、強く奥歯を噛み締める。
いかに天才と呼ばれ、才気に溢れているといってもそこはやはり10歳の少女である。
何度試行を繰り返しても思うとおりの結果を得られないとなれば、焦りもすれば苛立ちも
する。むしろ、よくぞここまで堪えられているものだろう。
周囲の研究員がリリィを心配しながらも近付き難く感じている中、陽司がすっとリリィ
の下に行き、優しく声をかける。
陽司「リリィ君」
リリィ「……何?」
リリィは苛立ちも隠さず、睨み付けるようにして陽司を振り返る。陽司は優しい笑みを
絶やさずに言葉を続けた。
陽司「少し、休憩してきたらどうかな? その方がはかどるだろう」
リリィ「余計なお世話よ」
陽司「がんばるのはいいが、無理はよくない。君は……」
リリィ「子供だって言いたいのッ!?」
突然、かんしゃくを起こしたように声を荒げるリリィ。先ほどと違い、より攻撃的に、
顔を赤くして陽司を睨み付ける。
リリィ「子供だから任せられないって、頼りにならないって、そう言いたいのっ!」
陽司「いや、違う! リリィ君……」
リリィ「どうせっ! そんな、私だって……わか……ッ!」
何かを言いかけ、リリィはその言葉を無理矢理飲み込む。言葉と一緒に、胸にわだかま
っていたもやもやとしたものも飲み込もうとする。だが、長い間少しずつ蓄積されていっ
たそれは、幼い少女には押さえ込みがたいものだった。
押さえ込みがたい感情が、雫となって目じりからこぼれだす。
リリィ「……ッ!」
涙を見られたくない思いと、折れてしまいそうになっている心。それらの葛藤から逃げ
出すように、リリィは陽司に背を向け、研究室の外へと駆け出していった。
後ろで自分を呼ぶ陽司の声に心で耳を塞ぎ、ただ、そこから逃げ出すように走り続けた。
その連絡は、瞬と沙耶香が夕食を済ませ、互いの何気無い話に花を咲かせている時に届
いた。少々慌てた様子の倉之助に話を聞いた沙耶香は、僅かに眉を寄せる。
沙耶香「……リリィちゃんが?」
倉之助「はい。なんでも、不意に研究室を飛び出して一時間以上も帰ってこないとか」
BBSの中にいるのでは? ということも当然考えられたが、施設内のどこにも彼女ら
しい人影すら見つけられなかったと言う。どこかに隠れているのかもしれないが、BBS
の外に出てしまった可能性も捨てきれない。そこで、沙耶香たちにもリリィを探して欲し
いと言う話が来たと言うわけである。
いい加減、日も暮れてしまっている。10歳の少女を一人で歩き回らせるのは、普通に
考えてもよろしくない。
事情を知った沙耶香は、無言ですっと立ち上がった。
沙耶香「倉之助、仕度を」
倉之助「かしこまりました、お嬢様」
沙耶香の命に従い、倉之助が一礼して席を離れる。沙耶香が玄関に着く頃には手ごろな
車が一台回されていることだろう。次いで、沙耶香も外出の準備を始めるべく席を離れよ
うとする。
瞬「草薙さん、ボクも行くよ」
沙耶香「あ、いえ。星崎君はゆっくりなさっていてください」
瞬「ゆっくりしなきゃいけないのは草薙さんだよ」
苦笑しながらそういう瞬に、沙耶香は痛いところを突かれたとばかりに苦笑を返す。
瞬「それに、ボクも放っておけないよ、あの子の事。
少し会っただけだけど、なんだかあの子、寂しそうだったから……」
その言葉を聞き、沙耶香は驚いた顔で瞬を見た。ずっと近くに居ながらなかなか気づけ
なかったリリィの本質を、目の前の少年はごく自然な事として感じ取っていた。瞬がビー
ストマスターに選ばれた理由が分かったような気がして、沙耶香は微笑む。
沙耶香「……そうですね。星崎君、手伝っていただけますか?」
瞬「うんっ!」
沙耶香の言葉に、瞬は力強く頷いて答えた。
それから少しの後、瞬と沙耶香は倉之助が運転する車に乗ってBBSへと向かっていた。
まずはBBSの近くから、ということである。その間も、二人は「もしかしたら」という
思いから、目を凝らしながら窓の外を見つめ続けている。
瞬「ねえ、草薙さん」
沙耶香「……はい?」
瞬「この辺で、リリィちゃんがよく行きそうな場所、心当たりない?」
沙耶香「……なぜ、この辺りだと?」
頭の中でそれらしい場所をピックアップしていきながら、瞬に質問を返す沙耶香。その
間も、二人は窓の外から目を逸らしてはいない。
瞬「うん……リリィちゃん、確か、逃げるみたいに飛び出して行っちゃったんだよね?」
沙耶香「ええ、そのようですが……」
沙耶香は、答えながらそれと思しき場所を絞り込んでいく。
瞬「もし、ボクがリリィちゃんだったら、なるべくBBSから離れたいかなって思って。
それで、行き慣れてる、安心できる所に行こうとするんじゃないかなって思ったから」
沙耶香「……ええ、そうですね。私も、そう思いますわ」
沙耶香は微笑み、瞬の方を振り返って答えた。声の聞こえ方が変わったのに気づいて、
瞬も沙耶香のほうを振り向く。そこには、優しげな微笑みを浮かべた沙耶香の姿があった。
瞬が振り向いたのを見て、沙耶香はこくりと頷く。
沙耶香「倉之助。いつもの公園へ」
倉之助「かしこまりました。いつもの公園、ですな」
沙耶香の意を受け、倉之助はその目的地へと向かうべくハンドルを切った。
漆黒の闇が立ち込める回廊を、一匹の獣が疾走する。遮る空気を引き裂いて、通り過ぎ
た後には破壊を残し、狂気という灯火をくべられた鋼鉄の野獣が走る。
それは執念。それは野心。それは雪辱。
濃密に歪んだ『黒』を内に秘め、黒と黄を纏った鋼の狂獣が、黒の世界を駆け、青い大
地に舞い降りようとしていた。