七星勇者フェリスヴァイン
それは、瞬とフェリスが出会うよりも以前の物語。
北の地で、一人の少年が見えない絆に引き寄せられ、一人の勇者と出会う。
とある勇者誕生の物語である。
北海道、札幌。
黄昏の朱があたりを染め上げる林の中を一人の少年が歩いていた。
別に、なにか目的があったわけではない。ただ、口うるさい姉貴分から少し逃げたかっ
ただけだ。
少年は、目的なく歩きつづける自分にそう理由付けて、なおも歩を進める。
本当に理由なんてない。ただ、歩いていくその先に、自分をどきどきさせてくれるよう
なものがあるような気がする。そんな漠とした予感に惹かれていくように、少年は歩きつ
づけていた。
そして、雑木林を抜ける。
遮るものがなくなった夕日が遠慮なく少年の目に飛び込んでくる。その眩しさに、少年
はわずかに目を細める。
見慣れているはずの、町を見下ろす小高い丘。そこに一つ、異質なものが存在していた。
「……っ」
逆光を受け、なお金色に光る毛皮。肉食獣の獰猛なまなざし。頑強でありながらもしな
やかな四肢。
そこに居たのは、一匹の虎だった。
その非日常的な光景に、少年は緊張に包まれ、ぐっと息を殺す。だが、それと同時に不
思議な高揚感にも包まれ始め、その虎から目を離すことができなくなっていた。
いつ気づかれるかもしれない緊張の中で見つめるその虎は、ただ美しかった。
もう少し近づこうかと、少年は足を前に出す。だが、そのとき少年がやってきた方向か
ら響く声が、その静寂を打ち壊す。
「……ライく〜ん……!」
「ッ!?」
聞き覚えがある声。当然だ、あのおせっかいな姉貴分の声なのだから。
(あのバカ……!)
最悪のタイミングの声に、少年は心の中で毒づく。
当然、あの虎も声に気づき、こちらのほうを振り返っていた。肉食獣の獰猛な視線に捕
らえられ、全身から汗が噴出す。檻の向こう側のものとはまるで違う。守るものなどなく
襲い来るその感覚に、それでもどこか冷静な頭でこれが命の危機なんだと感じていた。
「ライく〜ん、どこ〜……?」
そんな状況だとわからぬだろうのんきな声に、少年は奥歯をぎりっと鳴らす。
助けを求めるか? だが、こんな異常な状況、信じてもらえるだろうか。それに、それ
で虎を刺激してしまったらどうなるか。
「……何しにきた!」
「……ライくん!」
遠くから、声が帰ってくる。虎はまだ動いていない。
「帰れ!!」
不必要に、大きな声で叫ぶ。早く帰らせなければ。でなければ、自分の次にこの虎の餌
食になるのはあいつだ。いつ襲いかかられるかわからない恐怖を抑えながら、少年はなお
も声を張り上げる。
「帰れよ! すぐ戻るから!!」
「……どうしたの? 何かあったの?!」
「なんでもない! 帰れ!」
「ライくん!」
気配は、遠ざかるどころか近づいてくる。あのお人よしには、逆効果だったのか。
来るなと言う願いとは裏腹に、徐々に足音も聞こえ始めてくる。
「ユキ姉ぇ!」
とまってくれと願い、あらん限りの声で叫ぶ。が、それと同時に虎が駆け出した。小さ
な音に気づいた少年が意識を向けたとき、虎はすでに少年の目の前にきていた。
息が止まる。まるで心臓を握られたように、呼吸も、思考も、動きも、すべてが止まっ
てしまう。ただ、目の前の恐怖に心底震えていた。
そんな少年の心を見透かしたかのように、虎はにやりと笑った。
「いい度胸してるじゃねぇか」
「……っ?!」
言葉が聞こえた。確かに、虎の口から発せられた言葉だった。恐怖のあまり、とうとう
頭がおかしくなってしまったかと思う。
虎は、心底愉快そうに笑いつつ、次の句を告げる。
「気に入ったぜ。見逃してやるよ、小僧」
そういうと、虎は少年に背を向けると、丘の向こうへと駆け出していった。
恐怖から開放され、少年はその場に座り込む。
非日常に非日常を重ねたような光景が、ただ、少年の脳裏に焼きついていた。