七星勇者フェリスヴァイン
第12話 「猛虎と少年」
児童養育施設・紅楽園。札幌の郊外に位置する、身寄りのない少年少女たちが暮らして
いる施設の名である。その一室で、一人の少年がぼーっとしながら窓のふちに寄りかかっていた。
少年の名は北山雷人(きたやま らいと)。短めのツンツン頭に、同年代としては高いほ
うの背格好、そして、目つきは射抜くように鋭く、どこか近寄りがたい雰囲気をかもし出
す。小学1年の時、事故で両親を失って以来、小学6年になる現在までここ、紅楽園で生
活をしている。
「……ふぅ」
雷人は、一つため息をつくと、再び窓の外をぼーっと眺め始めた。だが、その眼に景色
は写らず、思いは別の方向へと飛んでいる。脳裏によぎるのは、忘れがたいほど鮮烈な
あの光景。
「なんだったんだ、アレ……」
ぽつりと、言葉がつぶやきとなって漏れる。雷人の思いを捉えて放さないのは、数日前
の喋る虎との出会いだった。あの体験は、雷人の中に鮮烈に焼きついていた。
喋る虎などという与太話が信じられるはずもなく、虎が居たということさえ疑われた。
だが、あの時感じた恐怖が、高揚が、今も雷人の中で燻りつつけている。
いつからか、もう一度会いたいと、思うようになっていた。
雷人が燻った気持ちにやり切れずに表に出てくると、遠くの広場のほうから一人の少女
が雷人に声をかけてきた。
「ライくーん!」
「……ユキ姉か」
ぱたぱたと駆け寄ってくる少女は天ヶ瀬有紀音(あまがせ ゆきね)。現在中学2年生、
雷人の姉貴分の少女である。世話好きで、雷人のことを特に気にかけているが、当の雷人
には半ばうっとおしがられているのが実情だったりする。
雷人は有紀音を無視して歩き出そうとしたが、先手を打って有紀音が雷人の肩をがしっ
と掴んだ。雷人は、ため息をついて有紀音のほうを振り向く。
「……ンだよ」
「ライくんからも何か言ってあげて。あの子達、私の言うことなんて聞かないんだもん!」
そう言って、有紀音が指差す方向を見てみると、サッカーボールを持った子供たちと縄
跳びを持った子供たちが真っ二つに別れて対峙している。何のことはない、よくある広場
の場所取りだ。
雷人は心底面倒くさそうにため息をつくと、顔をぷいっと背ける。
「いつもの事だろ。やらせとけよ」
「ダメ! みんな仲良くしなきゃダメなの!」
幼稚園児に言い聞かせるように怒鳴る有紀音。振り向けば、きっと子供のように頬を膨
らませている顔が見られることだろう。雷人はわざとらしく肩をすくめると、いまだに睨
み合っている子供たちの所へと歩いていった。
それぞれのグループのリーダー格が睨み合っている間に割り込むと、その二人が自分を
振り返る前に両腕を振り上げ、同時に二人の頭を小突く。
「てっ!」「たっ?!」
何事かと振り返ってくる子供たちを、雷人は見下ろしながら睨み付ける。
「またやってんのか、お前ら」
「ら、ライ兄……?」
「面倒はやめろっつってんだろうが」
「だ、だってマサたちが……」
我先に文句を言い始める子供たちに、再び雷人の両鉄拳が落ちる。再び頭を抑える子供
たち。雷人は呆れ半分面倒半分のため息をつく。
「面倒はユキ姉に見つからないようにやれって言っただろ。
結局、ユキ姉に怒られんのは俺なんだぞ」
「ら、ライ兄……?」
子供たちが雷人の後ろを見てあからさまに顔色を変えるが、雷人はそれにかまわず喋り
つづける。
「お前ら、いっつもユキ姉に面倒かけられる俺のことなんて考えたことないだろ?」
「ライ兄、後ろ、後ろ」
雷人は、憮然とした表情をしながらも、やはり気になって後ろを振り返る。そこには、
腰に手をあて仁王像をバックにただならぬオーラを放つ有紀音の姿があった。流石の雷人
も、冷や汗をたらしつつ口元を引きつらせる。
「ライくんっ!!」
「……やべ」
小言を聞かされてはたまらないと、雷人は説教が始まる前に走り出した。子供たちがサ
ッカーに誘う声や、有紀音の怒鳴り声が雷人の背を見送る。恐らく、これからこってりと
有紀音に絞られるだろう子供たちのことを思いながら、雷人は紅楽園の外へと駆け出して
いった。
あの日、不思議な喋る虎と出会った丘。そこを目指し、雷人は歩いていた。
あの虎ともう一度会って、自分はどうしたいのだろうか。わからない、何も。ただ、今
の燻った気持ちの理由が、そこにあるような気がした。
今の状況に不満があるわけではない。食う寝るには困らないし、家族と呼べる人間も居
る。確かに普通に考えれば肉親の居ない不幸な境遇ではあるが、別段何かが他の連中と違
っているとも思っていない。
だが、何かが足りないという想いが、いつも胸を焦がし続けていた。その足りない何か
を、胸を熱くさせてくれるような新しい世界を求めていた。
(……居るんだろ? そこに……)
気持ちがはやり、自然と歩調が早くなる。気持ちばかりが先走りながらも、雷人はよう
やく雑木林を抜けることができた。
あの日と同じ夕焼け。あの日と同じ光景。飛び込んでくる光を手で遮る。だが、目がな
れてきたそこには、あの虎の姿はなかった。
(……居ない)
落胆が雷人の心を包む。考えても見れば当然かもしれない。あの虎が居る保証なんてど
こにもなかったし、それで自分がどうにかなると決まっていたわけでもなかった。自分の
バカさ加減を思い、かすかに苛立ちが募る。
「チッ……」
このままここに居たところで、いっそう苛立ちが募るだけだ。雷人はもやもやとしたも
のを抱えながらも、来た道を戻ろうと振り返った。振り返り、顔を上げる。その瞬間、雷
人は言葉を失った。
「また会ったな、小僧」
居た。あの日と変わらぬ金色の毛並みで、あの日と変わらぬ鋭いまなざしで、その虎は
そこに居た。
ずっと探していたはずなのに、驚きが勝って二の句を告げることができない。
そうやって雷人が逡巡している間に、虎はくるりと背を向け、どこかに向けて走り出し
た。それに気づき、雷人も慌てて後を追う。
「ま、待て!」
逃がさない。ようやく見つけた、新しい世界への扉なのだ、絶対に逃がしはしない。そ
の想いだけで、雷人はただひたすらに虎の背を追っていく。
雑木林を駆ける、大と小の二つの影。程なくして、一人と一匹は林を抜ける。
(……街に降りるってのか!?)
雷人は急に曲がると、紅楽園の門の中に飛び込んでいく。広い玄関の、大きな下駄箱の
中から一足のローラーブレードを取り出し、すばやくそれに履き替える。
あんな虎が町に出るのだ、騒ぎになるに決まっている。だから、探すのにはさほど苦労
しないはずだと当たりをつけ、雷人は再び飛び出していった。
(地元のガキを甘く見んなよ……!)
坂道を滑り降りる時間さえももどかしく思いながら、街の方角へと坂を下っていく。通
行者を、対向車を巧みによけながら、雷人は繁華街へと近づいていった。
雷人がそこについた時、街では確かに騒ぎが起こっていた。だがそれは、雷人の想像を
遥かに上回るものだった。
「……なんだ、これ……」
辺りに建物が崩れる音が響き、我先にと人々が逃げ惑っている。その中心に居るのは、
銀色の外皮を持った、機械仕掛けの巨大な蛇だった。いや、その獰猛なフォルムは竜と表
現するべきだろうか。それが、最近騒がれている謎のロボット――黒鍵機――であろうと
すぐに思い当たる。
危険を感じ、雷人もすぐにそこから離れようときびすを返す。だが、人ごみを掻き分け
て騒ぎの中心へと向かっている姿が視界を掠め、慌ててそちらのほうを振り向いた。
「……あいつ!」
雷人が再び追い始めたその先で、虎はなおも黒鍵機に向かって走りつづけている。あの
黒鍵機と戦うつもりなのだ。無茶なことと思いながらも、雷人は虎を追って地面を蹴る。
虎は大地を疾駆しながら、銀の竜に向かって大きく吼える。
ガォォォォォォォォォッッ!
すると、どこからともなく一台のトラックが現れ、虎に併走し始めた。
「ドライブ・オン!」
そう叫ぶと同時に虎の体が紫色の光へと変わり、隣を走るトラックの中に飛び込む。一
瞬、トラックが紫の光に包まれ、フロントライトが意思を宿したかのように輝いた。
「チェィンジッ!」
車体後部が前方へと90度折れ、さらに180度回転し下半身を構成する。さらにフロ
ント部が変形し肩部と両腕になり、その変形したあとから頭部がせり出した。
「オウガァァァァァッ!!」
人型ロボットへと変形を遂げたそれ――オウガ――が、大地へと降り立つ。その信じが
たい光景を、雷人はただ呆然として見つめつづけていた。
変形を完了したオウガを、竜型黒鍵機が振り向く。決して看過できない敵の存在を感じ
取ったのか、黒鍵機はオウガめがけて飛びかかってくる。オウガはそれを避けようともせ
ずに、大きく開かれた牙を真っ向から受け止めた。
「オラァァッ!」
オウガは身をひねり、飛び掛ってきた勢いをそのままに黒鍵機を投げ飛ばした。黒鍵機
が地面にたたきつけられ、大きくアスファルトがひび割れる。それに間をおかず、オウガ
は地面にめり込んでいる黒鍵機に飛び掛った。大きく振り上げた右手に、紫の光が灯り始
める。
「バトルナックル!」
地に伏したままの黒鍵機に、紫光を宿した右拳を叩き込む。その一撃は見かけ以上の衝
撃を以って突き刺さり、オウガ以上の巨躯を持つはずの黒鍵機がくの字に折れ曲がった。
十分に拳を突き刺したオウガは、黒鍵機の体を蹴って飛び退る。
黒鍵機はよろよろと起き上がり、その鎌首をオウガのほうへと向ける。そして、まだ地
面についていないオウガめがけ、頭部の脇に装備されたビーム砲を連射した。
「……上等ォ!」
オウガは慌てるどころか笑みさえ浮かべ、ビームが到達するわずか前に地面に降り立ち、
再び地面を蹴った。勢いは弱まることなく、ビームは突き進む。だが、それよりもなお早
くオウガの体は天へと舞い上がった。黒鍵機のビームはなおもオウガを追いつづけるが、
オウガはまるで重さを感じさせない軽やかな動きでそれをかわしていく。幾度めかのビー
ム砲をかわした時、オウガの体は黒鍵機の上空へと舞い上がっていた。ビーム砲の照準が
合わされた事にも構わず、飛び蹴りの体勢を作る。
「ハァァァッ!」
先の右拳の時と同様に、突き出した左足の先にも紫の光が集い始め、それと同時にオウ
ガの体が急加速で落下をはじめた。落下点に居る黒鍵機から、ビームの嵐が浴びせられる。
「しゃらくせぇぇぇっ!!」
オウガの左足に宿った紫の光が、ビームをなぎ払い捻じ曲げながら黒鍵機に向かって突
き進む。そしてついに、オウガのキックが黒鍵機の頭部に突き刺さった。
「グラビティブレイク!」
黒鍵機に突き刺さったオウガはそのまま黒鍵機の体を縦に突き破り、向こう側へと突き
抜けた。
致命的な一撃を受けた黒鍵機はあちこちから火花を散らし、一瞬の閃光と共に大爆発を
起こす。オウガは、勝利を宣言するかのように右拳を天に突き上げた。
「……っ」
雷人は、眼前で繰り広げられた激しい戦いを、ただ言葉も無く見つめ続けていた。そん
な雷人の視線の先で、爆煙を背に立ち尽くしていたオウガが雷人の方へと近づいてきた。
思わず身構える雷人にオウガが笑いかける。
「よぉ、まだ居たのか、小僧。度胸がいいんだかバカなんだか」
思いのほか気さくに話しかけてきたそれに対しても、雷人は緊張の糸を緩めない。頬を
流れる汗を感じながらも、雷人は睨み付けるようにオウガを見上げる。
「お前……一体、何者なんだ……?」
「……知りてぇか?」
オウガが口元に笑みを浮かべながら、まるで雷人を試すように問いかける。
心臓が高鳴った。緊張して警戒を強めようとする気持ちとは裏腹に、感情は止めようも
無いくらいに高揚してくる。
気づくと、雷人は無言でこくりと頷いていた。
数刻の後、雷人はトラックに変形したオウガの運転席の上で揺られていた。トラックは
紅楽園のある辺りを通り過ぎ、さらに山の中の方へと進んでいく。
その間、雷人は一言も発せず、ただ道の先を見つめ続けていた。聞きたい事ならいくら
でもある。見知らぬ場所に連れて行かれることに不安が無いわけでもない。ただ、いま声
を上げてしまうのは、上演中の演劇に水をさしてしまう行為であるような気がして、なん
となく黙り込んでしまっていた。
そうこうしているうちに、トラックは天文観測所のような外見の建物の前へとやってき
た。トラックが建物の裏手に回りこむと、芝生の地面がスライドして地下への下り坂が姿
を現す。
「……この先か?」
「まぁな。あと少しだ」
そう答えると、オウガはその入り口の中へと進んでいった。淡いライトで照らされた通
路を進んでいくと、程なくして広い格納庫のようなところに出た。
双胴型の戦闘機や先端に円錐型のドリルが装備された戦車のようなものの脇を通り抜け
ていく。そして、出入り口らしきところの前でオウガは足を止め、雷人のそばのドアを開
けた。
「着いたぜ」
雷人は声に従い、無言でトラックから降りる。近未来的な基地の内部のような光景、そ
の明らかに日常とはかけ離れた雰囲気に呑まれ、雷人は息を呑む。
言葉を失う雷人の横で、トラックから飛び出した紫の光が虎の姿に変わりその前へと降
り立った。虎の姿となったオウガは、笑みを浮かべながら雷人を見上げる。
「どうした、ビビったか?」
「……なめんな」
からかうように問うオウガに対し、舌打ちをしながらそっぽを向いて答える雷人。オウ
ガがそんな雷人をつれて歩き出そうとしたその時、進もうとしていたドアが開き、そこか
ら二人の人間が姿を現した。
「っと、迎えが来やがったか。手間が省けたぜ」
「……迎え?」
雷人は、オウガの言う「迎え」の二人に目を向ける。
一人は、17歳くらいの桃色の髪をした不思議ないでたちの女性で、もう一人はやや前
方の髪が薄くなった白髪で、白衣を纏った老人だった。二人のうち、まず少女の方が困っ
たような苦笑を浮かべながら、オウガに笑いかけた。
「おかえりなさい、オウガ……そちらの方は?」
「ああ、ほら、アレだよ。この前言ったガキ」
「……?」
オウガの言葉に、雷人は首を傾げる。そんな雷人の疑念をよそに、今度は老人の方がス
パナ片手にオウガに近づいてきた。老人はそのスパナを振り上げると、躊躇せずオウガの
頭にそれを振り下ろした。鈍い音が響き渡り、雷人と少女は身をすくめる。
「ッってぇな! 何しやがる、清十郎!」
「フン! その程度でどうこうなるお主じゃないじゃろ!」
清十郎と呼ばれた老人は、スパナ片手に腕を組み、オウガをにらみつけた。
「少しは考えて行動せいと言っておるんじゃ! 堅気の子供を事情も説明せずに連れ込み
おって!!」
「うるせぇ、ジジイ! 手間が省けたんだからいいじゃねぇかよ!」
今にもケンカを始めかねない虎と老人を前に、放り出された形の雷人は困ったように声
をかける。
「……おい……」
「あの」
どやしつけてやろうかと意気込んだところに声をかけられ、気勢を殺がれた気持ちにな
りながらも雷人はそちらのほうを振り向いた。するとそこには、優しげな笑みを浮かべた
少女が雷人の方に体を向けていた。
「私、ここのお手伝いをさせていただいている、プラムと申します。あちらにいらっしゃ
るのが、責任者の星崎清十郎(ほしざき せいじゅうろう)博士です」
プラムと名乗った少女が手で指し示した方にちらりと目を向け、なるほどなと納得する。
確か、そんな名で呼ばれていた。そして、向こうが自己紹介したということは、自分にも
名乗れという事なのだろう。
「雷人……北山、雷人」
「そう、雷人君、ですか……素敵なお名前ですね」
「……」
「それで、雷人君。オウガからはどこまでお話を聞きましたか?」
「どこまで、って……」
本当に何も聞かされずに連れてこられたので、当然のように雷人は言葉に詰まってしま
う。プラムはそんな雷人の様子を察し、一つため息をつくと、気を取り直したように雷人
の方に向き合った。
「では、はじめからお話いたします。
まず、彼の名はオウガといいます。『白き力の勇者』と呼ばれる存在の一人、重力を司る
『重力の勇者』です」
「白き力……重力……?」
「そして、戦っていた相手は『暗黒の使徒』。『黒き力』を司る魔神、ドルガイザーが率い
る『黒き力』の僕たち。
私たちBBSは、『白き力の勇者』を助け、『暗黒の使徒』に対抗するために立ち上げら
れた組織なのです」
次々と飛び出してくる非日常的な単語の数々に、雷人の頭は軽い混乱を起こしかける。
そしてプラムは語った。オウガ達『白き力の勇者』、『暗黒の使徒』、そして雷人にそれを
求める存在『ビーストマスター』のことを。