想いの刃
第10話「我愛汝(ウォ・アイ・ニィ)・前編」
わき目も振らず、ただまっすぐに前を見つめて『鳳凰城』を上へ上へと走る小狼。 その手には、既に抜身の華血刃と数枚のさくらカードがあり、小狼の後ろからはさくらの姿を借りた 『鏡』(ミラー)が必死にその後を追ってきていた。 目指すのは、さくらが捕えられているところのみ。 「ハアァァァァァッ!」 華血刃の一閃で、小狼の行く手をふさいでいた鉄製のドアがまた一つただの鉄クズへと姿を変える。 その瓦礫を乗り越え、小狼は更に奥へと走っていった。
一方の、さくらが捕えられている『鳳凰城』最上階。 そこでは、さくらカードに守られたさくらと鳳鬼(フォウカイ)がいまだ対峙を続けていた。 鳳鬼は掌に魔力を集めると、それをさくらめがけて撃ち出した。 その魔力弾はさくらの前まで突き進むも、さくらを中心に円を描くさくらカード達に阻まれて光の残 滓がその表面を走るように消えていった。 「さすがはクロウカード……クロウ・リードがその力と心の全てを費やして産み出しただけの事はある な…」 鳳鬼はカード達を取り払えない事にいささかの焦りも感じていないかのように振舞う。 それまで、さくらはずっと沈黙を保っていたが、その時、なんとか声を出した。 「あ、の…」 「…ん?」 「あ、あなたは…どうして、クロウさんの事を知ってるの?」 「クロウ・リード、か…」 そう呟くと鳳鬼は顎に手をやり、考えこむような仕草をする。 けれど、さくらにとって今の質問は大した意味を持っていなかった。小狼達が駆けつけてくるまでの 時間を稼ぎたかったのかもしれないし、ただ、黙っているのが恐くなっただけかもしれない。 けれど、何かを言わないと心が不安に押しつぶされてしまいそうだった。 そんなさくらの心など知るよしもない鳳鬼は、昔を思い出すようにぽつりと話し始めた。 「私は以前、クロウと闘ったことがあるのだよ。もっとも、結果は私の完敗だったがね」 鳳鬼は、その時の事を思い出しているのか、どこか遠くをみつめるような目をする。 「…生前にかけておいた転生の術で蘇った私は、以前にも勝る強い力を求めた。そして、更なる力を得 た私は、それを確めるために当時最強の魔術師と謳われたクロウ・リードに戦いを挑んだ。 結果は…私の完敗だった。その時としては、強さの頂点を極めたつもりでいたが、奴の力はそんな思 い込みを粉微塵に打ち砕いた。 1度目と二度目の生涯通じて、初めて『格の違い』という奴を見せつけられたよ…」 「もしかして…恨んでるの? クロウさんの事……」 不安そうなさくらに対して、鳳鬼は意外なほどの笑みを浮かべる。 「いや、むしろ感謝したよ。目指すべき力の頂点がどこにあるのかを教えてくれたのだからな」 それまでどこか遠くを見つめていた鳳鬼の目は、再びさくらを映し出した。 「『クロウを超える』、それは、私の生きる目的となった。そのために私は、闇の力だけではなく表の世 界にも通用する力を手に入れた。全ては、クロウを超える力を手にするために。 だが、私がクロウを超える前に、奴は、この世を去ってしまった。 …だから、クロウの後継者が現れたと聞いたときには、感激に体が震えたよ。あのクロウが後継者と 認めるのだから、私の目標となるに十分な力を持っていると思ったからだ。 まさか、それがこんなかわいらしい少女だったとは、思いもしなかったがね」 そう言って、鳳鬼はすこし演技がかった感じで肩をすくめて見せる。 そこで、鳳鬼は何かに気づいたように眉を上げる。そして、さくらに向けていた目線を部屋の扉のほ うへと移した。
「…魔王に捕らわれた姫君を救う騎士様がやってきたようだな」 そう、鳳鬼がぽつりと呟く。 「え…?」 さくらが扉に目をやったとき、扉の表面に幾筋もの銀光が走り、鉄製のはずのそれは積み木細工のよ うに崩れ落ちる。 崩れた扉の向こうから出てきたその人物をみた時、さくらの顔が安堵と喜びにぱぁっと華やいでいっ た。 「小狼君!」 やっと見つけることの出来たその姿に、小狼は安堵してさくらの名を呼んだ。 「さくら!」 さくらの姿を認めた小狼は、いても立ってもいられずにさくらの方に向けて走り出した。 しかし、その途中で透明な何かにぶつかってはじき返される。 「ぐっ!」 「小狼君!」 心配そうな声を出すさくらに、小狼はしりもちをつきながら、それでも頭を振ってそれに応える。 「大丈夫だ……今のは、なんだ…」 「結界だよ」 誰にともなく呟いた言葉に返ってきた答えに驚いて顔を上げた小狼の前に、微笑みを浮かべた鳳鬼が 立っていた。 その顔を見て、小狼は二重に驚く。 「劉(リュウ)…鳳月(フォウユエ)……おまえが…!」 《そう…やつが鳳鬼だ!》 怒気をはらんだ華血刃の言葉に、鳳鬼は懐かしいものを見るような瞳を返す。 「久しいな、華血刃。私が一度、お前に命を断たれて以来か」 《転生してまで生き恥をさらすとは…何が目的だ!!》 鳳鬼は、華血刃の言葉などどこ吹く風と笑い飛ばす。 「最強の力を得る事だ。そして、その証明としてクロウ・リードを倒す事」 その言葉に、華血刃ではなく小狼が答える。 「クロウはもうこの世にはいない。お前の望みは永遠に叶わない!」 「クロウ本人とは行かなくても、それと同等以上の力を持った存在がここにいる」 「さくらと戦うつもりか!?」 小狼は、そう叫んで立ち上がる。 「始めはそのつもりだった。が、実際に彼女とあって気が変わったよ」 そう言って鳳鬼は顔だけをさくらの方に向けた。 その目に射すくめられて、さくらは少し怯えた顔をする。 ふっ、と呟いてから、鳳鬼は口を開いた。 「彼女を、私の伴侶として迎える」 「なっ……!?」 そのあまりにも意外な、そして、あまりにも衝撃的な言葉に、小狼と華血刃は揃って驚きに言葉を失 う。さくらは、言葉の意味をいまいち理解していなかったが、それでも、小狼の様子からただならない ことであるということだけは察していた。 鳳鬼は予想どおりの、いや、予想以上の反応にほくそえんだ。 「可憐な華のつぼみが綻びていく様を見続けていると言うのも、悪くない趣味だと思わないか?」 驚きで真っ白になっていた小狼の心が、冷静さを取り戻していくに連れてだんだんと怒りに満ち溢れ ていく。 おまえなんかにさくらは渡さない! 言葉には出さないけれど、鳳鬼を睨みつける小狼の目がそう叫んでいた。 一方の鳳鬼は、楽しげな笑みを浮かべながらその眼差しを受けている。 「だが、その前に…」 そういうと鳳鬼は、右手を小狼のほうに突き出し、その手のひらに魔力の輝きが灯った。 「な、なんだ?」 すると、小狼のポケットに収められていたカード達が次々と空中に浮かび上がった。 「きゃぁぁぁぁっ!」 『鏡』も、悲鳴を残してカードの姿に戻る。 「『鏡』!」 「何をする気だ!」 「私の力を確めるのだよ。クロウ・リードの力を超えているかどうかをな!」 鳳鬼は、輝きが灯った右手をぐんっと胸のあたりまで引き戻した。それに操られるように、カード達 が次々と結界の中に入っていく。 そのカード達は鳳鬼に操られ、さくらを守護するカードの輪の中へと入っていった。 鳳鬼はそれを満足げに見届けると、さくらの方へと体を向ける。 「クロウ・リードが造りだし、その後継者・木之元桜が転生させた52枚のクロウカード。その全てを 一撃の下に屠ることができたのなら、それこそが私がクロウを超えた証となる」 鳳鬼は、垂れ下げた両手に魔力を込め始めた。 その手に集まる魔力を感じ、さくらは驚きの声を上げた。 「その『力』って…!」 「…そう、君の守護者達から拝借した『太陽』と『月』の力だよ。滅びた式神達を通じてその力を得た としても、なんの不思議もないだろう?」 「バカな! 海鬼(ハイカイ)は、それを制御し切れなくて滅びたんだぞ!」 鳳鬼は、魔力の集結を続けながら首だけ小狼のほうを振り向かせた。 「式神程度と私を一緒にしてもらっては困る。二人の守護者の力を制御出来ずして、クロウを超えるな どとは言えないからな!」 鳳鬼の両手に集められた二つの魔力が、結界内に風を巻き起こし始めた。その風は鳳鬼の長髪を、さ くらの服をたなびかせる。 「きゃっ!」 「さくらっ!」 小狼はさくらの下へかけよろうとするけど、やはり結界に阻まれて近づくことさえ出来ない。 魔力の込められた両手をさくらに向けて掲げる鳳鬼を、小狼は黙って見ているしかなかった。 「さあ、覚悟はいいか! クロウカード!!」 二つの魔力が一つに交じり合い、金色の光球と化した。中に吹き荒れる風がますます激しさを増す。 カード達も、さくらを守らんとその輝きを増した。 「ハァァァァァァァァッ!!」 裂帛の咆哮と共に金色の輝きがさくらめがけて放たれた。その一筋の光条はまっすぐに突き進み、さ くらカードに突き刺さって更なる輝きを放つ。 さくらは、カードに過剰な過負荷がかかっているのを瞬時に察知して、悲鳴に似た叫びを上げた。 「やめてぇっ! カードさん達が!!」 それでも、光の奔流はとどまることを知らずにカードの輪をじわりじわりと歪ませる。 「くそぉっ! やめろぉっ!!」 小狼も、無駄と知りながらゆく手を阻む障壁を何度も殴りつける。それでも、よほど強固な障壁なの かびくともしない。 《小狼、私を使え!!》 その言葉に、小狼は華血刃を鞘から抜き放った。 そして、間合いを取り、華血刃にありったけの魔力を込める。華血刃の刀身が真紅の輝きに覆われた。 《行くぞ!》 「うおぉぉぉぉぉぉっ!」 振り下ろした刃と見えざる障壁がぶつかって激しいスパークが起こる。 だが、それでも剣ははじかれてしまった。 《これだけの力で、斬れないというのか!》 「くそっ! もう一度だ!」 再び華血刃が振るわれるも、刃は障壁に阻まれてしまう。 そうしている間にも、鳳鬼の力はカード達の力を削り取っていく。 「これで…終わりだぁぁぁぁっ!!」 鳳鬼の咆哮と共に、ひときわ強い力が放たれ、その凶悪な光の顎はついにさくらカードの結合を打ち 破った。 さくらの姿が、カードもろとも金色の光に飲み込まれる。 「きゃぁぁぁぁぁぁ……!」 「さくら――――――っ!!」 華血刃を降ろし、小狼はあらん限りの声で絶叫した。
だんだんと光が止んでいくと、力を放ったままの姿の鳳鬼と、その場に座りこんでいるさくら、そし て、かわらずさくらの周りを回っているカードたちの姿があった。 だが、ふっとカードの輝きが消えると、カード達は力を失って次々と地面に落下していった。 さくらは、その様子を呆然と見つめている。 「…カードさん…」 小狼も、信じられないものを見る目でその光景を見ていた。 「さくらカードが……負けた…」 《鳳鬼……以前の力とは、比べ物にならない…》 鳳鬼は姿勢を正し、しばらく荒い息をついていたが、だんだんそれが収まるとその口元に凄絶な笑み が刻まれた。 「ふふふ…超えた……クロウの造りしもの、その全てを…!」 鳳鬼は、勝利の余韻に浸るかのように陶然としている。 その鳳鬼とさくらの姿を半ば放心状態で見つめていた小狼だったが、不意に我に返ると、改めて華血 刃を握りなおした。そして、再び真紅の輝きが灯った華血刃で見えざる障壁に切りつける。 赤い輝きが鮮やかに剣の軌跡を描くが、それはやはり途中で止められてしまう。 「くそっ…! なんで、斬れないんだ…!」 小狼は更に力をこめるが、刃は障壁の表面を滑って腕が振り抜かれてしまう。 急に支えを失った小狼の体は、肩から障壁にぶつかってしまった。 「ぐっ!」 肩の痛みに小狼は顔を歪める。しかし、小狼は痛みをこらえて障壁から体を引き剥がし再び間合いを 取った。 《小狼!》 「大丈夫だ……もう一度!」 そう言って小狼は再び剣を振り上げる。 「止めたまえ」 「なっ…!」 結界の向こう、放心状態にあった鳳鬼から突然かけられたその言葉に、小狼は動きを止めてしまった。 それを見て、鳳鬼はもう一度同じ事を繰り返す。 「もう一度言おう、止めたまえ。全ては無駄なのだ」 「無駄、だと!?」 「そう、無駄なのだ。その結界は私が全身全霊を込めて産み出したもの、例え華血刃であろうとも切り 裂く事はできない」 《確かに、今の私ではな…しかし…!》 けれども、鳳鬼の表情は変わらない。 「確かに、その「力」をもってすればこの結界を破ることも可能だろう。が、その後はどうする?」 「その後…?」 《サクラを救い、今度こそ貴様を冥府の底に叩き落す! それだけだ!》 「まあ、今の私はクロウカードを倒すために全ての力を使ってしまったから、それも可能だろうな …しかし」 含み笑いを漏らしながら、鳳鬼は右手を前に差し出した。 すると、四方から鳳鬼めがけて光が集まり、それは鳳鬼の手の中で四つの形を成す。 「…全ては、今、揃った」 「揃ったって、何が…」 「華血刃から聞いていなかったか? 私が本来、何を目的としてこの友枝町に来たのかという事を」 その言葉に、小狼と華血刃は同様にはっとなった。 二人が自分の言わんとする事を理解したのを見て、鳳鬼は満足げに笑みを漏らす。 「魔力的要素の強い友枝町…魔力の集積装置たるこのフェニックスランド……そして、それを駆動させ る源となる5つの「力」…」 鳳鬼は、手の中にあった4つの物体を宙に舞わせる。 「これは、私の配下であった式神達の元となった人形だ。それぞれが、長い年月を掛けて強い魔力を秘 めたものとなっている……これで、四つ…」 そう言うと、鳳鬼は右手を払って、四つの人形を再び四方へと飛ばした。 それらはフェニックスランドの端、それぞれに定められた位置に着くと赤、青、白、黒の4色の光の 柱を創り出した。 小狼達がただそれを見つめる中で、鳳鬼がさくらに近づいていく。 「そして…」 「つっ!」 「さくらっ!?」 小狼がその声に気付いてさくらのほうを見ると、鳳鬼がさくらから抜いた一本の髪の毛を持っていた。 「これが、最後の一つ」 鳳鬼はその髪の毛を真南のほうへ向けて放った。 放たれた髪の毛は金色の矢のように宙を走り、フェニックスランドの真南の位置に桜色の光の柱を産 み出す。 すると、それぞれの光の柱が呼応しあい、光の糸がそれぞれの光の柱を結んでいく。そしてそれは、 円の中に星のマークが描かれた巨大な文様をフェニックスランドに描き出した。 鳳鬼は両手を複雑に組み合わせ、次々と印を結んでいく。 印が結ばれるごとに光が強さを増していき、微弱な振動がフェニックスランドを包んでいった。 「真南を頂点とする逆五芒星は『不安定』、『混沌』を象徴する……魔法陣によって高められた魔力は、 陣の中心たる私へと集まってくるのだ…」 鳳鬼の手が空中の印を切ると、周囲は激しい輝きと振動に包まれていった。
友枝町全域からフェニックスランドに魔力の煌きが集中する。 その凄まじい魔力の奔流を鳳凰城の外部、魔法陣の円周上より見つめる者達がいた。 「とうとう、始まってしまいましたか…」 スピネルが、魔法陣の輝きを見上げながらポツリと呟く。
また、別の場所で 「あ〜あ、間に合わなかったんだ、あの子達」 ルビーがため息と共に言葉を紡ぎ出す。
そして… 「始まったか…」 さくらの力で作られている南の頂点の反対側、魔法陣の真北の位置にエリオルが佇んでいた。 エリオルは、いつになく真剣な表情でさくら達がいるであろう鳳凰城最上階を見つめている。 「そろそろ、やる事をしなければならないな」 そう言って、エリオルは杖を振りかざした。
魔法陣に集められた魔力は更にその中心、鳳凰城の鳳鬼の中へと流れこんでいた。 それは、見る見るうちに消耗しきっていた鳳鬼の魔力を蘇らせていく。 「…くそっ!」 小狼は華血刃を強く握り締めると、再び構え、剣を結界めがけて振り下ろした。 しかし、その一撃もやはり結界にはじかれてしまう。 「ぐっ…! ……まだだ!」 小狼は諦めずに、再び剣を振るう。 「はあぁぁぁっ!」 それでも、剣は再びはじかれてしまう。 小狼は、それでも三度剣を振り下ろした。 4度、5度……繰り返し繰り返し、華血刃が振り下ろされる。 刃が赤い軌跡を描いてはじき返されても、次の瞬間には再び真紅の刃が結界に襲いかかる。 華血刃は魔力を威力に転化する剣。当然、使えば使うほど小狼の魔力は削られていく。 それでも、小狼は無心に剣を振りつづけた。 (さくらを救いたい)。 その想いだけが、今の小狼を突き動かしていた。 護りたい人が目の前にいる。 だからこそ、小狼は諦めず、迷うことなく剣を振るう。 だが、その体は小狼の想いに付いて来てくれはしなかった。
「はぁ、はぁ…はぁ……っ」 小狼は腕をだらんと下げ、荒い息をついていた。 今の疲労に、本来使えるはずのないさくらカードを使った影響が重なり、小狼の魔力は底をつきかけ ていた。 また、身体の疲労も激しく、やっと立っていると言う状態で、華血刃の刀身も無茶がたたったのか無 数の細かな亀裂に覆われていた。 それでも、小狼の眼差しは、ただ、一点を見つめていた。 (…さくら!) その想いを胸に、小狼は今一度剣を握る。 小狼の眼差しの向こう側で、さくらが心配で泣きそうな顔をしていた。 「さくら…」 そんなさくらを安心させようと、小狼は無理に微笑む。 「お前には…無敵の呪文があるだろう…」 さくらは、それに気づいて顔をかえた。 それを見て、小狼が頷く。 そして、二人の声がきれいに唱和する。
『ぜったい、大丈夫』
小狼は表情を引き締めると、華血刃に残る魔力を集中させて腰だめに構えた。 鳳鬼の方をちらりと見ると、魔力を吸収している最中らしく、これと言った身動きは取っていない。 むしろ、余裕の表れなのかもしれない。 けれど、小狼にはそのほうが都合がよかった。 次が、間違いなく最後のチャンス。 小狼は、渾身の力をこめて最後の一撃を放った。 「うおぉぉぉぉぁぁぁぁぁぁ!!」 華血刃が真紅の軌跡を描いて結界にぶつかる。 結界との衝突の衝撃で、刀身の亀裂がより深くなる。 でも、そんな事はお構いなしに小狼は力を上げていった。 亀裂から真紅の煌きが零れ出す。 小狼の魔力も、完全になくなりつつあった。 「…っ! 小狼君っっっっ!!」 さくらの声が響き渡る。 それと同時に、ガラスが割れるような澄んだ音が部屋の中に響き渡った。
銀の煌きが小狼の周りを飛び交う。
鳳鬼の表情が、それを見て驚きに変わる。
さくらが、息を飲んで口に手を当てる。
小狼は、急に手応えがなくなったのを感じて、剣の柄だけを握っているであろう右手を振りぬいたま まの姿で動きを止め、瞳を閉ざした。
(…終わった…) 小狼が、そう思った時だった。 《まだ、終わってはいない!》 既に聞きなれた声に、小狼は慌てたように目を開けた。 確かに、華血刃は砕け散ったはず。その声が、なぜ、聞こえてくるのだろう。 《私を見てみろ、小狼。私は、まだ、死んではいない》 言われて、小狼は恐る恐る華血刃を目の前に持ってきてみた。 そして、その目が驚きで見開かれる。 「こ、これは?」 目の前の華血刃には確かに刀身があった。それも、先ほどまでの銀の刃ではなく、まるで赤い水晶を 削り出して作ったかのような真紅の刀身が。 《お前の諦めない心と、サクラへの想いが私の封印を解いた。これが、私の真の姿だ》 「これが…本当の華血刃…」 小狼はキッと前を見据えると、目の前の結界を一閃した。 すると、今まで何をしても斬れなかった結界が、まるで紙でも切るかのようにたやすく斬れてしまっ た。 その威力に、そこにいた全ての者が呆然となる。 「な、なんだと…」 特に、自信をもって作った結界を破られた鳳鬼の衝撃は大きかった。 また、小狼も自分がやった事に驚きを隠せないでいる。 「これは…」 《今までの私は、いわば鞘をつけたままの状態。鞘をつけた刀ではなにも斬れない。……それよりも》 そう言われて、小狼はハッとなった。 慌てて鳳鬼の方を見てみると、まだ驚きから立ち直れていないようである。 その隙を小狼は見逃さなかった。 「風華招来!」 小狼の護符からは、それまでの風華の数倍に匹敵する突風が生まれ、それに気づいた鳳鬼をこともな げに吹き飛ばした。 「何ィィっ!」 鳳鬼はそのまま壁を突き破り、砂煙の中へと消えていった。
「やっ…た…」 そう言うと、小狼はその場に崩れ落ちた。 「小狼君っ!」 戒めを解かれたさくらが、崩れ落ちた小狼の元へと駆けつける。 さくらは、小狼の体をそっと抱き起こした。 「大丈夫!? 小狼君っ!」 小狼は、答える代わりにふっと微笑む。 小狼の意を察したさくらは、泣き笑いのような顔で頷いた。 そうして二人で微笑みあっていると、小狼が入ってきた扉のほうから、また別の声が聞こえてきた。 「さくらーっ! 小僧ーっ!」 さくらはそちらの方を見て、ぱあっと顔を輝かせた。 「ケロちゃん! ユエさんっ!」 「さくら、大丈夫か? ケガとかないか?」 心配そうなケルベロスに、さくらは笑顔で答える。 「うん、わたしは大丈夫! …それよりも」 そこで、さくらは顔を曇らせた。 「カードさん達と、小狼君が…」 それまで黙っていたユエがカードの散らばっているところに屈みこみ、そのうちの1枚を手に取る。 少しの間じっと見つめると、さくらの方を向き直った。 「カードは一時的に力を失っただけだ。じきに回復する」 「それよか…小僧の方が問題やな」 ケルベロスの言葉に、みんなの目が小狼のほうを向く。 特に、先ほどの小狼を見ていたさくらは心配そうだ。 「魔力がほとんど底を尽きかけてとる。早いとこ休ませな…」 ケルベロスがそこまで言いかけた時、四人は強烈な魔力の気配を感じた。 「こ、この気配って…」 「ああ…奴だ…!」 小狼は華血刃を支えにしてなんとか立ちあがり、さくらがそれを支えるようにして身構える。 ケルベロスも、辺りを注意深く見回す。 「…! あそこだ!」 ユエが指差した方向、鳳鬼が埋もれているはずの瓦礫から、赤い閃光のような魔力が噴き上がった。 その輝きで瓦礫は吹き飛び、光の中からゆっくりと人影が起きあがる。 その背からは翼が生え、腕部と脚部が羽毛に覆われていく。体躯も徐々に大きくなり、光の中で鳳鬼 はその名にふさわしい異形へと姿を変えていった。 「かあっ!!」 裂帛の気合と共にその身を包んでいた光が四散する。 その時に発生した衝撃波のようなものが小狼達を直撃した。 「ぐっ!」 「きゃぁっ!」 「き、気合入れただけでこれかい…!」 「なんという魔力だ…!」 真紅の魔人が、夜空に向かって咆える。 その咆哮に、夜の闇でさえもが震えている気がした。
〜 続く 〜
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