第9話「水面(みなも)の虚像」
「ふむ…」
鳳鬼(フォウカイ)は外を眺めながら、不意に呟いた。
手をかざし、フェニックスランド内の力の流れを探る。
こちらの方に向かってくる力を3つ感じとって鳳鬼はさくらの方を振り向いた。
さくらは心配そうに辺りを見まわしている。
ただ、それは自分の身を案じてのことではないだろう。
鳳鬼は、さくらがクロウカードの後継者となったことを改めて理解した。
「さくらちゃん」
「え?」
さくらが、少し怯えた目で鳳鬼のほうを振り向いた。
怯えてはいるが、その目は恐怖に屈していない。ますます面白いと、鳳鬼は口の中で呟いた。
「君のお友達が、ここへ向かってきている」
「そ、それじゃ…」
不安に顔を歪めたさくらに、鳳鬼は芝居がかった感じで肩をすくめて見せた。
「ただ、私の招待はお気に召さなかったようだ。せっかくの趣向だったのだが、彼らには物足りなかっ
たらしい」
それを聞いて、さくらは安堵の息を漏らした。
さくらは、今の自分の状況も忘れて小狼やケロ、ユエが無事だったことに心から安心していた。
しかし、その笑みは次の一瞬で凍りついた。
鳳鬼の獲物を射抜くような視線がさくらを捕える。
「少し、状況が変わった」
鳳鬼は、さくらの方へと一歩を踏み出した。
さくらも、それに合わせて一歩後ずさる。
鳳鬼が進むのに合わせて、さくらも後ろへと下がっていく。
しかし、さくらがもう一歩下がろうとしたところで、何かにぶつかって後ろを阻まれた。
後ろを振り向いてみても、何も無い。
「言い忘れていたが、この周囲には結界が張ってあってね、中から抜け出すことも外から入ることも出
来ないようになっているんだ」
「え――そんな…」
「予定より少々早くなってしまったが、君の力をいただこう」
鳳鬼の腕がさくらの元へと伸びていった。
さくらは反射的に目を閉じ、身をかがめる。
「…いやっ!」
もう少しで鳳鬼の手がさくらの髪を触れようとした時、鳳鬼は何かにはじかれたように後ろへと弾き
飛ばされた。
「何っ!?」
さくらは、自分に近付いてきたプレッシャーが遠のいたのを感じて、ゆっくりと目を開けた。
「あ…!」
さくらの瞳に、さくらを中心としてさくらカード達がまるでさくらを護るように宙を舞っていた。
カードが自分を護ってくれようとしているのを見て、さくらの目に涙が浮かぶ。
「カードさん達…」
一方の鳳鬼は、忌々しそうにさくらを護るカードを睨みつけていた。
(おのれ、クロウカードども……!)
カードに護られた中で、さくらは鳳鬼と対峙した。
その少し前、フェニックスランドの中央に位置する城『鳳凰城』の前。
小狼は、羅針盤の光に導かれてここまで辿り着いた。
その羅針盤の光は、城の最上階の辺りを示している。
「ここに、さくらが…!」
《そして、鳳鬼がいる…!》
小狼と華血刃の見つめる先に、それぞれが求めるものが待っていた。
《行くか!》
「…ああ!」
小狼が一歩を踏み出そうとした時、彼方から小狼を呼ぶ声が聞こえた。
小狼は、そちらの方を振りかえる。
「小僧〜!」
「ケルベロス!」
ケルベロスは瞬く間に小狼の近くまで来ると、そのそばに降り立った。
「どうやら、無事やったようやな」
「無事って……お前は、襲われたのか?」
その問いに、ケルベロスはこくりと頷いた。
「ああ。この前会うた麗鬼(レイカイ)っちゅうねーちゃんにな」
「麗鬼!? あいつがか!」
「まあ、この前小僧にやられたダメージが残ってたさかい、危ないことはなかったけどな」
そこでケルベロスは、ふとあることを思い出した。
「そういや小僧、ユエはどうした?」
「ユエ? いや、俺は見ていないが…」
そうか、とケルベロスは呟いた。
自分が襲われた以上、ユエも同じ目に会っている可能性が極めて高い。
ユエの実力と自分のところにスピネルが援護に来た事から、捕らえられる心配はないだろうと思いな
おして、ケルベロスは改めて城の門を見た。
「ここに、さくらがおるんやな…」
「ああ。羅針盤も、ここを示した」
別に連絡をしていたわけではないが、お互いに相手がその事を知っているだろうという事はなんとな
く気づいていた。でなければ、わざわざこんな所で出会ったりはしないだろう。
二人は頷き会うと、城の中へと入っていった。
城の内部は、よくアミューズメントパークにあるような簡易なつくりではなく、本格的に『城』とし
ての実用性を考えたしっかりとした造りになっていた。
そんな、半ば迷路のような城の内部を、小狼とケルベロスは羅針盤の光を頼りに進んでいった。
「しっかし小僧、いつの間にそんな技、身につけたんや?」
小狼は羅針盤の光に目を落としながらそれに答える。
「…つい、さっきだ」
「はーはー、ついさっきな……て」
あまりに自然に答えられたのでケルベロスは思わずそのまま流そうとしてしまったが、その言葉の意
味を理解すると大げさなまでに驚いた。
「ついさっきやてぇ!?」
「ああ」
小狼はこくりと頷くと、少し頬を紅く染める。
「…あいつの居場所を知りたい、あいつの所に行きたい…そう、願ったら、羅針盤が、応えてくれたん
だ…」
「はー……」
ケルベロスは納得したように頷く。
(なるほど、な。魔力が上がっとるんは、さくらだけやないってことか)
しかし、その事はおくびにも出さずに少しおどけて言葉を返す。
「愛の力が成せる技っちゅーやつか。さすがやなー」
それを聞いた小狼は、まともに赤面してケルベロスのほうを向き合う。
「なっ、なっ、何言ってるんだ!? べっ、別に、そんなんじゃ!」
「ほー。そんなら、さくらのことは好きでもなんでもないんか?」
「ちっ、ちがう! お、俺は、あいつのことが…」
小狼がそこまで言ったところで、ケルベロスが急に立ち止まった。
小狼もそれに倣って立ち止まる。
その前には、大きな鉄の門が立ちはだかっていた。
「…その続きは、直接さくらに伝えたれや」
その言葉に、小狼は表情を改める。
「ああ…」
小狼は、ゆっくりと扉を押し開けていった。
扉を開けた先は、大広間のような広い空間になっていた。
床には紅い絨毯がしかれ、天井から吊るされたシャンデリアが部屋の中を明るく照らす。
そんな、中世の城のような優雅な雰囲気が漂う中で、唯一、そこにそぐわないものがそこに存在して
いた。
蒼いローブを身にまとった魔術師風の男。
しかし、その全身の青から放たれる闇の気配が、そこを恐怖の漂う薄気味悪い空間にしたてていた。
その男は、小狼達を見つけると右手を胸元に当て、会釈をする動作をして見せた。
「ようこそ、わが主の城『鳳凰城』へ。李小狼様、ケルベロス様、お待ち申し上げておりました」
小狼は羅針盤をしまうと、その男のわずかな動作も見逃すまいと注意深く睨みつける。
また、ケルベロスも、いつでも動けるように臨戦体制を整えていた。
「…誰だ、貴様は」
小狼の問いに、頭を垂れていた男はすっくと姿勢を正し、作られたような微笑みを浮かべる。
「私、わが主の命により、今宵貴方がたのお相手をさせていただく海鬼(ハイカイ)と言うものです。
短いお付き合いとなりましょうが、どうぞ、お見知り置きを」
「短い付き合いな……確かにそうやな」
「さくらはどこにいる!」
「くくく…慌てずとも、ご案内いたしますよ……ただ…」
海鬼の体から、突如として闇の気が膨れ上がる。
「なっ!?」
小狼達がそれを感じた刹那、二人の足元から二人を包みこむように水が噴き上がった。
「少々、手荒い歓迎になりますがね」
「くそっ!」
ケルベロスは自分を球状に包みこんでいた水の壁に炎を吐きかけ、一瞬開いた穴から外へと飛び出し
た。
隣りを見てみると、小狼も同じような水の球に閉じ込められている。
「はあっ!」
水の球の表面に銀光が幾筋か走ったと思うと、風船が割れるように水球は霧散し、中から華血刃を抜
き放った小狼が姿をあらわした。
その様子を見ていた海鬼は、そのことは予想済みだったかのように慌てずにその場に立っていた。
「やはり、この程度の術では効果がありませんか……さすがは、クロウカードの守護獣とクロウの血を
引くもの、と言ったところですね」
「あいにく、お前の相手してるほど、わいら暇やないんでな」
ケルベロスは、海鬼に向かって炎の息を吐き出す。
対する海鬼は慌てた様子も無く、ただ手のひらを前に持ってくる動作をするだけ。
すると、海鬼とケルベロスのちょうど中間ぐらいの床から水が壁のように噴き上がってケルベロスの
炎をさえぎった。
「効きませんよ。貴方の力は、麗鬼(レイカイ)との戦いで見切っていますから」
「だったら、これはどうだ!」
小狼は、護符をやや前方へと投げ放つ。
「雷帝招来!」
刃に押さえられた護符から何条もの雷が迸り、それぞれが海鬼を目指す。
海鬼は先程のように水の壁を吹き上げるが、雷はそれを意にも介さず海鬼へと突き進む。
それは、立ち尽くしたままの海鬼を絡めとった。
海鬼の姿が、地面に解けこむように掻き消える。
「…やったか!?」
相手の姿が消えたのを確認して、刃を下ろす小狼。
その後ろから、水の塊がどんどんと盛りあがってきた。
それはやがて人の形をとり、海鬼が姿を現す。
ケルベロスがそれにいち早く気づく。
「小僧っ!」
その声に気づいた小狼は、半ば無意識のうちに華血刃へ魔力を送り、体ごと振りまわすように剣を真
後ろへ薙いだ。
刃が何かを捕えた感触が腕に伝わり、その抵抗を支えとして前方へと飛び出した。
「ぬぐっ!」
小狼は、刃が捕えていた何か―恐らくは海鬼の一部―を切り裂いて、同時に間合いを取ることに成功
した。
地面を転がると、小狼はそのままケルベロスの横に転がりこんだ。
「大丈夫か?」
「ああ、すまない」
立ちあがった小狼は、改めて海鬼に向き合った。
無意識に振るった刃が斬ったのは海鬼の胸部らしく、海鬼は片手でそこを押さえながら二人を睨みつ
けていた。
「…厄介ですね、華血刃…あの剣が、彼の力を更に増大させている……」
海鬼は、二人を同時に相手取るのは自分には不利だと判断した。特に、華血刃を持った小狼の方が、
麗鬼と戦って消耗しているはずのケルベロスよりも厄介だと感じている。
海鬼は、「からめ手」を使うことにした。
「?」
海鬼は両手を挙げて、「まいった」といったポーズを取る。
小狼達は、予想外の行動に戸惑う。
「なんの、マネだ?」
「見てのとおりですよ。私では貴方がたのお相手は荷が重過ぎる。ですから、ここは見逃してもらおう
と思いましてね」
「見逃すやて?」
小狼達は、警戒の色を強めて何が起きても対処できるように構えなおす。
一方の海鬼は、おどけたように肩をすくめて見せた。
「もちろん、ただでとは言いませんよ。こちらからも、それ相応の物を提供させていただきます」
「提供?」
小狼の言葉に、海鬼は頷く。
「貴方がたの目的は、あのさくらと言う少女なのでしょう? 彼女の身柄をお渡ししますよ」
その言葉に、小狼とケルベロスは一様に驚いた。
「なんだって?」
「さくらは、お前の主人の所にいるんと違うんか!?」
二人の反応に、海鬼は満足そうに微笑む。
「…『力ある者』は、儀式の時まで私が管理することになっていましてね、私の一存でしか開放できな
いんですよ」
小狼達は訝しい顔をしている。けれど、海鬼の言うことにも耳を傾け始めていた。
「まあ、論より証拠。実際に見ていただきましょう」
海鬼が傷口を押さえていた左手を横へと振るうと、その下の床から栗色の髪が顔をのぞかせた。
髪の毛から顔、腕、体、足…その全てが地上へと出た時、海鬼の腕の中には一人の少女が虚ろな瞳で
立ち尽くしていた。
「さくらっ!!」
「さくらを返せっ!」
「くくく…だから、返すと言っているでしょう…でも、ただで、とは行きません」
「なんだと!」
二人の反応を見て、海鬼は含み笑いを漏らした。
「難しいことじゃありませんよ。あなたの手の中にある、その物騒なものを遠くへ放り投げて欲しいだ
けなんですから」
「華血刃をだと?」
「ええ。彼女をお渡しして、それから気が変わった、ではたまったものじゃありませんからね。身の安
全を確保したいんですよ」
小狼は逡巡して、手の中の華血刃に目を落とした。それを握る手には、少しずつ汗が滲み出している。
「まあ、交渉が決裂した場合は、彼女に元の牢獄に戻っていただくだけですし、どちらでも構いません
よ」
海鬼は、わざとおどけて話した。
小狼は、瞳を閉じて苦悩する。
「小僧…」
ケルベロスも心配そうに小狼を見つめる。
ここでさくらを救うべきなのは分かっている。けれど、海鬼の言葉が全て真実であるとは限らない。
華血刃を手放してもさくらが開放されないかもしれないし、あのさくら自体、偽者なのかもしれない。
けれど、本当である可能性も捨てられない。
小狼は、不自由な二択を迫られていた。
そんな小狼の心に、華血刃の声が流れこむ。
《小狼、私はそれで構わない》
「華血刃!? しかし…」
《心配するな。例え、あのことが嘘だったとしても、私がお前の手を離れることは無いのだから》
華血刃の言葉を聞いて、小狼はもう一度考えてみる。
そして、答えがでたように顔を上げた。
「…わかった」
「小僧?」
小狼は華血刃を真横に振るうと、そのまま手を放した。
支えを失った華血刃は与えられた力にしたがって宙を舞い、地面とぶつかって硬い音を立てる。
「…さあ、さくらを返してもらおうか」
小狼のその言葉には、内に秘めた激しい怒りが閉じ込められていた。
海鬼は、それを見て頷く。
「ええ、もちろん」
そう言うと海鬼は、さくらの背をぽんと押し出した。
さくらはそのまま前のめりで小狼達のほうに歩いていき、たたらを踏んで倒れそうになったところで
小狼に支えられた。
小狼はさくらの肩を抱き、軽く前後にゆする。
「さくら、さくら!」
「さくら、大丈夫か?」
ケルベロスも心配そうにさくらの元へ寄って来る。
二人が近付いて、さくらの両手が二人を包みこんだ。
その唇から、何か言葉が紡がれる。けれど、小さい声なのでよく聞こえない。
「…さくら?」
小狼は、ふとした違和感に捕らわれてさくらの顔をのぞきこんだ。
その目はうつろで、闇しか捉えていないように見える。唇は、今だ何かを話しているように小さく動
いていた。
小狼は、その言葉を集中して聞く。
「……!」
その意味を理解した時、小狼は反射的にさくらを押し出して後ろへと跳んだ。
後ろへと跳ぶ小狼の視界に、今ださくらに掴まれているケルベロスの姿が映る。
「ケルベロス、離れろっ!」
「なんや!?」
「そいつは偽者だ!!」
小狼が叫んだのと、ケルベロスが離れようとしたのと、さくらの言葉が終わったのは、ほぼ同時だっ
た。
刹那、さくらの体が透明度を増すと大量の水へと姿を変え、驚いて離れようとするケルベロスを自ら
の中へと包み込む。その水の腕は小狼も絡めとろうとしたが、間一髪小狼はそれを逃れた。
小狼が体勢を整えた時、目に映ったのは先程のような水球に捕らえられているケルベロスの姿だった。
ただ、先程は風船のように内部が空洞だったのだが、今のはその全てに水がみたされている。
「ケルベロス!!」
「おやおや、カンのいい方だ」
小狼は、声のした方をキッと睨みつけた。
「やはり、罠だったのか…!」
「ええ。本当は、貴方にもあの中に入っていただくつもりだったんですが…まあ、大した問題ではあり
ませんね。華血刃が無ければ、貴方を捕らえることなど造作もありませんから」
その言葉に、小狼は奥歯を噛み締めた。
小狼は、華血刃の落ちているほうに目線をやった。華血刃は、海鬼とはちょうど反対の方向に落ちて
いて、一駆けすれば取る事が出来そうだ。
そう思ったら、小狼は剣の方へと駆け出した。
「させませんよ」
そう言う海鬼の手から水が鞭のように伸び、小狼の手が届きそうだった華血刃を更に遠くへと飛ばし
た。
「くっ!」
「さ、覚悟はよろしいですか?」
海鬼が水の鞭を手に小狼に迫る。
小狼も諦めまいと、その手に護符を握り締めた。
「火神…!」
小狼が術を発動させ、海鬼が水の鞭を放とうとした瞬間。
耳をつんざくような轟音と共に、海鬼の後ろにあった壁が大量の砂煙を上げて爆発した。
「な…?」
海鬼は思わず後ろを振りかえり、小狼も術を中止してそちらの方を見ている。
だんだんと土煙が収まり、外の様子が見えるようになってくる。
もっと目を凝らそうとした刹那、水晶の弾丸が嵐となって部屋の中に流れこんできた。
「くっ!」
海鬼は水の障壁でそれを防いだが、水晶の勢いのほうが強く、氷の嵐が水の壁を突き破って海鬼に襲
いかかった。
水の鞭でそれらを打ち落とすも、海鬼はその場にくぎ付けになってしまう。
やがて嵐は止み、崩れた外壁から銀髪の青年が中へと入ってくる。
「ユエ!」
その青年の姿もさることながら、その腕に抱かれている少女を見て小狼は驚いた。
「それに…さくら!?」
海鬼も、その姿を見て驚愕している。
「ば、ばかな……そんなはずは…」
「…どう言うつもりだったかは知らんが、アテが外れたようだな」
ユエはそう言うと、ちらりと小狼に目配せをした。
その意を介した小狼は、海鬼に気取られないようにケルベロスの元へと近付いていく。
小狼が攻撃範囲から離脱したのを見て、ユエは開いている右手を肩ほどの高さにかざす。そこにいく
つかの氷柱が生まれた。
それを、今だ放心状態の海鬼に叩きつける。
「なっ……ぐはっ!」
海鬼は氷の嵐の直撃を受け、地面に叩きつけられた。
相手の戦闘能力を奪った事を確めたユエは、小狼とケルベロスのほうへと駆け寄る。
「どうやら、間に合ったようだな」
ユエは腕の中の少女を降ろすとそう言った。
「ユエ…そのさくらは……」
小狼の言葉に、ユエは今気がついたかのような顔をする。
「こいつは主ではない。『鏡』(ミラー)だ」
「『鏡』?」
小狼に見られて、さくらの姿をした『鏡』は少しおどおどして小狼のほうを見る。
「はい…あの、さくらさんが捕らえられたことを、皆さんにお伝えしようと思って…」
その言葉を聞いて、小狼はポケットの中に手をやり、自分が見つけたさくらカードを取り出した。
そして、『鏡』とカードを見比べる。
「…まったく」
『鏡』は、小狼がため息をついたのを見てびくっと体を震わせる。
「お前も、こいつらも…ほんとうはさくらがいなければ動く事さえ出来ないはずなのに…」
そう言って小狼は、少し困ったような笑みを『鏡』に向けた。
「あいつに似て、無茶をする」
「あ…」
『鏡』は、そのそっけない言葉の中に限りない小狼の優しさを感じた。そして、その優しさは自分の
主で、自分も大好きな『あの人』に注がれていると言う事を、とても嬉しく思った。
さくらを守れなかった悔恨の涙に暮れていた『鏡』に、微かな微笑みが戻る。
ユエはそんな二人を見つめると、今度はケルベロスのほうを向いてため息をついた。
「…無様だな」
ユエのいやみに、ケルベロスは口をパクパク動かして抗議する。
どうやら、(そう思うんなら、はよ助けんかい!)と言っているらしい。
それをユエも理解し、再びため息をついて水球の表面に片手をつけて術を解除しようとした。
しかしその時、水球の一部から水が触手のように飛び出し、水球につけていたユエの腕を絡め取った。
「!」
ユエは腕を引きぬこうとするがびくともしない。
「くぅっ!」
残った腕に力を溜めて鋭利な刃と化し、それを水球に振り下ろす。
確かに切れはしたものの、切られたそばから元に戻って結局もう片方の腕も捕らえられてしまった。
「なんだと…!」
「パクパク(なにやってんねん!)」
小狼と『鏡』も、ようやく事の異常に気がついて二人のほうを振りかえった。
それを見て『鏡』が近付こうとする。
「ユエさんっ!」
「来るなっ!」
ユエの制止に、『鏡』はその場に足を止める。
「来たら、取りこまれ…うわっ」
「どうした!?」
ユエとケルベロスは、急に虚脱感に見まわれた。いや、むしろ、急激に力を奪われていっていると言
うほうが正しいだろう。
事実、二人の魔力は二人を絡め取る水球にどんどんと奪われていた。
「魔力が…奪われ……」
それを言うのが限界だったか、ユエはがくっと膝をつく。
と同時に、水球が二人から離れ、遠くに倒れる海鬼に流れこんでいった。
束縛から開放された二人は、そのまま地面に倒れこむ。
「ケルベロス! ユエ!」
「あ、あかん…魔力を、ほとんど取られてしもた…」
「小狼さんっ! あれ…!」
『鏡』の言葉に、小狼は後ろを振り返る。
そこには、圧倒的な魔力を内に取り込んだ海鬼が立ちはだかっていた。
「くくく…ついに、ついに手に入れましたよ、『太陽』と『月』の力を!!」
「なんだと…!」
「ふふふ、始めからこれが目的だったのですよ。これほど鮮やかに事が運ぶとは思っていませんでした
がね…!!」
そう言って海鬼がかざした右手から、強力な魔力弾が小狼達のすぐ真横を突き進んでいった。
真横を通っただけで突風が吹き荒れ、魔力の余波が周囲の調和を乱す。
その威力に、使った海鬼自身が驚嘆し、哄笑する。
「はははははっ! すばらしい! まさに最強の力だ! この力、鳳鬼さえも恐るるに足りない!!」
ひとしきり笑ったところで、海鬼は小狼達のほうを向き直った。
小狼は、『鏡』を後ろ手にかばって海鬼の前に立つ。
「さて、次は直撃させますよ。加減が効かなかったらすみません」
海鬼は邪悪な笑みを浮かべて再び手をかざした。
それは、確実に小狼達を捉えている。
小狼は、せめて後ろの3人は守ろうと持てる魔力の全てを集中させ始めた。
「はあっ!」
海鬼の手から魔力の輝きが放たれる。
『鏡』は目を閉じてその衝撃に備え、ケルベロスとユエはただそれを睨みつける。
小狼は、まっすぐにそれに向き合い、集中させた魔力を爆発させた。
「はあぁぁぁぁぁっ!!」
突風が巻き起こった。
いや、それはむしろ「嵐」と呼んだほうがよかっただろう。
まるで嵐をその場に凝縮させたような風が海鬼の魔力波とぶつかり合い、やがて、お互いに勢いを失
って消えていった。
その場にいた者は、ただ呆然としてその様子を見ていた。
「な…バ、バカな…」
海鬼が必殺の一撃を破られたショックにわなわなと震える。
小狼も、予想外の出来事に手を突き出したままの姿で立ち尽くしていた。
「一体……何が…?」
そんな小狼の元に、1枚のカードが舞い降りてきた。
我に帰った小狼はそのカードを手に取る。
「…『嵐』(ストーム)…」
それは、小狼が持っていたカードの1枚、『嵐』だった。
それをみたユエが、信じられないと言った顔をする。
「『嵐』が発動したと言うのか…? あいつの魔力で…」
さくらカードは、さくらの『星の杖』でしか使う事が出来ないはず。かつてはカードの主だったとは
いえ、小狼がさくらカードをつかえるはずがないのだ。
けれど、実際に『嵐』は発動した。
「カードが、小僧を認めたっちゅーんか?」
ケルベロスの言葉に、『鏡』はそっと頷く。
「みんな、さくらさんが大好きなんです。だから、小狼さんに力を貸したいんです」
その笑みは、さくらに比べて儚げな笑みだけども、それだけにとても透き通った感じの笑みだった。
その一方で、海鬼のほうにも異変が起こった。
「ぐああ…っ! な、んだ……ち、力が、あばれまわる…!!」
もだえ苦しむ海鬼の体のあちこちから赤や青のオーラのようなものが噴き出している。
それをみたケルベロスは、その理由に行き当たった。
「そうか…わいらの魔力が、あいつの体の許容限界を超えてまったんや」
「我らの力を一つの体で支えきろうなどと、所詮無理があったのだ」
ユエが呆れたような顔で吐き捨てる。
「だが、どの道このままじゃ危険だ。あいつの体は、いつ爆発したっておかしくない!」
もしそうなれば、その爆発の破壊力で自分たちもただでは済まないだろう。
そうなる前に、海鬼の体から魔力を抜き取る必要があった。
「せめて、剣があれば…」
丸腰の自分を見て歯を噛み締める小狼。
そんな小狼の前に、また、1枚のカードが浮かび上がった。
「『駆』(ダッシュ)…力を、貸してくれるのか?」
小狼は『駆』を手に取る、それを天へ掲げる。
「李小狼が木之元桜に代わりて命ずる! 我に風の如き疾さを与えよ! 『駆』(ダッシュ)!!」
カードが発動し、魔力の輝きが小狼を包みこむ。
すると、まるであらゆる束縛から解き放たれたかのように小狼の体は軽くなった。
小狼は目にも止まらぬ早さで駆け出すと、悶え苦しむ海鬼の横を通りすぎて華血刃が落ちていた場所
へと辿りついた。
華血刃を手に取り、海鬼のほうを向き直る。
「待たせたな!」
《それよりも急げ! 爆発するぞ!!》
それを聞いて、小狼は再びカードを取り出した。それは、クロウカードを捕まえていた時に、小狼が
何度と無く助けられ、また、さくらを助けてきたカード。
「李小狼が木之元桜に代わりて命ずる! 『時』(タイム)!!」
それに従い、周囲の時間が停止する。
そのわずかな隙に小狼は海鬼に駆けよってその体を切裂いた。
それと同時に小狼は真横へと飛び去り、時間が再び動き出す。
「ば、か、なぁ…」
小狼が斬った切り口から取りこまれた魔力の大部分が抜け出し、残った魔力の爆発は海鬼だけを巻き
込んだ。
全てが止んだ後には、蒼い人形(ひとかた)が残るだけだった。
「ケルベロス、ユエ、大丈夫か?」
華血刃を鞘に収めた小狼は、二人を抱き起こして壁にもたれかけさせた。
「無事、とは言い難いな」
「けど、あいつの漏らした魔力は取り戻したからな、もう少しすれば動けるようになるやろ」
そう言って、ケルベロスとユエは顔を見合わせた。
お互い同じ事を考えていたらしく、どちらからともなく笑みが零れる。
いまいち要領を得ない小狼に、ケルベロスが代表して話しかけた。
「ちゅう訳で、わいらはしばらく動けん。小僧、先行っててくれ」
その言葉に、小狼は困った顔をする。
「え…けど…」
「今動けるのはお前だけだ。そうするのが当然だろう」
小狼も、その通りだとは思っている。しかし…
「あいつなら、お前らを見捨てるなんてまね……」
「さくらやったら、な」
小狼の言葉をさえぎって、ケルベロスがおどけた風に笑った。
「さくらにやったら、こんな事は言わん。小僧だから言えるんや」
対するユエは、少し怒った風に小狼を見る。
「事態は、一刻の猶予も無いのだ。主にもしもの事があったらどうする」
「あ…」
ユエは、ふっとため息をつくと小狼から顔を背けた。
「だから、小僧がさくらを助けてくれ。わいらも回復したらすぐに行くから」
「主を、頼む…」
ケルベロスはいつもの笑顔で、ユエは少し照れたように言葉をかける。二人は二人なりに小狼のこと
を信頼しているのだ。特にケルベロスは、小狼の存在がさくらにとってどれだけ助けになっているかを
知っているからなおさらである。
その想いを受けて、小狼はすっくと立ちあがった。
「ああ、分かった」
小狼は、『鏡』の方を振り向く。
「おまえは、どうする?」
「わたしも行きます!」
小狼は頷くと、出口の扉のほうへ駆け出した。
『鏡』もそれに続いて走り出す。
《『奴』の気配が強くなっている。これなら、私にも案内が出来るぞ!》
小狼のほうも、徐々に強くなっていくさくらの魔力の気配を感じていた。
一歩を前に出す事さえもどかしく、小狼はさくらが待つその場所へと走っていった。
〜 続く 〜
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あとがき
どもども、サイレントストームでっす。第9話『水面の虚像』、ここにお送りできました。
いやー、ようやくここまで来たって感じです。この海鬼戦は想いの刃を思いついたころからよく考え
ていたエピソードでしたから。私って、お話を考える時、後ろのほうから考える癖があるんですよ。そ
のくせ、書いてるとその時思っていたのとは違う展開になってたりして(汗)。
今回は、海鬼の罠をどのようにして描くかが一番苦労しました。出来るだけ陰険な罠にしてやろうと
思ってたんですけど、それがなかなか思いつかなくて…。
後、小狼がさくらカードを使うってとこ、これは絶対にやりたかったんですよ。カード達にも自分の
意思があるんだから、こういう時になら小狼に力を貸してくれるかなって思って。そして、一度は小狼
に署名されたあのカード達を小狼の元に送ることにしたんです。いや〜、使えてよかった(笑)。話の
展開次第ではカード使わずに決着つきますからね。
さて、次はいよいよ鳳鬼との最終決戦です。今までで最大のボリュームとなるはずなので、気合入り
まくってます。出来れば1回で収めたいけど、もしかしたら2回に分かれるかも…。
それでは、次回をお楽しみに! 再見(サイチェン)!