想いの刃
第11話「我愛汝(ウォ・アイ・ニィ)・後編」

 

 真紅の怪鳥、炎の魔人が闇に向かって咆える。  人外の者と化した鳳鬼の魔力が辺りに吹き荒れ、その圧力に壁面が悲鳴を上げる。 「な、なんて魔力だ……!」  魔力が底をついた小狼は、開放された華血刃を杖としてなんとかその場に立っている。  満身創痍の体に、鳳鬼の強烈な魔力は相当にこたえているらしい。  小狼の体を支えるさくらは、心配そうに小狼に目を移した。 「大丈夫? 小狼君」 「あ、ああ……だが……」  さくらに答えると、小狼は鳳鬼の方を見た。  鳳鬼は何をするでもなくただ獣のように咆え続け、凶悪な魔力を放ちつづけている。 「……これが、奴の、本当の力だというのか……」  それを見ているとき、突風が小狼の体を打ち据えた。 「ぐぅっ!」 「小狼君っ!」  さくらはよろめいた小狼の体を強く支える。  それを見たユエが、すっと二人の前に立ち、両手を前にかざす。  すると、そこに魔力の障壁が生まれ、小狼達を包みこんだ。 「ユエさん……」  ユエは、頭だけを少し後ろに振り向かせる。 「……この程度なら、今の私でも十分に防げる」 「けど、こいつはマズイな……」 「ケロちゃん?」  さくらは、呟いたケルベロスのほうを振り向く。  ケルベロスも、さくらの呼びかけに答えてそちらの方を向いた。 「まずいって、なにが?」 「正直言うて、なんもかんも、やな」  そう言って、ケルベロスは眉をひそめる。 「まず、あいつの力や。半端な力やない上に魔力が暴走しててヘタに手ェ出せへんようになっとる」 「……魔力が、暴走してるのか?」  その小狼の問いかけに、ユエが答えた。 「ああ。ダメージを負った所で無理に力を解放したため、魔力が制御不能になっているらしい」  咆え猛る鳳鬼を見て、ユエはもう一言付け加える。 「言うなれば、理性をなくした獣と同じだ」 「次に、今のワイらや。小僧の魔力がのうなってるのは元より、ワイとユエも魔力が半分以下になって しもうとるし、さくらはさくらでカード達がまだ復活しとらん」  言われて、さくらは手にしたさくらカードを見た。  カード達の温もりは感じるものの、普段通りの力を発揮できるほど自分もカードも回復していないよ うな気がする。 「そして、いっちゃんやばいのは……この魔法陣や」  ケルベロスの言った魔法陣。  それは、鳳鬼の四つの力とさくらの力の五つを頂点とした逆五芒星の事である。それは、フェニック スランドの周囲にたゆたうあらゆる魔力を吸収し、鳳鬼に注ぎこむと言ったものだった。  つまり、魔法陣がある以上、鳳鬼は無限の力を発揮し続けると言う事なのである。 「この魔法陣をどうにかせな……ワイらに勝ち目はない……!」  ケルベロスの言葉に、みんなが一様に黙りこむ。  諦めたわけではない。  ただ、具体的にどうすればいいのか。それが思い浮かばないのである。  そうやって黙っている間に、周囲の壁に亀裂が入り始めていた。 「壁にヒビが……!」 「周りの壁が、あいつの魔力に耐えられなくなってきとるんや!」 「く……このままでは」  壁が崩れるのも時間の問題であった。  もし、壁が崩れれば、当然それに伴って支えを失った天井も落ちてくる。  ユエはそれからさくら達を守るため、結界の強度を更に強める。 「……ケルベロス、手を貸せ」 「ああ、わかっとるわい!」  ユエの声に応えて、ケルベロスもユエのそれに重ねて結界を張った。  結果、結界の強度は格段に増したが、それでも、崩れ落ちてくる天井の重量を支えきれるかどうかわ からない。  それでも、ケルベロスとユエは、さくら達だけは守ろうと思っていた。  そんな二人の姿を見て、小狼はなんの力にもなれない今の自分を思い、唇をかんだ。 「俺に……もう少し、力が残っていたら……」 「小狼君……」  さくらは、そんな小狼を辛そうに見つめていたが、キッと表情を改める。 「小狼君」 「さくら……」 「大丈夫、だよ」 「え……?」  少し、あっけにとられた顔をしている小狼に、さくらはほのかに微笑みかけた。  見ているだけで、頑なな心がほぐれてしまうような、そんな微笑み。  それと共に、さくらは言葉を続けた。 「今までだって何とかなったんだもん。きっと……ううん」  今度は力強い微笑みと共に、さくらは言葉を放つ。 「ぜったい、大丈夫だよ!」  さくらの言葉は、微笑みは、くじけかけていた小狼の心に、再び光を投げこんだ。  どうして、こんな風に笑えるのだろう。  本当は、自分だってつらいはずなのに。  でも、だからこそ惹かれた。守りたいと思った。  その少女が、自分に勇気をくれる。  気がつくと、小狼の口元にも微笑みが浮かんでいた。 「ああ、そうだな」  小狼は、キッと天井を睨んだ。  壁のヒビは成長を続け、ついに天井を侵食し始めている。天井が崩壊するのも、もはや時間の問題だ ろう。 (それでも、俺はあきらめたりはしない)  小狼の思いは、その場にいるみんなの思いだった。

 

 小狼達がそんな状態にあった頃、フェニックスランドの北端、逆五芒の頂点のちょうど正反対の位置 にエリオルはいた。  遠く離れていてもさくら達がどんな状況にあるのか分かるのか、普段は柔和な笑みが絶えず浮かんで いるその顔にも厳しい表情が現れている。 「私は出来れば手出しはしたくなかったが……こうなっては仕方ない」  そういって、エリオルは手にした杖を天にかざした。  杖に光が宿り、そこから光が逆五芒星の各頂点めがけて飛び出していく。 「スピネル、ルビー、頼んだよ」  ひとりごちて、エリオルは更に魔力を高めていった。

 

 エリオルの言葉に応えて、フェニックスランドの各所に散っていたスピネルとルビーはそれぞれに行 動を起こした。  スピネルとルビーは、五つの頂点のうち、真南を除いた南側の頂点を二つ、赤光と水晶弾でそれぞれ 破壊した。  更に二人は、それまで頂点があった場所へと飛んでいく。 「さあ、それでは……」 「はじめましょうか」  スピネルからは蒼い光の、ルビーからは紅い光の柱が立ち上った。  その光は、力の流れを捻じ曲げ、魔法陣に新たな文様を描き始める。  エリオルの力がスピネルに流れこみ、スピネルの力はルビーの元に向かい、それらを受けたルビーの 力がエリオルの元へと返っていく。  また、残された3つの点も、それぞれが自身の役割を果たそうと互いを結び付け始めた。  やがて、それは三角形と逆三角形を重ね合わせたような形になる。 「……よし」  それぞれの力が繋がった事を確認したエリオルは、手にした杖を振るった。  すると、まばゆい光が魔法陣の中に溢れ、新しい力の流れが動き始める。  鳳鬼の生み出した逆五芒星は崩れ、エリオルの創り出した新たな魔法陣が起動を始めたのだ。

 

 鳳凰城最上階に吹き荒れる魔力の嵐は、衰えるどころかますます勢いを増していった。  床がゆれ、壁がきしみ、破壊の爪がより深く壁面をえぐっていく。  ユエは、周囲の状況を見てポツリとつぶやいた。 「……そろそろ崩れるな」 「落ち着いとる場合かっ!!」  冷静すぎるユエにツッコミを入れるケルベロス。  けれど、思うことはユエと一緒だった。  二人とも、さくらと小狼を守りたいと思っているし、その覚悟もある。だが、その決意で二人を守り きれるか、崩れ落ちてくるであろう天井を支えきれるかどうかは別問題であった。 (耐えられるか? ワイらの力で……) (やるしかない。……たとえ、力及ばずとも……!)  その時、それまでで一番大きな衝撃が彼らを襲った。  その衝撃で壁に致命的な亀裂が入り、壁面がぼろぼろと崩れ落ち始める。 「く……っ!」  小狼は地面に突き刺していた華血刃を引き抜くと、それを片手に持ってキッと天井を睨んだ。 「小狼君?」 「俺が…華血刃であの天井を斬る。今のこいつになら、出来るはずだ」 「そんなっ、無茶だよ!」  さくらの制止の声も意に介さずに、小狼は天井を睨み続けている。 「……今の俺に出来る事は…それしかないんだ」  せめて、さくらは自分の手で守りたい。  天を睨む小狼の姿からは、そんな思いがありありと感じられた。  それに呼応するかのように、魔力が無く輝きを失ったはずの華血刃の刀身に、ほのかなあかりが灯り 始めた。  さくらも、そんな小狼の姿を見て意を決した。  小狼に止める気が無いのなら、せめて、自分が小狼の力になりたい。  さくらは、胸元から封印の鍵をとりだし、開放の呪文を唱える。 「星の力を秘めし鍵よ……真の姿を我の前に示せ……契約の下…さくらが命じる……」  そして、さくらは力ある言葉を解き放った。 「封印解除(レリーズ)!!」  鍵は光の中でぐんぐん大きくなり、やがて、先端に輪の中に収まった星の飾りがついた一本の杖とな ったそれをさくらは握り締めた。  その姿を見て、今度は小狼が驚いた顔をする。 「さくら……」 「わたしも、がんばるよ! 小狼君!」 「……ああ!」  小狼とさくらは頷きあうと、二人で天井を見上げた。  それは、ちょうど天井が崩れ落ちてくるところだった。 「いくぞ!!」 「はいっ!!」  小狼は、崩れ落ちてくるがれきめがけてわずかな輝きが灯る華血刃を振り上げた。  同じくさくらも、1枚のカードを取り出す。 「カードさん、おねがい! さくらと一緒にがんばって!」  そして、さくらは杖を振り上げた。 「『風』(ウィンディ)!!」  カードが発動した瞬間、辺りがまばゆい輝きに包まれた。  それは、エリオルが新しい魔法陣を起動させた、まさにその瞬間であった。 (なっ…!) (こ、これは…!?)  既に力を使いきっていたはずのさくら達の体に、新しい力がどんどんとみなぎっていった。  刃から放たれたカマイタチは巨大な空気の刃となり、カードから生まれたそよ風は突風へと姿を変え る。  その刃は降り注ぐがれきを打ち砕き、突風ががれきを吹き飛ばしていく。  それらの影響を受ける事が無かった破片も、ことごとくユエとケルベロスが張った結界に阻まれて周 囲に小山を築くだけとなった。  そのあまりの変化に、崩壊が収まった後も四人は呆然としていた。 「いったい……何が起こったんだ?」  小狼は剣を降ろしながら、呆然として呟く。 「よく、わからないけど……なんか、急に力がわいてきて…」 「ああ。まるで、外から力を注ぎこまれてるようやった」  さくらの言葉に、ケルベロスも頷く。 「これは推論だが……」  ポツリと呟いたユエに、みんなの視線が集中する。  ユエはそれをチラッと見ると言葉を続けた。 「何らかの理由で奴に注がれていた魔力が私達に注がれたのだろう」  そのユエの言葉に、みんなの目線が鳳鬼の方を向く。  鳳鬼への魔力供給が断たれたためか、あれほど激しく吹き荒れていた魔力はすっかり落ち着いて、辺 りは静寂を取り戻している。  それでも、獣の眼差しで小狼達を見る鳳鬼の力は、先程とは比べるべくもないものだった。  その姿を見て、小狼は華血刃を構える。 「奴の奥の手は破れた……これで、決着をつける!」  言うが早いか、小狼は華血刃を腰だめに構えて鳳鬼めがけて駆け出した。
 グ…ォォオオオ…
 唸り声と共に鳳鬼の周りに現れた光球は、自分に近づいてくる小狼めがけて飛び出した。  小狼はいったん立ち止まると、向かってくる光球に対して剣を振るう。 「はあぁぁぁぁっ!」  すばやく鮮やかな太刀さばきに、光球は小狼に辿りつく前に二つに割れて霧散していく。  だが、光球は間断なく小狼を襲いつづけ、小狼はその場にくぎ付けにされてしまった。 「小僧っ!」 「…フンッ!」  小狼の援護をするために、ケルベロスとユエが飛び出す。 「ハッ!」  ユエがかざした手の先から水晶の嵐が飛び出し、次々と光球を打ち落としていった。  ケルベロスも小狼の横まで来ると、鳳鬼めがけて激しい炎を吹きかけた。
 グ、ォォァァ…
 その炎に、鳳鬼もわずかにひるむ。  そのスキに、小狼は再び鳳鬼との間合いを詰めた。  そうして、鳳鬼の間近まで来た小狼だったが、鳳鬼もそう甘くはなく、目の前の小狼めがけて腕を振 り下ろす。  その時、小狼は奇妙な浮遊感にとらわれ、見る見るうちに鳳鬼の上を飛び越していく。  地面に着地して後ろを見ると、自分を捕まえているさくらの姿があった。 「大丈夫?」 「そうか……『跳』(ジャンプ)か」  小狼は改めて華血刃を構えると、鳳鬼に斬りつけていった。  一歩手前まで走りこみ、そこで踏み切って跳躍する。  それに気づいた鳳鬼が体を反転させるが、すでに大上段に構えられていた華血刃が振り下ろされよう としていた。  小狼は、今度こそありったけの魔力を剣に注ぎこむ。華血刃もそれに応え、刀身は輝かんばかりの紅 い光を放っていた。 「これで、終わりだあぁぁぁっ!!」  小狼は体重を乗せて剣を振り下ろす。  真紅の閃光が、地上へと駆けぬけた。
 ガ……オ……アァァァ……!
 赤い軌跡が駆けぬけた後から、徐々に光が漏れ始める。  その輝きはどんどんと大きくなっていく。  やがて、それは鳳鬼の体全体から一斉に放たれた。
 アァァァァァァァ……ッ!!
 断末魔の声がだんだんと小さくなっていき、光が徐々に薄れてくる。  光の放出が収まった時、鳳鬼がいたはずの場所には何も存在してはいなかった。  小狼達は、その場所をただ、じっと見つめている。 「やった……のか…?」  じっと周囲の気配を探ってみる。けれど、それらしい気配は何一つ感じなかった。 「どうやら、そのようやな……」  ケルベロスは、その言葉で自分を安心させたかのようにほうっと息を抜いた。  となりで、ユエも同じように息をつく。  二人の口元には笑みが浮かんでいた。  それを見て、さくらの顔もぱあっと明るくなる。 「終わったんだね、小狼君!」  小狼はゆっくりと振り向くと、こくりと頷いた。 「……ああ」  そう頷く小狼の口元にも、微笑が浮かんでいた。  さくらもますますの笑みを浮かべ、小狼の下に駆け寄ろうとした。  その時、激しい揺れがさくら達を襲った。 「きゃっ!」 「な、なんだ!?」 「あかん! 城が崩れるで!」  言うが早いか、ケルベロスは宙に舞いあがってさくらの下へと向かった。  同じようにユエも飛びたつ。  既に床は崩壊を始め、さくらと小狼はそれから逃れるために端のほうへと駆け出していた。  逃げるさくらと小狼に、ケルベロスが追いつく。 「さくら! 小僧!」  横にケルベロスが来たのを見て、小狼は足を止めてさくらを抱きかかえた。  突然の事にさくらは驚く。 「しゃ、小狼君!?」 「さくら、先に乗れ!」 「う、うん」  言われるままに、さくらはケルベロスの背によじ登る。  ちょうどその時、床の崩壊が小狼の足元に達した。

 

「うわっ!」  小狼はとっさにさくらから手を離すと、そのままがれきと共に落下していった。 「小狼君!」 「小僧っ!」 「!!」  ケルベロスとユエが同じように小狼を追って地上へと飛んでいった。  しかし、がれきが邪魔をして上手くスピードを出す事が出来ない。  そうしている間にも、小狼の体はどんどんと地上に近づいていく。 (このままじゃ…)  瞬間、さくらの脳裏にかつての華血刃の主・小龍の話がよぎった。  大切な人を守って、そして散っていった悲しい話。  このままでは、その悲劇が繰り返されてしまう。 (そんなの、絶対やだ!)  さくらは意を決すると、小狼を追ってケルベロスの背を蹴った。  突然のさくらの行動に、ケルベロスはうろたえる。 「さ、さくら!?」  だが、さくらの頭の中は、小狼を救う事しか存在していなかった。 (小狼君がいなくなっちゃうなんて……わたし、絶対にやだ!!)  さくらは、落下しながら1枚のカードを取り出すと、下に向かって投げつけた。 「『時』(タイム)!!」
 カードの力で周囲の時が止まり、がれきが空間に固定される。  その間にさくらは、止まっているがれきを足がかりに落下を続ける小狼に追いついた。  その体を抱きとめた瞬間に、時が再び動き始める。  カードの力がなくなったその瞬間に、さくらは別のカードを取り出した。 「『翔』(フライ)!」  すると、さくらの背に翼が生え、落下する速度は急激に緩やかになっていった。  さくらはそのまま横に飛び、がれきの影響がない安全なところに着地する。  地面に膝をつけたさくらは、瞳を閉ざしている小狼の体をゆすった。 「小狼君、小狼君っ!」  その揺れで気がついたのか、小狼はゆっくりとまぶたを開ける。  その瞳に、泣きそうな顔で自分を見るさくらの顔が映った。 「……さくら?」 「小狼君……」  さくらは、その声にホッとして地面に腰を下ろした。 「よかった……」  微笑むさくらの目じりから、つぅっとひとすじの涙が零れる。 「小狼君が無事で……ほんとによかったよぅ」 「さくら……」  小狼は手を伸ばし、指でその涙を拭う。  その手の温かみに安心したのか、さくらの頬にほのかな朱がさした。

 

 さくらは地面に座り、小狼をひざまくらしていた。  小狼は顔を真っ赤にしているが、動く気力も体力もないらしくなすがままになっている。  二人とも何もしゃべらず、ただ、静かな時を感じていた。  その場に、飛び立つさくらの姿を追ってきた知世がやってきた。 「さくらちゃ……」  やっとみつけたさくらに声をかけようとした知世だったが、二人の様子を見て出した言葉を途中で飲 みこむ。  ふっと微笑むと、代わりにバッグの中から愛用のビデオを取り出し、二人の姿を撮影し始めた。  そこへ、城脱出の際にさくら達とはぐれたケルベロスとユエがやってくる。 「さくらーーーーっ!」 「主……!」  知世はその二人のほうを振り向くと、人差し指を唇に当てて「しぃーっ」と言った。  妙に真剣な知世に、二人とも思わず口をつむぐ。  二人の反応に満足した知世は、再び視線をさくら達のほうへ戻した。

 

 さくらは、小狼の髪をそっとなでる。指に絡ませた艶やかな髪がすぅっとくぐりぬけていく。 「小狼君、大丈夫?」  ふんわりとかけられた言葉に、小狼は赤面しながらも微笑んだ。 「ああ。さくらこそ、ケガとかしてないか?」 「わたしはだいじょうぶだよ。だって……」  そう言って、さくらの頬が赤くなる。 「小狼君が、守ってくれたから」 「…そうか」  小狼の細めた瞳の中にさくらの姿が映る。  さくらは安心し切った様に微笑んで、かすかに頬を赤く染めて自分を見つめていた。  それを見ていると、心がだんだん熱くなってくるような気がした。 (今なら……きっと……)  伝えられるかもしれない。  ずっと胸に秘めていた想い。伝えようとしても、伝えられなかった想い。いつかは、伝えなければな らないと思っていた想い。  それが、今なら伝えられるかもしれない。  そう思った小狼は、ゆっくりと体を起こした。 「小狼君、まだ…」  起きあがる小狼を制止しようとしたさくらを、小狼は片手を出して制止する。 「さくら……」  小狼は、ゆっくりと後ろを振り向く。  その視線の正面に、さくらの姿を捉える。  だんだんと高鳴る鼓動をおさえ、小狼は言葉を発した。 「伝えたいことが、あるんだ」  言われて、さくらは小首をかしげる。 「伝えたいこと?」  小狼は、頷いて肯定の意を示す。 「お、俺は……」  言葉を繋げようとするけれど、上手く出てこない。  まるで言葉が喉につかえてしまったかのように、言いたいことを言うことが出来ない。  鼓動もどんどん早くなる。  それを抑えようと、小狼は深呼吸をする。  息をつき、再び話し始める。 「俺は、おまえの……」  その時、小狼の体からすぅっと力が抜けた。  急に傾いた小狼の体をさくらがとっさに支えた。 「小狼君っ! どうしたの!?」  口は動くけれど、声になってはくれない。  自分の意識がだんだん白い霧に閉ざされていくのを、小狼は自分でも驚くほど明確に感じていた。  さくらの声は聞こえる。体に当たるそよ風も感じられる。  それでも、意識は徐々に遠のいていく。 (また、なのか……)  今度も、思いを伝えられない? (今度も、ダメなのか?)  今なら言えると思ったのに。 (今しか、ないんだ!)  でも、ほんの一言さえ、口にする事が出来そうにない。  その時、小狼の脳裏に一言の言葉が浮かんだ。  たった一言、想いを伝えられる言葉が。  小狼は、最後の力を振り絞って声を出す。 「…く、ら」 「何!? 小狼君!」  さくらは、小狼のかすかな声を聞き逃さないように耳を澄ました。  そして、小狼はその一言を伝える。

 

 我・愛・汝(ウォ・アイ・ニィ) 桜

 

 そう言って、小狼の意識は失われた。
 さくらは、小狼の体をきゅっと抱きしめる。  伝わる温もりは暖かで、聞こえる鼓動は穏やかで、首筋をなでる息がくすぐったくて。  それらが、小狼が生きている事、大丈夫な事を十分過ぎるほどさくらに伝えていた。 「大丈夫、なんだね。小狼君」  さくらは、小狼に耳元にそっと呟く。  小狼が最後の言った言葉の意味はわからなかったけれど、なぜだか、心があったかくなれた。  そのさくらに、近くから声がかけられる。 「さくらちゃん」  その声に顔を上げたさくらの顔が、ぱあっと喜びに彩られた。 「知世ちゃん!」 「さくらちゃん、お怪我はございませんか?」 「うんっ、わたしは大丈夫。知世ちゃんは?」  心配そうに問いかけるさくらに、知世はふわっと微笑んで応えた。 「私も平気ですわ。ケロちゃんに守っていただきましたので」  知世の言葉を聞いて、さくらはハッとなる。 「そういえば、ケロちゃんとユエさんは!?」 「ワイらならここにおるで」  声がしたほうを振り向くと、ケルベロスとユエが微笑みを浮かべて立っていた。 「ケロちゃん! ユエさん!」 「どうやら、二人とも無事のようやな」 「わたしは大丈夫だけど、小狼君が……」  すると、ユエが小狼に近づき、手を頬に当てる。  ユエは一つ頷くとさくらの方を見た。 「魔力を使い果たして眠っているだけだ。心配は要らない」  それを聞いて、さくらはホッと胸をなでおろした。  知世は携帯電話を取り出すと、一言二言話してからさくらの方を向いて微笑んだ。 「今、家のものを呼びました。それで、李君をおうちまで送って差し上げましょう」 「うん! ありがとう、知世ちゃん!」 「いえ、全てはさくらちゃんのためですわ」  ユエはすっと立ち上がると、彼方のほうを見つめた。 「では、私はあいつを運ぶとしよう」 「あいつ?」 「一応、安心させてやらねばな」  そう言って、ユエは彼方へと飛び去っていった。 「あいつって、だれだろう?」 「さあ?」  さくらと知世は顔を見合わせる。  そこに、数人の足音が近づいてくるのが聞こえてきた。 「おっと、ワイも仮の姿に戻ったほうがよさそうやな」  そう言ったケルベロスの体が羽根で包まれ、再び開くと元のぬいぐるみのようなケロが姿を現した。  ケロはそのまま、さくらのバッグにもぐりこむ。 「さくらちゃん、そろそろ……」 「うん」  そういって、さくらは小狼の体を抱えながら立ちあがった。  ちょっと辛そうなさくらに、知世が心配して声をかける。 「大丈夫ですか?」 「う、うん、平気だよ」  実際、少し重いのだが、それでもさくらはなんでもないように微笑んだ。 (小狼君、いっぱい助けてくれたから、ほんの少しでもお返しがしたいの)  さくらは、眠っている小狼の耳元に口を寄せてそっと囁いた。

 

「ありがとう、小狼君」

 

〜 続く 〜
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