想いの刃
第3話「月(ユエ)VS蒼鬼(ツァンカイ)」
 小狼は、夢を見ていた。あの、古い中国の、剣の夢。
 小狼は、謎の剣を携えて闇の者を倒していく。
「ハァッ!」
 剣の一薙ぎが、また闇の者を葬り去る。小狼が気を抜きかけた時、「剣」から声が聞こえた。
《小龍(シャオロン)、まだ残っているぞ》
 小狼を後ろから襲おうとしていた闇の者は、声に気づいた小狼によって倒された。
「これで…最後だな」
《いざと言うところで気を抜くのはお前の悪い癖だな》
「面目ない…」
 小狼が剣を収めた時、後ろのほうから誰かがやってきた。いや、それが誰かは確かめなくてもわかっ
ている。
「小龍兄様―っ!」
 振り返るとそこには、息を切らせて走ってくるさくらの姿があった。
「桜花(インファ)…また来たのか…」
《あまり怒らぬようにな。お前を心配しての事だ》
 「剣」の余計な口出しに、小狼は憮然とした。
「分かっている…」


「…らん君…」
 誰かが、自分を呼んでいる。小狼は、ぼやけた頭でそう認識した。
「…小狼君…」
「…李君…」
 この声、俺は、よく知っている。たしか…
 なんとか頭にかかったもやを晴らそうとしていた小狼の耳元で、大音量が響き渡った。
「起きてっ、小狼君!!」
「うわっ!?」
 その声に、小狼の頭は完全に覚醒した。が、同時に驚いて、座っていた椅子から滑り落ちてしまう。
「小狼君!?」
 小狼は、しりもちをついたままの姿で、心配そうに自分を見るさくらと知世を見上げた。
「さくら…大道寺…?」
「小狼君、大丈夫?」
「あ、ああ…」
 小狼は、今の自分の姿に気づくと慌てて立ちあがった。
「俺は…どうしたんだ?」
 状況がいまいち把握できていない小狼に、知世が説明した。
「李君、ここで居眠りをされていたのですわ。このままでは風邪をひかれてしまいますので、さくらち
ゃんと起こして差し上げようと思ったのですけど…」
「寝てた…?」
 小狼は、改めて周囲を見渡して見た。
 そこは、学校ではなくその近くのペンギン公園だった。その中心には、シンボルとも言うべきペンギ
ン大王がある。
 そこで小狼は、ようやく自分がどうしていたのかを思い出した。
「そうか…学校が終わった後、途中で急に眠くなって、ベンチに座ってうとうとしていたんだ…」
 さくらが、心配げに小狼を見つめる。その視線を受けて、小狼は赤くなった。
「小狼君、ホントに大丈夫? どこか、おかしくない?」
 知世もさくらの意見に同調した。
「李君が居眠りなんて、珍しいですものね」
「……きっと、魔力を消耗していたためだろう…」
「あ…」
 言われて、さくらは夕べの事を思い出した。
 夕べ、再び奇妙な空間に閉じ込められたさくらと小狼は、そこでかなりの魔力を削り取られたのだ。
そのせいで眠くなったのは小狼だけに限らず、実はさくらも授業中うたた寝をしていたのである。
「やっぱり、小狼君も眠かったんだね」
「ああ…でも、ここまで熟睡するとは思わなかった」
 そう言って小狼は、今見たばかりの夢を思い出した。内容は同じだったけど、声が聞こえたのは初め
てだった。その声は、しっかりと小狼の耳に残っている。
(小龍という名の俺、桜花と言う名のさくら。そして…)
 小龍と話していた「剣」。あの剣は、確かに今小狼の持っているこの剣だった。
(この剣には、意思があるのか?)
 小狼は考える事にのめりこんでいたが、それはさくらの声で中断される。
「どうしたの、小狼君?」
「あ、いや…なんでもない」
 小狼は、少し気恥ずかしくなって、すたすたと入り口のほうへと歩いていった。
「と、特に用事はないし、そろそろ、帰る」
「あ、待ってよ小狼君!」
 先行した小狼を、さくらが追いかける。さらにその後から知世もついてきた。
「ね、途中まで一緒に帰ろうよ」
 小狼は足を止めると、ちらっとさくらのほうを見る。
 さくらは、にっこりと笑って小狼を見ている。小狼は、とにかくこの笑顔に弱い。
「ね?」
 さくらに対する気持ちに気づいてから、この笑顔を拒否できた事など一度もない。今回も、その例に
及ばなかった。
 小狼は、顔を真っ赤にするとこくりと頷く。
「…わかった」
「それじゃ、行こっ!」
「あ、おい!」
 そう言ってさくらは駆け出し、今度は小狼が追いかける立場になった。
「あらあら、ほほほほほ」
 その後ろで、知世が楽しそうに笑っていた。


 さくら達は、『ツインベル』へ向かおうと商店街を歩いていた。
 商店街には、あちこちにフェニックスランドのポスターが貼られている。
 あまりに多く見かけるので、小狼は思わす感嘆の息をついた。
「すごいな…これは…」
「この辺では珍しい、一大テーマパークですもの、広告も派手になりますわ」
 そういえば、TVのコマーシャルでもよくやっていたと小狼は思い返していた。
 一方のさくらはと言うと、二人の前方3メートルほどの所を走っていた。
「小狼く〜ん、知世ちゃ〜ん、はやく〜!」
 それを見て、小狼は再びため息をついた。
「後ろ向きながら走ると危ないぞ」
 と、小狼が言ったすぐそばで、さくらは誰かとぶつかって大きくしりもちをついていた。
「きゃっ!」
 その様子を見て、小狼と知世は急いでさくらの下に駆けつける。
「いたた…ご、ごめんなさい…」
「大丈夫かい?」
 さくらがぶつかったその人は、そう言ってさくらに手を差し伸べた。
「は、はい。わたしは大丈夫です」
 さくらはその手を取って、立ちあがる。その時に相手の顔を見て、思わず息を飲んだ。
(きれいな人…)
 さくらが見たのは、青年と呼んで差し支えのなさそうな男性で、細面で肩ほどまでのつややかな黒髪
を持ち、すっきりとした鼻筋に、鋭いながらも決してキツさを感じさせない瞳を持っていた。
 恐らく、十人の女性が見たら7・8人はその容姿に見とれるであろう美貌だった。
 颯爽と着こなされているスーツが青年の理知的な魅力を更にかもし出している。
(このひと…どこかで…)
 さくらが、そんな事を思った時だった。
「さくら、大丈夫か!?」
「さくらちゃん!」
 小狼と知世が、ようやくさくらの下に辿りついた。さくらは、二人を笑顔で迎える。
「小狼君、知世ちゃん」
「大丈夫ですか、さくらちゃん?」
「うん、平気だよ。ごめんね、心配させて」
 さくらは、もう一度青年のほうに振りかえった。
「あの、本当にすみませんでした」
「いや、ケガがなくて何よりだ。今度からは、気をつけてね」
「はいっ」
 その青年の顔を見て、小狼と知世は同時にあることに気がついて声を上げる。
「あ、あなたは、もしかして!」
「劉鳳月(リュウ・フォウユエ)さん!?」
「おや、よく知っているね。その通りだよ」
 小狼と知世は相手の素性を知って驚いていたが、さくらだけが今一つ理解できていない。
「ほえ? 小狼君、知世ちゃん、知ってる人なの?」
「お前なぁ! ニュースとか見てないのか!?」
「は、はう〜」
 二人のやり取りを見て、鳳月は苦笑した。
「まあ、知らなくても無理はないかな? そちらの二人がずいぶん物知りなだけだよ」
 そこで鳳月は、こほんと咳払いをした。
「どうだろう。立ち話もなんだから、そこの喫茶店にでも入らないかい? ぶつかったお詫びも含めて
ね」
「え? で、でも…」
「お金の事なら心配しなくてもいいよ。わたしがご馳走するから」
「悪いですよ…ぶつかったのはわたしの方なんだし…」
 恐縮するさくらに、鳳月はにっこりと笑って肩に手を置く。
「なに、わたしも君に気づかなかったのだからお互い様だよ。で、どうかな。いやなら無理にとは言わ
ないけど…」
「は、はい…それじゃあ」
 さくらは遠慮がちに頷く。
 それを見て小狼は眉を吊り上げたのだが、鳳月の笑みがこちらにむいて少し動揺した。
「君達も、一緒にどうだい?」
 知世はにっこり笑ってそれに応えた。
「では、お言葉に甘えさせていただきますわ。…李君はどうなさいますか?」
「お、おまえ達が行くと言うのなら、俺は構わない…」
 満足そうに頷く鳳月に導かれて、さくら達は近くの喫茶店へと入っていった。

 喫茶店に入ったさくら達は、六人がけのテーブルに鳳月と向かい合うようにして座った。
 さくら達は紅茶を、鳳月はコーヒーをそれぞれ頼み、それらがさくら達の前に並べられる。
「では、改めて自己紹介しようか」
 そう言って鳳月は胸元から名刺を取り出すと、さくらの前に差し出した。その名刺には日本語で『劉
コンツェルン総帥 劉鳳月』と書かれていた。
「わたしは劉鳳月。劉コンツェルンと言う、香港にある会社の社長をしている者だ」
「あ、わ、わたしっ、木之元桜です! それでこっちが…」
「大道寺知世です」
「李小狼です…」
 鳳月はそれぞれの自己紹介を聞くと、知世のほうに顔を向ける。
「君はもしかして…大道寺Toyの社長のお嬢さんかな?」
「ええ、大道寺園美は私の母ですが…母をご存知なんですか?」
「ああ。フェニックスランドを作るに当たって、大道寺Toyにはお世話になっているからね。なるほ
ど、母君に似て美しいお嬢さんだ」
 やんわりと微笑んでそれに応える知世。
「ところで、さくらちゃん…と呼んでいいかな?」
 鳳月に声をかけられて、なぜか緊張するさくら。そんなさくらを、小狼はおもしろくなさそうに見て
いる。
「は、はい、構いません」
(ほ、ほえ〜、どきどきしちゃうよぅ)
 さくらの内心をよそに、鳳月は話を続けた。

 その頃、学校帰りのエリオルもたまたま商店街のほうに来ていた。
 そして、これはたまたまかどうかは知らないが、さくら達のいる喫茶店のほうに歩いている。
(さて、あまり遅くなるとスピネルがへそを曲げるしな…)
 そんな事を考えながら歩いていると、前のほうからスーツ姿の男がエリオルのほうに歩いてきた。
 どうやら、何かを探しているようである。
(こんな時間に外回りとは、ご苦労な事です)
 それ以上の事は思わずに、スーツ姿の男とすれ違った時、エリオルはどこかで感じたことのある気配
をかすかに感じた。
 正確に言うならば、転生する以前、クロウ・リードであった頃に感じた気配が。
 スーツ姿の男も何か感じたのか、エリオルのほうを振りかえる。
 エリオルも、そしらぬように振り向いた。
「…どうかしましたか?」
「い、いや…なんでもない…」
「そうですか、では」
 エリオルは、そう言うと後ろを向いてさっさと歩き始めた。どうやら、男もそれ以上エリオルの関わ
る気がないらしく、気配が遠ざかっているのが分かる。
 男のいたほうを向きながら、エリオルは真剣な眼差しでそちらを見ていた。
(『彼』の配下の者か…少し、面倒な事になりそうだな…)

 喫茶店では、鳳月がさくら達に友枝町のことを聞いたりして、色々と話をしていたのだが、不意に鳳
月が時計を見て声を上げた。
「おや? もうこんな時間か」
 そうして鳳月は申し訳なさそうにさくら達のほうを振り向く。
「申し訳ないが、私はそろそろ行かなくてはならない。こちらから誘っておいて、本当にすまないね」
「い、いえ、すっかりごちそうになっちゃって…」
 恐縮するさくらを見て、鳳月は頬を緩めると、スーツの内ポケットから何かのチケットを三枚取り出
した。
「お土産と言ってはなんだが、これを受け取ってくれないか?」
 さくら達は、それを一枚ずつ受け取った。
「あの、これは…?」
「フェニックスランド開園日の一日フリーパスだよ。よかったら遊びにきてくれ」
 それを聞いて、さくらは驚いた。
「い、いいんですか!?」
「ははは、余り物だからね、気にしなくていいよ」
 笑いながら、鳳月は席を立った。その手にさりげなくレシートを持っている。
「では、わたしはこれで失礼するよ。これ以上いると、君のボーイフレンドに睨まれてしまいそうだ」
「えっ…?」
「なっ…!?」
 君達はゆっくりしていってくれと、笑いながら鳳月は颯爽と立ち去っていった。
 一方のさくらと小狼は、鳳月の言葉を聞いて真っ赤になっている。
(わ、わたしのボーイフレンドって…小狼君が!?)
(あ、ああああいつ、な、何てこと言って帰るんだ!?)
 確かに、さくらが鳳月と話している間、小狼はずっと仏頂面をしていたのだが。そんな風に捉えられ
ているとは全く意外だった。
 お互い動揺している二人に、知世が追い討ちの一言をかける。
「周囲の人から見たら、恋人同士に見えるんですね。さくらちゃんと李君」
「と、知世ちゃん…(かあああっ)」
「………(かあああっ)」
 その後、別れるまで二人は顔を合わせるたびに顔を赤くしていた。


 小狼、知世と別れ、さくらは一人ペンギン公園の近くを歩いていた。
 その頭の中では、先程の鳳月と知世の言葉がリフレインしていた。
(わたしと小狼君って…恋人同士に見えるのかな…?)
 そんな風に捉えられて、さくらはとても恥ずかしいのだけれど、余り嫌な感じはしていない。それど
ころか、どこか嬉しい感じさえしている。
 一人になった今も、心臓が少し高鳴っている。
 さくらは、そんな自分の気持ちに少し戸惑っていた。
(…でもでもっ、小狼君はどう思ってるんだろう……迷惑かもしれないし…)
 そんな事をずっと考えていたさくらは、考えに没頭する余り前からやってくる人物に気づかなかった。
「…さくらちゃん?」
 その声に、さくらはハッと我に帰って顔を上げた。微笑みながら自分を見るその人を見て、さくらは
ぱぁっと顔を輝かせる。
「雪兎さん!」
「こんにちは、さくらちゃん。学校の帰り?」
 さくらは、満面の笑みで雪兎に答える。
「はいっ! 雪兎さんも、学校の帰りですか?」
「うん。って言うか、さくらちゃんに用事があったんで、さくらちゃんの家に行こうとしてたとこ」
「わたしに、ですか?」
 雪兎が桃矢ではなく自分を探していたとは、どう言う事だろうかと不思議そうな顔をするさくら。
 そんなさくらに、雪兎はいつもの微笑みを浮かべて答える。
「うん。もう一人の僕が、さくらちゃんと話がしたいって」
 雪兎の言葉に、さくらは少し驚く。
「月(ユエ)さんが!?」

 それから二人は、ペンギン公園の隅の大木のところに行った。時間だからか、公園に人はいない。
 むしろ、さくらとしてはそのほうが都合がいいのだけれど。
 それを確認すると、雪兎の背から生えた大きな翼が雪兎を包みこむ。その足元に魔法陣が輝き、その
翼が開くと、中からは長い銀髪の青年が現れた。
 この青年こそが、『太陽』の守護者・ケルベロスと対をなす『月』の守護者・月(ユエ)なのである。
 月城雪兎は、彼の仮の姿なのだ。
 さくらは、ユエにおずおずと声をかける。
「ユエ、さん?」
 その声に、ユエが振り向く。
「………」
「あの、わたしに用って…」
 ユエは、表情を変えずに言葉を紡ぎ出す。
「主よ、この町に異変が起ころうとしている」
「えっ…?」
「『闇の者』が現れたのは、これから起きる事の前兆にすぎん。より大きな力が動き出そうとしている」
 ユエの言葉に、さくらは少し怯えた顔になる。
「より、大きな力ってなんですか?」
「わからん」
 変わらず真顔でそう言うユエに、さくらは思わずずっこけそうになる。
 しかし、ユエの方はいたって真面目だ。
「何かはわからん…だが、何か大きな闇の力が目覚めようとしているのは確かだ」
「ユエさん…」
 ユエのさくらを見る目が、普段に増して真剣なものとなる。
「気をつけろ。私もケルベロスも出来る限りはお前を護る、だが、何が起こるか分からない。だから、
お前も出来るだけ用心するようにしてくれ」
 ユエの、そっけない言葉の中に隠されているさくらを大切にする気持ちを感じて、さくらは胸の中が
暖かくなった。
「分かりました。ありがとうございます、ユエさん」
 さくらの笑顔を受けて、ユエは普段通りに、だけどどこか気恥ずかしげに答える。
「…言いたい事は、それだけだ…」
 そうしてユエは仮の姿に戻ろうとする。
 それを黙ってみていたさくらだったが、不意に脳裏を小狼が持つ謎の剣の事がよぎって慌ててユエを
止めた。
「ま、待ってください、ユエさん! わたし、ユエさんに聞きたいことがあるんです!」
 言われてユエは、仮の姿に戻るのを止める。
「…なんだ」

「あ、あの……」
 さくらは、香港から送られてきた小狼の剣の話をした。それと共に、おととい、昨日と襲ってきた闇
の者についても話した。
 ユエは、さくらの話を黙って聞いていた。
「……華血刃、か…」
「ユエさん、何か知りませんか? ケロちゃんに聞いても分からないって言うし…」
 ユエは、記憶を辿るように瞳を閉ざした。
「…以前、クロウから聞いたことがある。持ち主の魔力を「力」に換える魔剣が中国にあったという話
を」
「それが、華血刃…なんですか?」
 ユエは頷き、さくらの言葉を肯定した。
「ああ……持ち主によっては全てのクロウカードさえも超える…クロウにそう言わしめた剣だ」
 さくらは、ユエの言葉にただ驚く。
 しかし、次の句を告げようとしたとき、ユエの表情がわずかに曇った。
「だが…あれは、少々曰く付の物でな…」
「いわくつき?」
「華血刃のまたの名は……『主殺しの妖刀』…
 その剣の持ち主は、皆、戦いのうちに非業の死を遂げている」
「え――」
 ユエの言葉を聞いたとき、さくらは一瞬、我が耳を疑った。血の気が引いていくのが明確に感じられ
る。
 その言葉は、とても信じられないような事だった。
 さくらの様子を見ながら、ユエは淡々と言葉を紡ぐ。
「言い伝えに近いものだから、多少の違いはあるだろう。ただ、そう言う者達がいるのは事実らしい」
「だ、だってあの剣、小狼君のお母さんが送ってきたものだって…それが、なんで…」
「…詳しい事は私にはわからない。ただの言い伝えと言う事もある……それに」
 ユエは、さくらの肩にそっと手を添えた。
「その剣が、華血刃であると決まったわけではない。そう、気を落とすな」
 ユエのかけてくれた優しい言葉に、さくらの顔から微笑みが零れる。
「そう、ですよね。…ありがとう、ユエさん」
「……では、そろそろ雪兎に戻る…」
 そう言ってユエが、再び翼を広げかけた時だった。
 なんとも言い表せぬ違和感がさくらとユエを包みこんだ。
 その気配を感じて、ユエは仮の姿に戻るのをやめる。
「こ、この気配…」
「闇の者か!」
 ユエの見つめる先―ペンギン大王のそばの土がだんだんと盛り上がり、それは人の形をなしていった。
その土の中から、頑強な筋肉によろわれた大男が姿を現す。中国風の鎧を身にまとい、その体躯はユエ
よりふた周りくらい大きい。
 現れた闇の者は、ユエの姿を見つけると、探し物が見つかったかのような会心の笑みを浮かべた。
「ここにいたのか、もう一人のクロウカードの守護者! 探したぜぇ!」
 ユエは、さくらを護るように翼を広げ、闇の者を見据える。
「貴様…闇の者か?」
「俺の名は蒼鬼(ツァンカイ)! 俺の主からお前を探し出せとの命を受けた! その力、試させても
らうぜ!」
 蒼鬼は、身をかがめるとユエめがけて走り出した。
 その拳が当たる寸前、ユエはさくらを抱えて空中へと脱出する。そのまま蒼鬼の反対側まで飛ぶとさ
くらを地面に下ろした。
「お前はここにいろ。あいつが用のあるのは、どうやら私らしい」
「ユエさん!」
 ユエはきびすを返すと、再び蒼鬼のほうへと飛び出していく。
 地上の蒼鬼は、ユエが近付いてくるのを見ると、驚異的な脚力でユエと同じ高さまで飛びあがる。
「うぉりゃあ!」
「フン」
 振り下ろされた拳を、ユエは事もなげにかわす。そして、自分の後ろを見せる形となった蒼鬼にダイ
アモンドダストを叩きつける。
 氷の散弾銃を受けた蒼鬼は、そのまま地面に叩きつけられた。
 ユエはその様子を冷淡に見つめる。
「…他愛もない」
 しかし、地面に叩きつけられたはずの蒼鬼は、まるで何事もなかったように立ちあがった。
「ヘヘヘ、やるじゃねェか。ちょっとビビったぜェ」
「私の力を試すと言った割には、無様だな」
「じゃあ見せてやるぜ! 俺の力をなぁ!」
 そう言うと蒼鬼は、両手を大地につけると力をこめ始める。
 それに呼応するかのように、地面が細かく震えだし、所々に亀裂が入る。
 何か危険なものを察したユエは、氷の弓矢を引き絞ったが、それが放たれるより一瞬早く蒼鬼の力が
発動した。
「大地よ、我が意に従え!」
 その言葉に答え、ユエの放った矢を大地の錐が受け止めた。その錐は、瞬時に凍り付いて砕け散る。
「なにっ?」
「ハッハッハァ! まだこんなモンじゃないぜェ! うおりゃあ!!」
 蒼鬼の気合と共に、地面から十数本の大地の槍がそそり立つ。それらは皆、正確にユエを狙っていた。
「くらいなっ! 行けェ!」
 術者の命に従い、無数の槍がユエに襲いかかる。
「クッ!」
 ユエは、土の槍を巧みにかわして、氷の嵐を放つ。
 氷の槍と土の槍がぶつかってお互いに砕け散るが、土の槍は次から次から大地より飛び出してはユエ
に襲いかかった。
 それでも槍を防いでいたユエだったが、そのうちの一本が弾幕を抜け出して、ついにユエの翼を捕ら
えた。
「グワッ!」
 たまらずユエは、地上に落下する。
「しまった…!」
「もらったな、クロウの守護者!」
 蒼鬼は、ここぞとばかりに大地に力を注ぎこむ。隆起した大地は、一本の巨大な腕を形作る。
 ユエは再び空中に逃れようとするが、翼が片方傷ついているために飛ぶ事が出来ない。
「ユエさん!」
 ユエに危機に、さくらは何も考えずに鍵を取り出した。
「星の力を秘めし鍵よ、真の姿を我の前に示せ! 契約の下、さくらが命じる!
 封印解除(レリーズ)!」
 突如として現れた大きな魔力に、一瞬蒼鬼の注意が逸れる。
「なんだ、この魔力は!?」
 さくらは、蒼鬼を見据え、迷うことなく一枚のカードを取り出す。
「彼の地を鎮めよ、『地』(アーシー)!」
 主の命を受けた『地』が、大地への干渉を開始する。
 蒼鬼と『地』の支配力がせめぎあっていたが、より干渉力の強い『地』が大地の支配権を握った。
 それにより、蒼鬼が操っていた土の槍や腕が元の大地へと還り、大地に干渉していた蒼鬼自身も『地』
の力に束縛された。
「なっ…!? か、体が!?」
 蒼鬼は、体を振り向かせてさくらを睨みつける。
「貴様か、小娘ェ!」
「――っ!」
 さくらが動き出すいとまもあらば、蒼鬼はさくらめがけて突進した。
 それに気づいたユエが止めようとするも、攻撃するのも、間に割り込むのも間に合わない。
 さくらは、視線を逸らす事さえ出来ずに立ち尽くしていた。
「主、逃げろーっ!」
「もう遅いわっ!」
 蒼鬼が拳を振り上げ、さくらは目を閉ざした。
 その拳がさくらに届くか否かの瞬間、二人の間を赤光が貫いた。
「な、なんだ!」
 蒼鬼は、動きを止めて赤光がやってきたほうを見る。
 その先には、スーツ姿の青年が右手を前にかざして立っていた。
 さくらは、その姿を見て驚く。
「大丈夫かい、さくらちゃん?」
「鳳月さん!?」
 さくらが続けようとしたのと同じ言葉を、蒼鬼が口にする。
「貴様、なぜここに!?」
 そう問う蒼鬼を、鳳月は笑みさえ浮かべながら見据える。
「お前達がここにいるからに決まっているだろう? 華血刃を奪いに来たのだろうが、そうは行かな
い」
 鳳月が口にした言葉に、さくらとユエは同じように驚いた。
「華血刃を、知ってるの?」
「何者だ…」
 そんな二人の思いをよそに、鳳月と蒼鬼は対峙を続けていた。
 ただ、この対峙は、鳳月のほうが幾分有利な感じがする。
「ここは退くのだな、蒼鬼。お互い、騒ぎを大きくしたくはなかろう?」
「…ぐっ……」
 蒼鬼は、口惜しげに鳳月を睨んでいたが、やがて諦めたようにきびすを返した。
「この場は、貴様に免じて退いてやる。だが、このままでは終わらんぞ!」
 その言葉と共に、蒼鬼の体は現れたときのように大地に沈みこんでいった。
 最後に、ユエに向けた言葉だけを残して。
『ユエ! 貴様は必ず俺がしとめる! 忘れるな!』

 蒼鬼が去った事で、さくら達を取り巻いていた違和感が取り払われた。
 異空間で起こった事は現実に影響を及ぼさないらしく、公園内は戦う前と変わらないたたずまいを見
せている。
 そんな中で、さくら・ユエと鳳月が向かい合っていた。
「あ、あの、助けていただいて、ありがとうございます」
「いやいや、ケガがないようでなによりだ」
 微笑みながら答える鳳月に、さくらは少し遠慮がちに声をかける。
「あの、鳳月さん…」
 さくらが言葉を続けていた途中で、鳳月はそれを制した。
「おっと、色々と聞きたい事はあるだろうが、それは勘弁してもらいないかな? こちらにも、色々と
事情があってね」
 ユエは、油断なく鳳月を見つめて、問いかける。
「貴様、奴らの事を知っているのか? 何故、華血刃の事も知っている」
 鳳月は、すっと目を細めてユエを見る。
 が、それも一瞬の事で、すぐにいつもの温和な顔つきに戻った。
「…彼らとは、以前から対立を続けていてね。私も、多少の魔力は持っているので、彼らとは戦ってい
るんだ。華血刃の事は、その間に知ったんだ」
 鳳月は、さくらにその視線を向ける。
「実はね、さくらちゃんと友達の男の子が強い魔力を持っているのは知っていたんだよ。それで、少し
話をしてみたくなってね…
 …友達の男の子の持っている剣、あれは間違いなく華血刃だ。これからも、彼は奴らに狙われ続ける
だろう」
「そ、そんな…」
「だけど、奴らに華血刃を渡してはならない。私も、出来る限りの協力をしよう。
 さくらちゃんのボーイフレンドを、危険な目に合わせるわけには行かないからね」
 「ボーイフレンド」という言葉に反応して、顔を赤くするさくら。
「では、私はそろそろ行かせてもらうよ。何かあったら、名刺にある番号に電話してくれ」
「ま、待て…!」
 ユエは引きとめようとしたが、鳳月の姿は一瞬にしてかすみのように消えていた。
 さくらとユエは、その跡を呆然と見つめていた。
「…一体何者なんだ、アイツは…」
 鳳月の消えた跡を見て、ユエが呟く。
 しかし、さくらの胸中はそんな事を考える余裕などなかった。
 持ち主に「死」を与える魔剣・華血刃。
 それこそが、今現在小狼が持っている剣なのだと知り、さくらは言い様のない不安に襲われていた。
「小狼君……」
 この一時の別れさえもが、永遠につながってしまうような予感が、さくらの気持ちを暗い闇へと沈め
ていた。


 そのさくら達の戦いの一部始終を見ていた者がいた。
 黒き蝶の羽をその背に纏った、ワインレッドの流れるような髪を持つ絶世の美女。その実態は、クロ
ウ・リードの転生、柊沢エリオルに生み出されしもう一人の『月』の守護者、ルビー・ムーン。
 ルビーは、その様子を上空から見つめ続けていた。
「あらあら、なんだか面白いことになってるわねぇ」
 そのまま体を反転させると、ルビーはエリオル邸の方へと向かった。
「でも、華血刃って一体なんなのかしら? まあ、エリオルに聞けば分かる事ね♪」
 家に帰って来たルビーが、スピネルに説教を食らうのはこの後わずか5分の事。
〜 続く 〜

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あとがき

 どもども、サイレントストームです。
 第3話「月 VS 蒼鬼」、ここに完成いたしました。
 今回の話、実を言うとちょっと気に入っていません。場面場面の繋ぎがまるでつぎはぎのよう。かな
り見づらい文章になってしまい、自分の文章力のなさを感じてしまう今日この頃です。
 初期のあらすじをそのまま書き起こしたようになってしまいました。ので、主人公のクセに小狼の出
番は前半にちょびっとだけです。今回は、さくら、っていうかユエメイン(爆)。
 でも、ユエを少し活躍させられたり、なにより、短いけれど前回よりはアツアツなSSシーンをかけ
て、この点では満足です。恋する乙女なさくらちゃんがちょっと可愛い(はぁと)。
 最後のほうで出てきたルビー、本当は今回出る予定はありませんでした。なんか成り行きでそのまま
登場させてしまって。
 さて、次回は最後となる四人目の闇の者・麗鬼(レイカイ)の猛攻に、ついに華血刃の封印が解かれ
ます。それを振るって戦う小狼の姿に期待! そして、禁断の小狼の夢初公開(爆)! 今回よりは、
多少短めになる予定です。
 では、今回はこの辺で。