第5話「血の華の伝説」
さくら、知世、ケルベロスの前に映し出されるのは、『夢』(ドリーム)によって映し出される小狼の
夢。
夢は語る。
遥かな過去の、華血刃にまつわる哀しき物語を……
とある中国の片田舎、そこに暮らす一人の青年がいた。
青年の名は小龍(シャオロン)。両親は既になく、十の齢を数えたばかりの妹が一人。たった二人の
兄弟であったが、それを感じさせぬほどに二人は仲がよかった。
小龍は、退魔士を生業として妹を養っていた。
退魔。それは、今だ表の世を跋扈する闇の住人達を祓い、人に仇なす魔性より人々を守る仕事。
小龍は曽祖父の代から伝えられる魔剣・華血刃をあやつる名うての退魔士だった。
そんな彼は、今日もまた闇の者と対峙していた。
小龍は、華血刃の切っ先を闇の者に突きつけ、射るような視線で見据えた。
「…闇の者、このまま退くならばよし。退かぬなら…」
闇に潜んでいた魔獣は、小龍の言葉が終わらぬうちに彼に飛びかかってきた。
《来るぞ、小龍》
頭の中に、「剣」の声が響く。
そう、この華血刃は己の意思を持つ魔剣だった。
小龍は、「剣」の言葉に応えて身を翻して攻撃をかわす。
「…退かぬなら!」
魔力が注ぎこまれ、華血刃は瞬時に真紅の光を纏う。
相手の後ろを取った小龍は、体を翻しざまに必殺の一刀を繰り出した。
「覚悟を決めろ!」
「!?」
闇の者が、それに気づいて後ろを振り向く。しかし、完全に振りかえる前に華血刃は相手を捕らえ、
その体を両断した。
ギャァァァァ……!
時ならぬ、断末魔の声が響く。
闇の意識が潰えたのを見届けた小龍は、剣を振り、ゆっくりと鞘に収めた。
《終わったな》
「ああ…」
華血刃の声にそっけなく答えて、小龍は戦いの場となった廃墟を後にした。
闇の中から抜け出した小龍は、陰鬱な気配を洗い流すようなまぶしい太陽の光に目を細めた。
しばらく微笑みながら陽射しを楽しんでいた小龍だったが、前方に現れた小さな影を見つけて、その
表情が怪訝なものに変わる。
小龍は、苦虫を噛み潰したような顔でかぶりを振った。
「アイツ…また来たのか」
そう呟くと、自分のほうを見ている小さな影に近付いていく。そのかげは、やがて小さな少女の姿と
なって小龍を出迎えた。
少女は、空に輝く太陽のような笑みを浮かべて駆け寄ってくる。
「お疲れ様! 小龍兄様!」
「桜花(インファ)……」
嬉しそうな桜花と対照的に、疲れた表情の小龍。それは、ただ仕事を終えた事から来るものだけでは
ない。
「何度言ったら分かるんだ? 危ないから、俺の仕事場には来るなといつも言ってあるじゃないか!」
怒られて、桜花の元気な顔が一転して落ちこむ。
「でも、兄様が心配だから…」
「お前が来ると、俺に余計な心配がかかるんだ」
小龍は、ため息をつくと諭すように言う。
「お前に何かあってからでは遅いんだ。頼むから、家でおとなしくしていてくれ」
「分かった……ごめんなさい、兄様…」
また一つため息をつきながら、小龍は桜花の髪をなでる。その顔には、かすかな笑みが浮かんでいた。
《小龍には私がついている。桜花は心配しなくてもいいぞ》
まるで鈴の音のような声が響いた。「剣」の声は、主か、ある程度の魔力がある者にしか聞こえない。
しかし、桜花はその声に元気に頷き返した。
「うんっ! かけつじんさん、兄様を守ってね!」
小龍も桜花も、生まれつき魔力の強い子ども達だった。それは、退魔の家系であった父の影響かもし
れない。そのおかげで食べるに困っていないのだから、小龍はその力を残してくれた両親に感謝してい
た。
小龍は、身をかがめると桜花の手を取った。
「さ、帰ろうか、桜花」
花がほころぶような笑顔で桜花が頷いた。
「うんっ!」
小龍の家系は、代々続く退魔士の家系であった。
小龍の父親もその例に漏れず、小龍は幼い頃からその父に退魔士としての手ほどきを受けていた。そ
んな両親が突然の流行り病によってこの世を去り、まだ幼い妹・桜花を遺した小龍は途方にくれた。
遠縁の親戚から身柄を引き受けるという申し出もあった。しかし、小龍はそれを断り、自分の手で生
きていく事を選んだ。
父から学んだ退魔の技でどこまで行けるのかを試して見たかったのだ。
ただ、桜花だけは親戚のうちに預けようと思っていた。しかし、その事を打ち明けると桜花は
「わたし、兄様と一緒がいい。一人はいや」
と、小龍の言うことを頑として聞こうとしなかった。
しかたなしに、小龍は自分が桜花を養っていく事に決めた。ただし、本当に生活が苦しくなった時は
親戚の家に行くと言う条件で。
そう決めてから4年、初めの頃こそ満足の行く生活とは行かずひもじい思いをする事も多かったが、
やがて退魔士の仕事も軌道に乗り、人並み以上の生活が出来るようになっていた。
また桜花も、幼いながらけなげに兄を支え、常に小龍の身を案じ、また彼を慕って共に苦しい時を乗
り越えてきた。
小龍は思う。もし桜花がいなかったら、自分はとっくの昔に挫けていたであろうと。桜花は、小龍に
とってかけがえのない存在になっていた。
そう、己が命を削ってでも、その幸せを守りたいと思うほどに。
明くる朝、いつものように仕事の準備をしていると、桜花が沈んだ顔をして小龍のもとにやってきた。
「どうした、桜花? 具合が悪いのか?」
しかし、桜花は首を振り不安げに小龍を見つめる。
「…何か、いやなことでもあったか? 俺でよかったら相談に乗るが…」
「違うの…兄様…」
小龍は、妹の意図が掴めずに怪訝な顔をする。
やがて、桜花は言いずらそうに重い口を開いた。
「あのね、兄様…わたし、嫌な予感がするの」
「嫌な予感?」
桜花はこくりと頷く。
「何か、兄様によくない事が起こる気がするの」
不意に、小龍の顔が曇る。普段なら笑って済ます話だが、桜花も潜在的に強大な魔力を秘めていて、
その予感が外れた事はない。
加えて、今日の相手はかつて父が戦い、ついには追い返す事しか出来なかったほどの大物である。
小龍は、妹の言葉にそっと耳を傾けた。
「ねぇ、兄様…」
「ん?」
「今日のお仕事、どうしても行かなくちゃダメ?」
「…ああ」
桜花の言いたい事はわかる。この仕事は危険だから、止めてくれないかというのである。
本当なら、妹のそばにいてその不安を消し去ってやりたい。
でも、小龍には、この仕事だけはやめることのできない理由があった。
小龍は、桜花の肩に手を添えるとその瞳を見つめた。ガラス玉みたいにきれいな瞳に映る自分の姿を
見つめながら、小龍は言葉を紡ぐ。
「…桜花、この仕事だけは、譲るわけにはいかない。これは、父さんがただ一つやりのこした仕事なん
だ」
「………」
「なにより、俺自身挑んでみたい。自分の限界の壁が、どこにあるのかを。……だから、今回だけは、
俺のわがままを許してくれないか?」
「…にい……さま…」
桜花の瞳から、一筋の滴が零れ落ちる。それは、後から後から少女の頬を流れ落ちていった。
なにかをしゃべろうと口を動かすが、うまく言葉にならない。そのもどかしさで、更に多くの涙が流
れていった。
それを見つめていた小龍は、桜花の肩に両腕をまわすと、その体をそっと抱き寄せた。思った以上に
小さな体から、桜花の鼓動と温かさが伝わってくる。
それを体中に感じながら、桜花の耳元にそっと囁いた。
「桜花、一つだけ、約束する」
「…兄様?」
「俺は、桜花を悲しませる事は絶対にしない。これまでも、そして、これからも、ずっとだ…!」
小龍の胸の中で、桜花が小さく頷く。
「約束だよ。絶対に、帰ってきてね」
「ああ、約束だ」
再び向き合った二人の顔は、間違いなく笑顔であった。
夕刻。
小龍は赤く染まる廃墟街でその魔物と対峙していた。
しなやかな体と秀麗な顔立ちを真紅の羽毛でよろった魔人、名を鳳鬼(フォウカイ)と言う。
この周辺のみならず、かなり広範囲にわたって闇の者達を束ねている実力者だった。
その力は強大で、実際に打ちあってみて父が追い返す事で精一杯だったと言う事を納得させるほどだ
った。実際、配下の闇の者は全て討ち倒しているのに、鳳鬼は今だ余裕の表情を浮かべている。
「ク……こいつ、強い…」
小龍は、華血刃を改めて握りなおし鳳鬼に向き合った。
鳳鬼は、射るような視線をその身に受けて微笑みを浮かべている。
「なかなかやるな、華血刃の後継者。そうでなくては面白くない」
「ほざけっ!」
小龍は駆け出して、その刃を真横に払う。
白刃がその身を捉えようかと言う時に、真紅の羽がまるで刃のようにそれを受け止めた。
「なかなかの切れ味だ。しかし、まだまだ…」
鳳鬼が翼を翻して巻き起こした突風で小龍は後ろへと弾き飛ばされる。小龍はバランスを崩したが、
どうにか持ちこたえて体勢を立て直す。
「お前の父は、もう少し使えていたがな」
「なんだと!?」
《やめろ、小龍! 奴の挑発に乗るな!》
熱くなりかけた小龍をすかさず抑える華血刃。しかし、実際二人の実力差は明白なものであった。
《わたしの真の力を使えれば、まだなんとかなるのだが…》
その言葉を耳に留める小龍。小龍は、その意味するところを問おうとしたが、その暇も与えまいと鳳
鬼が炎を纏って飛びこんできた。
小龍は炎の拳を身をひねってかわすと、手にした呪符で水を召還した。その水は鳳鬼に触れるとすぐ
に蒸発してしまったが、足止めとしての役目は十分に果たした。
攻撃圏内から逃れる事に成功した小龍は、再び鳳鬼に向けて華血刃を打ち込んだ。
そんな二人の戦いを瓦礫の影からそっと見つめる一つの影があった。
言わずと知れた小龍の妹、桜花である。
出かけるときは納得したものの、やはり不安になってきてしまい、またも言い付けを破って小龍の後
をつけてきてしまったのである。
小龍は、今はまだなんとか五分の戦いを続けている。しかし、常に全力で戦っている小龍と今だその
身の奥底に余力を残しているような鳳鬼とでは、その状態が長く続きそうもなかった。
鳳鬼の拳撃に再び小龍の体が弾き飛ばされ、桜花ははっと息を飲んだ。
「…兄様…!」
本当は、今すぐに飛び出していきたい。そして、兄のもとに駆け寄りたい。
けれど、それをしたところで結局兄の足を引っ張る事にしかならない。
桜花に出来たのは、悔しさをてのひらに込め、兄の姿を見つめ続ける事だけだった。
「うおぉぉぉっ!」
華血刃の一撃が鳳鬼の纏った炎の鎧を切り裂く。
小龍は間髪入れずに切り口めがけて二撃目を繰り出した。
「フッ!」
鳳鬼の腕が刃をガードする。
しかし、白刃の勢いは衰えず、そのまま鳳鬼の片腕を半ばまで切り裂いて切っ先が地面をこすった。
「グゥッ! …お、おのれ」
徐々に表情の余裕がなくなってきた鳳鬼に対し、小龍の顔には先ほどの焦燥とは打って変わった覇気
が満ち溢れている。
「よしっ! だんだん感じがつかめてきた!」
小龍の携える華血刃の刃は、持ち主の魔力に呼応して輝くばかりの真紅の光に包まれていた。
《小龍の力が上がってきている。これならば、わたしの真の力を使えるかもしれん》
「真の、力? さっきもそう言っていたな」
先ほどの疑問を華血刃にぶつけてみる。小龍の中に、華血刃の明瞭な意識が流れこんできた。
《ああ…前にも言ったが、今のわたしは本当の力を封じられているのだ》
「…その封印が、今の俺なら解けるんだな?」
《…かもしれん…》
華血刃と会話を交わす余裕が出てきた小龍に対し、一方の鳳鬼は戦いの中で力を伸ばしていった小龍
を見て当初の余裕をなくしていた。
小龍は自分と戦うことによってその力をぐんぐん伸ばしてきている。だから、戦いが長引くのは鳳鬼
にとって不利だ。しかし、早めに勝負を決めようと全力で攻撃しても、今の小龍相手では決め手になる
か分からない。
鳳鬼は、決定的な決め手となるものを探していた。
(奴の隙をつけるもの……なにか……ん?)
その時、鳳鬼は自分たち以外の気配が近くに紛れこんでいるのを感じた。そこにあった人影を見つけ、
鳳鬼はほくそえむ。
「ハッハァ!」
鳳鬼は、小龍めがけて炎を纏った風を放った。
小龍は呪符で風を巻き起こしそれを防ぐ。だが、それの目的は小龍を倒す事ではなかった。
小龍が炎に気を取られている間に、鳳鬼は小龍の横を通り越して人影に接近した。
炎を蹴散らすのと同時に、鳳鬼が横を駆け抜けていく。攻撃がなかったことに戸惑う小龍だったが、
その理由はすぐにわかる。
直後、絹を引き裂いたような悲鳴が小龍の耳に響き渡った。
「キャァァァァァッ!!」
それは、小龍の最もよく知る少女の声。
叫ぶ間もあらば、すぐさま振り返って鳳鬼の後を追う。
「桜花ァァァァッ!!」
小龍は桜花の下へと必死に駆ける。
だが、鳳鬼のほうがわずかに早い。その伸ばした赤い腕は、桜花の華奢な体を掴もうとしていた。
「いやぁ…!」
(桜花ッッ!)
鳳鬼が桜花の腕を捕らえ、引き上げる。その頬に残忍な笑みが浮かぶ。
その瞬間、小龍の中で何かが弾けた。
爆発的に高まった魔力は真紅の輝きとなって華血刃に流れこむ。それは華血刃の纏う銀の衣を剥ぎ取
り、ルビーのような真紅の刀身を現す。
鳳鬼が小龍を振り返ろうとしたその瞬間、華血刃は桜花を捕らえていた腕を寸断していた。
一瞬、何が起こったか分からず呆然とする鳳鬼。
小龍が桜花の体を抱きとめて大地に降り立った時、鳳鬼はようやくわが身に起こった事を理解した。
「グァァッ! な、なんだとぉぉ!?」
小龍は、怯える桜花の瞳を見ると、
「待ってろ」
とだけ言って鳳鬼めがけて走り出していった。
「お、おのれぇぇっ!」
必殺の刃を携えてかけてくる小龍めがけて、鳳鬼は紅蓮の炎を放った。
しかし小龍はそれを意にも介さず切り刻み、いきおい衰えずに前へと進む。
鳳鬼に肉薄する小龍。
相手が反応する間もなく、振り下ろされた華血刃は魔力の煌きをちりばめながらその体を袈裟懸けに
切り裂いていた。
「…こ、れが…か、けつじん、の……」
鳳鬼は、驚愕を顔に貼りつけたまま仰向けに倒れこんだ。
華血刃の放つ真紅の燐光がその亡骸を弔うように降り注いでいた。
「兄様ぁ!」
自失から我に返った桜花は、急いで兄の下へと駆け寄った。
小龍は、妹の無事を確かめると、安心したように振りかえった。
「無事か…桜花……」
「ごめんなさい…にいさま、ごめんなさい…!」
泣きじゃくる桜花の頭にぽんと手を下ろす小龍。
だが、不意にその体がゆらつき、ゆっくりと倒れていった。
「にい、様?」
呆然とそれを見ていた桜花は、慌ててしゃがみ、小龍の体をゆすった。
「兄様? 兄様!」
瞳を閉ざしていた小龍だったが、揺られてうっすらとまぶたを上げる。
そのまま仰向けになると、桜花の顔があるほうへ顔を向けた。
「兄様、どうしたの!? しっかりして!」
「…桜花、よかった…ケガは…ないか?」
「わ、わたしなんかより、兄様が!」
小龍は、疲れたように息を吐き出して、瞳を閉じた。
「どうやら、魔力を…使いすぎた、ようだ…」
まるで生命力を使いきってしまったかのように全身から力が抜けていく。それでも、小龍は桜花を安
心させようと力を振り絞って瞳を開けた。
「華血刃の真の力…俺には、まだ、大きすぎる力だったようだ…もう、力が入らない……」
「ごめんなさい、兄様…わたしのせいで…わたしの…」
「いや…どの道、こうでもしなければ奴には勝てなかった……お前が無事で、本当によかった…」
それまで微笑んでいた小龍だったが、不意に顔を曇らせる。
「でも、ゴメンな、桜花…約束、守れそうに、ない…」
その言葉の意味するところを知り、桜花は小龍の手を握って激しく首を振った。
「そんなの、いや、いやだよ! 嘘だって言ってよ!」
「ご免…桜花…」
「やだぁ! わたし、なんでもするから! なんでもいうこときくからぁ!」
「桜花…俺が死んだら、華血刃を持って都の李家の元へ行け。あそこは、父さんの遠縁だって言うから、
きっと何とかしてくれる…」
しかし、桜花は両手で耳をふさぎ、話を聞きたくないようにかぶりを振る。
「いや! 聞きたくない! わたし、兄様とずっといっしょにいる!」
小龍はそれを見て顔を曇らせた。
桜花の気持ちは、痛いほどよく分かる。桜花の気持ちは嬉しいし、何より自分だって桜花と一緒に居
たい。
でも、それはもう叶わぬ事だと悟っているから。
だから、小龍は自分が桜花に出来るせめてもの事をする。
「桜花」
「―――――っ!」
「聞いてくれ、桜花…」
弱々しい、でも、温かみに溢れた言葉に、桜花は耳から手を離し、涙のたまった瞳で小龍を見る。
「俺は、もう桜花と一緒に居る事はできない…これは、もうどうしようもないものだ…」
「兄様…」
「でも、おまえが俺を覚えていてくれるのなら、俺は、お前の中で生き続けることが出来る」
「わたしの…中…」
小龍は、言葉を噛み締めるようにゆっくりと頷く。
「そうだ……だから、まっすぐ前を見つめて、お前の幸せを見つけて欲しい…それが、俺の願いだ…」
「兄様、約束、守るから……一つだけ、わがまま言ってもいい?」
「うん?」
「今だけ、今だけは…兄様のために泣かせて…!」
「…ああ」
その言葉を聞いた瞬間、桜花の瞳から止めど無く涙が溢れ出す。それを抑える事もせずに、桜花は兄
の胸に顔をうずめて泣きじゃくった。
「うわぁぁぁん! 兄様ぁ! 死んじゃいやぁ! 兄様ぁ! うぁぁぁぁん!」
小龍は、残された力を振り絞って腕を動かし、桜花の髪をなでた。そして、そばで寄り添うように横
たわっている華血刃に声をかけた。
「…華血刃…」
《すまない、小龍…こうなってしまう事は、わかっていたのに…》
小龍は、ゆっくりとかぶりを振る。
「そのおかげで、桜花を守れた…悔いは、ない…」
ふうっと、息をつく。
「一つ、頼みがある…」
《…なんだ?》
「アイツが一人立ち出来るようになるまで…桜花の事を頼む…」
《分かっている、小龍…》
その答えに満足そうに頷くと、小龍は首を空へと向けた。
日はすっかり沈み、空には宝石をちりばめたような星空と、夜の闇を照らす幻想的な月が浮かんでい
た。
その様子を瞳に焼き付けて、小龍は静かに瞳を閉じる。
新たな旅立ちの時は、もう間近だった。
「桜花、華血刃、元気でな…」
桜花の瞳が小狼を映し、華血刃が哀しげな音を鳴らせる。
そして、最期の吐息が漏れた。
「さよなら……」
そこで、夢の映像は途切れた。
それは、小狼の夢の終わりであり、また、さくらが使った『夢』の終わりであった。
夢で小龍が死んだその瞬間、さくらは杖を投げ出して眠っている小狼にとりついた。
「小狼君! 小狼君っ!」
さくらの急な変貌に、ケロと知世は一様に驚く。
「さくらちゃん!?」
「どないしたさくら!」
二人の呼びかけに答える事もせず、さくらは小狼を揺り起こし続ける。
「小狼君っ! ねぇっ、小狼君っ!!」
そう呼びかけるさくらの眼からは大粒の涙が零れ、その表情は悲しみに彩られていた。
見かねたケロが、さくらの前に回りこむ。
「さくら落ち着け! あれは夢の話や! 小僧が死んだわけとちゃう!」
「でもっ、でもっ!」
まだ動揺しているさくらの肩に、そっと知世の手が添えられる。
「さくらちゃん、李君は眠っているだけですわ。ひとまず落ち着いてください」
知世の穏やかな呼びかけでさくらはようやく激情を抑えられたようだ。それでも、涙にぬれた顔のま
ま知世のほうを振り返る。
「知世ちゃん…」
「さ、これでお顔を拭いてくださいな。そんなお顔では李君が目を醒まされた時に心配なさいますわ」
「う、うん」
さくらは、知世が差し出してくれたハンカチを受け取って涙を拭う。
その時、ベッドの小狼が小さな声を上げた。
「う、ううん…」
みんなが一斉に小狼のほうを振りかえる。
そんな中で、小狼はゆっくりと目を開けた。
「ここは…?」
「小狼君……」
目が醒めたばかりで、今だ状況を把握できていない小狼に、さくらがそっとよりかかった。
いきなりの事に、小狼の気はますます動転する。
「えっ、なっ!?」
そんな小狼の様子などお構いなしに、さくらは小狼の肩を抱きしめた。涙が伝うその頬には、限りな
い笑みが浮かんでいる。
「小狼君、よかった…ホントに、無事でよかったよぅ……」
「さくら…」
どうなっているのか、今だ分からない小狼であったが、さくらの様子から自分が彼女に何か心配をか
けてしまう事をしたと言うのは分かる。
だから、小狼は頬を赤く染めながらさくらの髪をなでた。
小狼は、説明を求めるようにケロのほうを向いた。それを察したケロが事の成り行きを説明する。
「小僧がすごい力出して闇の者追い払ったやろ? お前、その後すぐに気ィ失のうて倒れてもうたん
や」
「それは、俺にもわかる。なんだか、恐ろしい勢いで剣に魔力を吸い取られたような感じがしたからな」
「そんで、わいらもボロボロやったさかい、知世に手伝ってもろて小僧をここまで運んで来たんや」
それを聞いて、小狼はこの場に知世がいる事を納得する。
けれど、一番聞きたい事は別にあった。
「それで…さくらは、どうしてこうなっているんだ?」
体を預けているさくらの重みを感じて、小狼はますます頬を赤くする。
それをなんとか振り払うようにケロのほうを見た。
「……おれが、そんなに心配をかけてしまったのか…?」
「それもあると思いますけど、さくらちゃんが泣いている直接の理由はもっと別の事だと思いますわ」
「まぁ、話すと長くなるさかい、かいつまんで説明するけどな…」
そう言って、知世の後を引き継いだケロは小狼の夢の事をそのまま伝えた。
「…そうだったのか…その夢は、俺もおぼろげに覚えているが……」
「さくら、夢の中の小龍っちゅーやつと小僧を重ねて見てしもたんやな」
「李君が力尽きて倒れてしまっていましたし、同じシチュエーションで李君そっくりの方が死んでしま
ったんですから、しかたのない事だと思いますわ」
「さくら…」
小狼に呼びかけられて、さくらはようやく顔を上げた。
小狼は、優しげな眼差しでさくらの瞳を見つめる。
「俺は、大丈夫だから。今、こうしてさくらの前に居るから…だから、そんな顔するな」
「小狼君…」
小狼の優しい言葉は、さくらの不安に満ちていた心を温かく解きほぐした。さくらは、残っていた涙
を拭いて、久しぶりの笑顔を見せる。
「…うんっ!」
さくらの笑顔を見て、ケロと知世は顔をほころばせあった。
(やっぱり、こういう時さくらちゃんを一番安心させられるのは李君ですわね)
(けど、これはさくらも結構脈ありやなぁ)
(面白くなってきましたわ)
何やらこそこそ話をしている二人を、さくらが不思議そうに見る。
「ほえ? 二人で何お話してるの?」
「な、なんでもないなんでもない、あ、あははー」
「ほほほほほ…」
「ほえ?」
慌てて繕う二人を見て、さくらはきょとんとし、小狼はため息をつく。
事を深く追求されないうちにと、ケロは話題をすりかえた。
「け、けど、結局なんやったんやろうな、あの夢」
ケロの言葉に、みんなが神妙な顔になる。
華血刃について、幾つか分かった事もある。
それが魔力を糧に力を発揮すると言う事、今の華血刃は本来の姿ではないと言う事、そして、それが
「自我」を持っていると言う事。
しかし、今小狼たちの周りで起こっている事件と関わりのありそうな事は何一つなく、かえって謎が
深まっただけだった。
特にさくらには、この夢がユエの言葉の裏づけになってしまい、より不安を募らせる結果となってし
まった。
そうして、みんなが黙り込んでしまったときだった。
《…それについては、私から説明しよう…》
「な、何? 今の声?」
「いったいどこから…」
さくらは不安げに眉をひそめ、知世がそれに寄り添う。
「魔力や……小僧があの夢見始めた時と、同じ魔力が部屋に満ちとる!」
ケロは、その魔力の出所を探ろうと、部屋の中をきょろきょろと見まわした。
小狼も精神を集中し、そして、魔力が放たれている場所を見つけ出した。
「あった…そこだ!」
小狼が指し示した先…そこには、真紅の光を纏った華血刃の姿があった。
みんながそれを呆然と見つめる中、小狼はただ一人ベッドを降り、躊躇なく華血刃へと近付いていっ
た。
「あ、小狼…」
「大丈夫だ」
思わず不安げな声をあげるさくらに、小狼は振り返って微笑む。
小狼は、改めて華血刃のほうに向き直る。
「お前は…なんだ」
《私の名は華血刃。古くはこの国より、破邪の剣として生み出されしものだ》
小狼の問いに、華血刃の声が答えた。それは、声と言うよりは、意思が直接頭の中に語りかけてくる
ような感じだった。
「さっき、お前は説明すると言ったな。お前は、今起こっている事を知っているのか?」
《知っている。この事件の発端、真実、その全てをな》
「ならば、何故今まで話しかけてこなかった!? 俺だけでなく、さくらまで危険な目にあっているん
だぞ!」
《あわてるな。落ち着け》
華血刃の澄んだ声が響く。熱くなりかけていた小狼だったが、その声を聞くとなぜか心が静まってい
った。
《まず、座れ。あわてずとも、全てを話す》
小狼は、言われたとおりに腰を下ろした。さくら達も、小狼の周りに集まる。
全員が位置についたのを確かめたかのように、華血刃はゆっくりと話し出した。
《では語ろう。私の知りうる、全てをな》
〜 続く 〜
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あとがき
どうも、サイレントストームです。想いの刃第5話「血の華の伝説」いかがだったでしょうか。
今回はいよいよ事件の真相に深く関わる、小狼が見続けていた夢の内容の話だったわけですが、それ
で本来の登場人物であるはずのさくら達がほとんど登場していない話になってしまいました。
期待していた人達、ごめんなさい。
でも、作者的には普段よりも書きやすかったんですよ。何しろ、既に人様が完成させているキャラク
ターではなく、自分で一から考えたキャラクターを動かしているわけですから。やっぱり二次小説は難
しい。
この「小龍」と言うキャラ、実は私のオリジナル「エルファーシア」のキャラをちょこっと借りてい
るんです。カンのいい人ならお気づきでしょうが。
さて、次回も説明的なことが多くなりそうな話です。でも、これでようやく話がラストに向けて動き
出せると言う事で。
それでは、再見(サイチェン)!