『エルファーシア正伝 妖刀の章』

第一章 〜歪み狩り〜
 ここは、グランシス聖王国西部にあるノーグタウンと言う街。西部地方においては5本
の指に入る大都市である。
 その都市のメインストリートを、二人の男女が歩いていた。
 男のほうは、短めに整えられた黒髪にやや細面の顔。中肉中背でスラックスにTシャツ
ベストと言った格好で、眼鏡が知性を光らせる。男の背丈ほどもある大剣の包みを背負っ
ていると言う事を除いては、いかにも人の良さそうな好青年。
 一方の女のほうは、まだ、少女と呼んでも差し支えなさそうな外見で、肩より上で揃え
た金髪に、くりくりと動く大きな青い目。キュロットに半そでにベストとウェスタンスタ
イルのいかにも活発そうな女の子。
 男のほうはワシュウ・キサラギ、少女のほうはミリィ・マクレイガーという。
 一見何の事はなさそうな二人だが、実はこの二人、テラの伝説に名高い最強の武器『エ
ルファーシア十二神具』を持つ『エルファーシア十二闘士』で、ワシュウのほうにいたっ
ては、五千年前に起きた神と人間の最終戦争『聖戦』の時代を生きた伝説の英雄なのであ
る。
 ワシュウは、旧友グスタフ・マクレイガーの頼みで、神具・降魔銃を受け継いだばかり
の彼の娘、ミリィを鍛えるために、共に修行の旅に出ているのだ。
 まあ、ワシュウとしては、ミリィを修行のために連れているのではなく、彼自身の旅の
友として連れて歩いていると言う感があるのだが。
 そんな彼らは、現在、とある場所を目指して町の大通りを歩いていた。
 空は雲一つない青空で、初夏の太陽が町を照らす。西部特有のからっとした気候のおか
げでずいぶんと過ごしやすいが、暑いものはやはり暑い。
 それは、この西部育ちのミリィにとっても同じ事だったらしい。
「あ〜も〜、天気に恵まれてよかったわねっ! ほんっと、気持ちいいぐらいよっ!!」
 ちなみに、とても言葉通りの意味とは思えない苛立った言い方である。
 それを察したワシュウが、早速なだめに入った。
「まあ、仕方ありませんよ。ここしばらく晴天が続くそうですし、それに、もう夏ですからね」
 ワシュウの声に反応し、ミリィがワシュウを睨みつける。
「それはさっきも聞いたわよ。だからこーして文句言ってるんじゃない」
「はぁ…ですが、ミリィはこっちの育ちでしょう?」
「そうだけど! どこで育とーと暑いモンは暑いのよーっ!」
 ミリィが暑がっているのは事実だが、実は言葉ほど暑がっているわけでもないのを
ワシュウは知っている。
 ミリィは、ただ単に歩くのが退屈だから、こうしてワシュウにちょっかいをかけている
のである。彼女の言葉を借りれば、『日々のスキンシップ』と言う事になる。
「ですが…そろそろ話題を変えませんか? 朝から3度目ですよ、この会話?」
 ちなみに、この話題が始まった4日前から数えて、通算15回目となる。
「だーってぇ、他に話題もないんだもん」
「それでは、路銀がそろそろ底をつきそうだという話はいかがです?」
 それを聞いて、ミリィは心底うんざりした顔をした。
「その話ならおととい聞いたわよぉ…それで、どうするの? アテ、あるんでしょ?」
「ええ、もちろん。ですからこうして………ああ、あれです」

 声を上げたワシュウの目線の先に、少し大きめの建物が見えた。簡素でこざっぱりとし
た造りをしており、扉の前には政府官営のマークがかかれている。
 二人は少し歩いて、その扉の前までやってきた。
 ミリィは、珍しげにその建物を見ている。
「ここが、ハンターズギルド。歪みがらみの仕事や情報がここで扱われているのです」
「ふーん……で、どうするの? 仕事でも探すの?」
 ワシュウは、その問いに首を横に振った。
「いえいえ、ただ、換金するだけですよ」
「…監禁?」
「ミリィ、字が違いますよ」
 ミリィのボケにさりげなくツッコミつつ、二人はギルドの中へと入っていった。

 中に入ると、そこは銀行の待合室風になっており、広いホールに幾つかの長いすが並べ
てある。目の前にはカウンターが並び、用件ごとに違う受付になっている。
 意外に明るめの内装で、観賞用植物が二つほど置かれている質素な感じだが、壁の一角
に貼られた様々な指名手配書らしき物や、仕事の求人のビラなどが、いかにもそれっぽい
雰囲気をかもし出している。
 中にいた先客も、騎士風の男や流れの傭兵らしき者、はては、ただのごろつきにしか見
えないような者まで、戦いと言うものに関わっているだろう様々な人達がいる。
 そんな中をワシュウはごく自然に、ミリィは物珍しげに一つのカウンターに進んでいった。

 カウンターにつくと、ワシュウはそこにいた初老の男に話しかけた。
「すみません、換金をお願いしたいのですが」
 それまで下を向いていた老人は、ゆっくりとワシュウのほうを見上げた。
「認定証はあるか?」
「はい…どうぞ」
 ワシュウは、胸ポケットからカードを取り出すと、老人にそれを手渡した。
 受け取った老人は、それをしばらくしげしげと眺めると、無言でワシュウにそれを返す。
「…物を見せてもらおうか」
「はい、これです」
 ワシュウは、麻袋の中からさらに小さな袋を取り出し、その中に入っているものをカウ
ンターに広げた。
 袋の中からは、大きさ、形とも異なる様々な水晶が7つほど出てきた。
 それを見て、ミリィは驚く。
「それ、歪みのコア!?」
「ええ、そうですよ」
 そう、そこに並べられていたのは、歪みの中心であり、歪みが倒れた後に残す歪みの体
を形作るもの、『コア』だった。
「そんなもの、どうするのよ?」
「見ての通り、引き取ってもらうんですよ」
「お金になるんだ、それ……あ、だから、いっつも歪みを倒しても、コアを壊さないんだね」
 ミリィが感心している最中、老人は歪みのコアの鑑定を進めている。最後の一つである、
やや大きめのコアを眺めて、老人は感嘆の息を漏らした。
「これは…Aクラスの歪みのものだな…なかなか上質だな…状態もいい…」
 その言葉を聞いて、ミリィはそっとワシュウに囁いた。
(あれって、この前のミノタウロスのやつだよね?)
(ええ、そうですよ)

 老人は、全てのコアの鑑定を終えると、計算機を取り出してそれをはたき始めた。少し
すると、計算結果が出たようで、ワシュウの前に計算機を置く。
「この7つのコアなら…この額で引き取らせてもらうが、どうだね?」
「ええ、おねがいします」
「支払いはどうするね」
「では、2割を現金で。残りは、この口座に振りこんでください」
 ミリィは、まだ何かをやり取りしているワシュウの後ろからそっと計算機をのぞきこん
でみた。そこにかかれた額を見て、ミリィは仰天する。
(45万ジニー!?)
 ジニーとはこの国の通貨単位で、通常の一般家庭で1ヶ月にかかる生活費がおおよそ1
2万ジニーである。つまり、45万とは普通の人が3ヶ月左うちわで暮らせるお金と言う
事である。
 お金を受け取ったワシュウが、コアの値段に呆然としているミリィを見つけた。
「ミリィ…何をそんなに驚いているんです?」
 ワシュウに声をかけられて、ミリィはようやく我に返った。
 それでも、まだ驚きは消えないようである。
「歪みってさ、お金になったんだネ…」
「はははっ、このくらいで驚いてちゃいけませんよ。私は、アマチュアですからね」
「アマチュアって…それじゃ、もっとすごい、プロみたいなのがいるの?」
「ええ、歪みを狩り、歪みに関わる仕事を生業とする者達―歪み狩りがね」
「歪み狩り…」
 その時、ギルドのドアを開けてひとりの男が入ってきた。
「噂をすればなんとやら…彼が、どうやらそのようですよ」
 ワシュウが歪み狩りと呼んだ男は、カウンターの前までやってきた。
  全身をマントで覆っているため顔はよく分からず、マスクでもしているのか、声もくぐ
もってそこから年齢を推測するのは難しい。
 男は、無言のまま懐から袋を出すと、その中に入っていた大きめのコアをカウンターに
置いた。
「何あれ? たった一個じゃない」
「コアは、数とは限りませんよ」
 二人が話をしていると、カウンターの方から男の声が聞こえてきた。思いのほか、若い
感じの声である。
「北の廃墟に巣食っていた歪みのコアだ。指名手配になっていたはずだが」
 カウンターで応対していた男は、歪みのコアを手に取ると、それを注意深く観察し始め
た。
 少しして、鑑定が終わったらしいのを見ると、男は再び話しかけた。
「本物だろう?」
「ああ、確かに、賞金首のものだな……よし、分かった。懸賞金は百万、それでいいな?」
「ああ……金は、この口座に振り込んでくれ」
 自分たちが換金した7つのコアをはるかに上回るその額を聞いて、ミリィは今度こそ仰
天した。
「ひゃ、ひゃくまん!? あれひとつで!?」
「懸賞金のかけられた歪みのコアは、普通のコアよりも高値で引き取られますからね」
 ミリィが感心する目線の先では、歪み狩りの男と受付との会話がまだ続いていた。
「何人もの歪み狩りがてこずった奴をいとも簡単に倒してくるとは…噂に違わぬ実力だな、
銀牙(インヤァ)」
「たいした事はない。奴が弱かっただけの話だ」
「いやいや、たいしたモンだよ。それで、どうだ? あんた向きの仕事が一つあるんだが
…」
 興味深そうに二人のやり取りを聞いていたミリィだったが、不意に後ろからかけられた
ワシュウの声に振り向いた。
「ミリィ、そろそろ出ますよ?」
「あ、ああ、うん!」
 ミリィはやや急ぎ足でワシュウの元に戻り、ハンターズギルドを後にした。
「それにしてもさ、ワシュウ」
「はい?」
 ここは、街角のガーデンテラス。
 先ほど、歪みのコアを換金して手に入れたお金の計算をしながら、二人はこれからの行
き先について話している所であった。
 ふと、ミリィが疑問に思った事をワシュウにたずねる。
「さっきも訊いたけど……『歪み狩り』ってなんなの?」
 ワシュウはちょっと考えて、なるべくくだけた表現にする。

「歪み狩り…ですか。そうですね、『歪み専門の何でも屋』と言ったところでしょうか」
「何でも屋?」
「ええ、以前は、歪みを倒してコアを得る事を生業とする者達をそう呼んでいたのですが
自然発生する以外にも歪みがらみのトラブルは多いものですからね。
 ギルドに持ってこられた仕事を請け負って、解決する事で収入を得る者を総称して『歪
み狩り』と呼ぶようになったんです」
 ミリィはひとまず納得したように頷いて、次の質問を出す。
「ふ〜ん、じゃあさ、ギルドって言うのは?」
「ギルドと言うのは、まあ、言ってみれば歪み狩りの労働組合のようなものですね。ギル
ドに登録した歪み狩りに対して様々な保護や便宜を図ったり、逆に、法に反した歪み狩り
を罰する役目があるんです」
「ワシュウも登録してるの?」
「ええ。そのほうが色々と便利ですから」
 話が一区切りつくと、ワシュウはテーブルに広げてあったお金や明細を財布にしまい、
荷物の中から折りたたみの地図を取り出した。
 テーブルの上を片付けると、その上にこの近辺の地図を広げる。
「さて、と…今後の行き先についてなんですが…」
 ワシュウは、地図の中の一点を指差した。
「ここが、私達が今いるノーグタウン。それで、次はここに行って見ようと思うんです」
 ワシュウの指が、ノーグタウンからやや東の小さな村を示す。
 ミリィの目も、同じようにワシュウの指の動きを追った。
 その場所を確かめると、ミリィは顔を上げてワシュウを見た。
「レキシャ…山間の小さな村ね。ここに、なにかあるの?」
 ワシュウは、地図を指差したまま顔を上げる。
「最近、この村の近くに新しい遺跡が発見されたそうなんですよ。それで、そこの調査を
しようと思いまして」
「調査?」
 ワシュウは、ミリィの言葉に軽く頷いた。
「ええ。かなり古い時代の遺跡らしいですから、もしかしたら、なにか神具の手がかりに
なりそうな物があるかもしれませんから」
「あ、そっか」
 ワシュウ達の旅の目的…それは、五千年前に行われた天界・魔界との最終戦争において失
われたエルファーシア十二神具を見つけ出す事である。
 ワシュウは、これの探索にこれまで3年を費やしている。
 にもかかわらず、手がかりらしいものは何も見つけられていないと言うのが現状なのだ。
 ワシュウの旅の連れと言う以上、ミリィも同様に失われた神具を探さなければならない。
「なんか、手がかりがあればいいね」
「そうですね…」
 ワシュウは地図をたたむと、荷物の中にしまって、立ち上がった。
「それでは、馬車の手配をしてきましょう。行きましょう、ミリィ」
「うんっ!」
 ミリィもワシュウの後を追い、レシートをもって立ち上がった。
 ノーグタウンからレキシャまでは、馬車でおおよそ一昼夜かかる。
 ワシュウ達は、何回か馬車を乗り継ぎ、夜が明けて、太陽が一番高くなる頃にレキシャ
村近くの街道に辿りついた。そこは、山に入る一歩手前であり、目の前には生い茂る樹木
に覆い尽くされた森とその中に整備された申し訳程度の街道が山の中へと伸びていた。
 それを見て、ミリィは思わず感嘆の息を漏らす。
「ふぇ〜…」
「さあ、ここからは歩きですよ。出来れば、日が落ちる前に村に着きたいですね」
「ねぇ、村までどのくらいかかるの?」
「そうですね…」
 ワシュウは、懐にいれてあった地図を取り出しそれに目を落とした。
「大体、徒歩1時間、と言ったところでしょうか」
「うぇ〜、けっこうあるわね〜」
 少しうんざりした顔のミリィに、ワシュウはいつもの微笑みを向けた。
「とりあえず歩きましょう。ここにいても仕方ありませんし」
「そーね。夜になっちゃったら、それこそシャレにならないもん」
 ミリィは肩をすくめ、それでも笑顔で街道を歩き始めた。その後を追って、荷物を担い
だワシュウがミリィの後ろを歩きだす。
 歩き始めて、しばらくの間は森の中だったのだが、少し経つとだんだん立っている木が
まばらになってきて見通しがよくなってきた。どうやら、木が多いのは山の手前だけのよ
うである。


 空を照らす太陽は少し傾き、それが山野に少し早い秋を運んだかのように、目に映る景
色を赤く彩っていた。
 頬をなでる涼しげなそよ風を感じながら、ミリィは片手で髪をなでた。
「へぇ、こっちの方って結構涼しいんだね」
 ミリィが、ワシュウを上目遣いに見上げながら素直な思いを口にする。
「そうですね。やはり、山地だからでしょうか」
 ワシュウも穏やかな微笑みを浮かべてかすかな紅に染まる景色を見ていた。
 しかし、その表情が一瞬、怪訝なものに変わる。
「どしたの?」
「…歪みです」
 その言葉を聞いて、ミリィも顔を引き締める。腰に挿してある銃―降魔銃―を抜くと、
ワシュウと背中合わせの体勢になった。
 後ろ向きのまま、ミリィはワシュウのほうにちらりと目をやった。
「どのくらいの奴?」
「Bクラスが2体…と言ったところでしょうか。恐れるほどではありません」
 そう言いながら、ワシュウは懐から一冊の本を取り出した。
 その本は、表紙に十字架を模した図版が装丁されている片手で持てるほどの本で、その
各部に小さな宝石が埋めこまれている。
 ワシュウは、その本を開くとキッと前を睨みつけた。
「来ます!」
 それまでワシュウ達の周りにあった空間の歪みが実体化し、ワシュウとミリィ、それぞ
れに向かい合うように2体の歪みが現れた。
 それは、双方とも獣の形をしており、片方は大型の猿、もう片方は猪をスリムにした感
じといえばそれに近いであろう。
 もちろん、あくまでそう言った感じと言うだけで、実際には獣と呼ぶには少々無理のあ
る外見なのだが。
 2体の歪み達は、目の前に現れた破壊対象を見つけ、歓喜の雄叫びを上げた。


ぐるぉぉぉぉぉぉっ!


「そちらは任せましたよ!」
 ワシュウは、一方的にそう言い放つと自分が対峙している大猿のほうに向かっていった。
 ワシュウは武器らしい武器を持っていなかったが、ミリィはそれを気にする事もなく自
分の獲物のほうへと向かっていった。そう言った心配は、彼には無意味だと知っているか
らである。
 ミリィは降魔銃を振り上げると、続けざまに3発の銃弾をうちこんだ。この銃弾はエー
テルエナジー――この世界に存在する全てのモノが持っている、精神エネルギー――で構
成されているので、純粋な物理的攻撃があまり効かない歪みにも十二分な効果を発揮する。
 銃弾は2発までが胴体に命中したが、1発は足を掠めて飛んでいった。
 歪みは、それに構うことなくミリィに突進してきた。
「わっ、わわわっ!」
 ミリィは慌てて横に跳んでそれをかわす。
 目標をはずした歪みは、大きくUターンして再びミリィめがけて突進してくる。
「こんのぉ、調子に乗らないでよねっ!」
 ミリィはすっくと立ち上がると、ガンホルダーに挿してある四つのカプセルの一つを取
り、それを降魔銃に押し付けた。
「アディション! Type・アサルト!!」
 カプセルは瞬時に変形すると降魔銃に取りつき、瞬く間にそれを一丁のショットガンに
仕立てた。
 神具・降魔銃は通常時の『ノーマル』を含め、全部で五つの形態を持つ神具である。
 それは状況によって使い分けられ、今、ミリィが取っているのは攻撃力を特化した形態
『アサルト』である。
 ミリィはそれをすばやく構えると、自分に向かって突進してくる歪みめがけて引き鉄を
引いた。

 ガゥン!

 その銃弾は先程よりも強い勢いを持って歪みの額を貫く。
 今度は流石に効いたか、歪みは足をよろけさせた。しかし、その勢いは止まらない。
「Shoot!!」
 更なる銃撃が降魔銃から放たれる。
 エーテル弾の直撃を食らった歪みはその身を微塵の塵と化して砕け散り、その後にはた
だ、一握りほどの結晶が転がるのみだった。
 それを見たミリィはホッと息をつくと、降魔銃をノーマルに戻し、それをガンホルダー
にしまった。
 その時、ミリィの視界に強烈な光が飛びこんできた。
「!?」
 ミリィは慌ててそちらの方を振り向く。
 そこでは、ワシュウと猿形の歪みが光のドームに包まれていた。
 しかし、まったく平然としているワシュウに対し、歪みは苦悶の声を上げつづける。
 ワシュウの足元をよく見てみれば分かるのだが、そこには光を放ち続ける魔法陣が大き
く描かれていた。
 手にした本を開いた状態で立っているワシュウは、静かに唇を開き、呪を成す言の葉を
紡ぎ出した。
「…邪なる意識を持つものよ、悔い改めよ。我らが父なる神と精霊の御名において…」
 ワシュウの呪文に合わせる様にして本のページが次々とめくられていく。
 本があるページを指し示した時、それはまばゆい光を放ってドームの中を聖なる力で満
たした。
 歪みの苦悶の声がだんだんとやんでいき、その身が静かに崩壊していく。
 言の葉を紡ぎ終わったワシュウは、それを発動させるための『力ある言葉』を放つ。
「アークライト!!」
 ドームの中に光が溢れ、漏れ出した光が一瞬、光の柱を生み出す。
 場に静寂が取り戻された時、そこにあるのは歪みのコアとなっていた水晶だけであった。

 本を閉ざし、水晶を拾い上げたワシュウのもとに、こちらも同じく水晶を手にしたミリ
ィが駆け寄ってきた。
 ワシュウは、にっこりと微笑んでミリィを迎える。
「お疲れ様でした」
 寄ってきたミリィは小さくVサインをして応える。
「まーね。あの位ちょろいって」
 言ってミリィは手にしていた水晶をワシュウに差し出した。
 ワシュウは頷いてそれを受け取ると、口の中で小さく呪文を唱える。
「…不浄なる者を封印せん…ウィータ…」
 ワシュウの手に光が集い、それはゆっくりと水晶の中に染み込んでいった。
 コアの浄化が済んだのを確かめたワシュウは、自分が倒した分も含めてそれを懐にしま
い込む。
 そこでワシュウは、尊敬の混じった眼差しで自分を見るミリィの目線を感じた。
「? どうしました?」
「ん…ワシュウって、やっぱりすごいなぁって思って」
 そう言ってミリィは、ワシュウが手にしている本に目線を向けた。
「そんな本一冊で歪みを倒せるなんて思わないよ、普通」
「でしょうね。これは、『特別』ですから」
 言いながら、ワシュウは本を荷物の中に仕舞い込んだ。
 ワシュウの持つこの本はもちろんただの本ではない。
 古の時代、まだ、神が崇められるべき存在であった頃に用いられていた『聖書』と言う
本で、本来は神の教義の全てを記した、神の信者の必携本である。
 しかし、ワシュウが持っているものは、特別な聖職者だけが持つ特別製で、その装丁や
材質、文字の配列自体が聖なる力を導く立体的な魔法陣になっているという代物なのであ
る。
 かつては敬虔な神の信者であり、神官の地位にあったワシュウが、神に背いた今でも自
身の力を増す道具として愛用しているのだ。
 その力は絶大で、ほとんどの事がこれで事足りるため、ワシュウが自身の神具・封神剣
を使って戦うということは、実際のところあまりない。
 当然、ミリィも今まで何度かワシュウが聖書を使って戦っているのを見ているが、それ
でもいまだに驚きを隠せない。
『神に背いたとはいえ、その教えの全てを否定するつもりはありませんから』
 いつか、神を倒した英雄であるはずのワシュウがなぜ神の遺産を使っているのか、ミリ
ィがその理由を聞いたとき、彼はそう言って答えたものだ。
 その言葉を聞いたとき、ミリィは改めてワシュウの大きさを感じた。そして、そんなす
ばらしい『兄』と巡り会えた幸運に、密かに感謝していた。
「どうしました?」
「ひゃうっ! …へ?」
 物思いにふけっていたミリィだったが、それを不審に思ったワシュウが声をかけた。そ
の声で、ミリィは急に現実へと引き戻される。
「ミリィ、大丈夫ですか? どこか、ケガでも…」
「あ、ううん! なんでもないの!」
 ミリィは照れを隠すようにぱたぱたと手を振ると、ワシュウの手を引いて半ば無理やり
前に歩き出した。
「ほ、ほら、早く行こ! 日が暮れちゃうよ!」
「ああ、ミリィ…そんなに急がなくても…」
 制止しても手を引っ張るのを止めないミリィに、ワシュウは苦笑して自分の歩く速度を
速めた。
 結局、村につくまでワシュウとミリィは手をつないだまま歩く事になり、村に入ってか
らその事に気づいたミリィはさっきよりも更に恥ずかしい思いをする事になるのである。


 村について少しすると、傾いていた太陽はすっかり山陰に隠れてしまい、ワシュウ達は
早めに宿を取って詳しい調査は明日から行う事にした。
 しかし、いざ宿を探そうとするとなぜかどこも満室で、5件目に見つけた少し小さめの
宿で二人部屋を一部屋なんとか取る事が出来たと言う有様だった。
 さすがに疲れたのか、ミリィは部屋に入るなりベッドに体を投げ出した。
「あぁ〜〜、疲れたぁ〜」
 ミリィは声を出しながら思いっきり伸びをする。
 その様子を見てワシュウは苦笑するしかなかった。
「結局、相部屋になっちゃいましたね」
 妹同然のような存在とは言っても、やはりミリィは年頃の女の子である。だから、ワシ
ュウとしてはなるべく部屋は別々にしたいと思っていたのだけれど、こう言う状況では致
し方ない。
 けれど、一方のミリィは大して気にはしていないようだ。
「いや、別にそれはいいんだけどさぁ…」
 そう言いながら、ミリィはむくりと起き上がるとうんざりした表情でワシュウのほうを
見た。
「どうしてどこも部屋がいっぱいなの? 別に何かやってるって訳じゃないんでしょ?」
「そうですね…」
 ワシュウもミリィと同じ考えなのか、いまいち要領を得ない顔をする。
「やはり、遺跡目当ての人達でしょうか?」
「う〜ん…」
 ミリィはなんと返していいかと考えこむ。が、結局答えは出なかったようだ。
 そんなミリィを見て、ワシュウはいつもの微笑みを浮かべた。
「まぁ、その辺の事も明日調べる事にしましょう。とりあえずは、何か食べに行きません
か?」
 その提案に、ミリィは顔を輝かせて跳ね起きる。
「行こう行こう! 私、お腹ペコペコ!」
「それじゃ、行きましょうか」
 そう言って、ワシュウはミリィと連れ立って賑わう夜の街へと繰り出していった。
 新たなる出会いがそこにあることには、今はまだ気づかずに。